昔々の当ブログを振り返ってみると、まさしく日記のように、軽い筆致で日常を毎日のように綴ったものがある。

そりゃあまだ始めた当初は大学生で、暇で暇で暇だったからだろう。

当時の記事を読み返したくもない。なんだか恥ずかしい。

もっとも、今書いているものだって、10年後に読み返せば恥ずかしいだろう。10年後にこのアメーバブログのサービス自体があるのかどうかもしらないが。

しかし、もう少し気楽に、何も考えずに、短いスパンで書いてみてもよいのではないか、呼吸をするように書いてみてもよいのではないか。そう思った。

 

とある方(をたくとは全く関係のない方)の、ほぼ毎日更新されるブログを、貪るように読んだせいかもしれない。

こちらのブログだ。語り口の強さがたまらない。博学でもある。本もたくさん読んでおられるようである。溜め込んでいる毒が違う。勝てない。勝ち負けではないが。憧れる。

キムチ鍋は作ると決意した。

 

関内関外日記

 

呼吸をするように書く記事としては、既に長くなりそうな気がしている。書き始めた時点で話題は2つ浮かんでいる。それはこの2週間程度の間に起きたことだ。つまり2週間は期間を置かないとこの記事は書けなかった、書く気にならなかった。

かつての呼吸をするような更新頻度は、まったくもって望めそうもない。

 

20日程度ぶりにASTROMATEを見に行った。

8月の中旬まではほとんどすべてを見に行っていた身からすると、実に長いインターバルのように思えた。

 

今、あんまり彼女たちと僕はうまくいっていない。彼女たちの一部、と言おうか。

僕の子供じみた態度もあったし、気配を感じてしまったことから端を発し、余計なことに首を突っ込んでしまったせいもあった。どちらかと言えばやや僕が悪く、あとはボタンの掛け違え程度だろう。決定的な掛け違えかもしれないが。掛け違え?ふざけるな、そう彼女たちは思うかもしれないが。

そしてなんだか疲れた、というのもあった。良くも悪くも掛け違えたのは望月さあやの生誕祭前の時期だった。仕事と言ってしまうことは実にばかばかしく、僕の趣味に合わないが、仕事が残っていた。必要以上の気力を使った。だから一休みしようとした。

 

たかだか20日程度だった。1度アイドルを見に行ってから、その次まで20日空く。きわめて普通だろう?

望月が体調不良、という名目で休日のライブを途中退場、2本目を休み、そのあとの平日のライブだった。知り合いに、その日のことを聞いていた。衝動的に、行こう、と思った。

 

たった20日だ。

ライブは変化は感じなかった。

僕がいない客席はこのようなものか、そんなことをぼんやり見ていた。本当に、特に変わりはなかった。

 

「久しぶりだね」と望月に迎えられた。久しぶりなのだ。僕も久しぶりだと思っていた。それは異常だと思う。

普通は1度ライブを見たら、次見るまでに20日空くなんてのはありふれているのだ、むしろインターバルとしては非常に短いほうに入るだろう。

普通ってそれはどこの世界の話だ?20日は久しぶりだろう。もうずいぶんと長い間、それが久しぶりと言われる世界で生きてきただろう。今更そうやって馬車馬のように現場に通い、金と体力をすり減らす生活に疲れたと言うのか?

 

彼女は立て板に水のように、特に表情を変えずに次々と世間話をしてきた。

 

六本木近くにいたの?(いや、千葉県○○市)ああ、それはとおいところから。

元気だった?

台風来るね、大丈夫?

旅行行ってたの?寿司と酒がなんとかって(ツイッターで)書いてたから…

 

彼女の接触での話の展開力はなかなかに特筆するものがあると思う。こちらが何も言わなくても、仏頂面でも、気にせず、少なくとも気にするそぶりは見せず、時間内でずっと話してくる。

そしてそれを聞く僕は態度が悪い。

まったくそれだけだ。何も彼女に落ち度はない。

 

まだ通おうとは思う。これまでのようにはいかない。今日だってライブに行こうとせず、自宅でクライマックスシリーズを酒を食らいながら見て、そしてこんな駄文を書いている。

別段、僕が行きたければ行く、それだけのことだ。その判断に彼女もほかの何者も、出禁にでもならない限りは存在しない(どこかと比べれば、僕がうまくいっていない子たちも含め、まだ堪え性があるなと思う。どこかがなさすぎるだけだろう)。

 

そのASTROMATEにもたまに行くをたくと、ちょっと前に、朝からサシ呑みをした。

とある日、朝から一人で呑んで、帰りの電車内で池袋と上野で朝からセンベロなんて記事を読んで、それをツイートしたら、引っかかったをたくだ。朝からそのために上野まで来てくれて(まあ僕もそのために朝から上野に行ったのだが)、ご苦労なことだった。

 

近くに行き過ぎる、頻繁に通いすぎると、嫌な部分も見えてしまうから、そんな話をした。

そんなものなのかもしれない。近づきすぎないのが幸福のコツなのかもしれない。

散々に近くに行き過ぎた気がする槙田紗子さんとの関係は、少なくとも僕は幸福だが、それは全くたまたまなのだろう。彼女が大変器が大きいのもあるのかもしれない(本当に?)し、単に相性が良かったのもあるのかもしれない。どちらかかもしれないし、どちらでもないのかもしれない。

 

彼女(この彼女はつまりサシ呑みをしたをたくだ)に事前に、朝呑みから行くとちょうどいい、愛乙女☆DOLLの佐倉みき生誕祭なるものにお誘いをいただいていた。特段予定もないし、こうでもなければ佐野友里子に会うこともないだろうと思い、チケットを入手していた。

 

もちろん主役は佐倉みき嬢であり、佐野友里子ではないのだが、僕はだいたいは佐野友里子しか見ていなかった。

いつものことだ。7年前、彼女がこのグループで復活してから、ずっとそうだ。

元来の僕のスタンスを頑なに守ることをさせてくれる、彼女。別に彼女が何をしているわけでもないが。

 

7年間、この日も、彼女は変わらずふわっとしたアイドルだった。

大きな体を、ものすごい勢いで振り回すというのでもなく、精密な動きと言うのでもなく、つまりはAKB正当フォロワーのアイドルとして過不足ない動き、パフォーマンスを、それに必要なすべての要素を、眼前に表してくれる、まったくもってアイドルだった。

佐野友里子であり、ゆりりんだった。

 

接触はそんなに久々でもなかった。TIFぶり。2か月も経っていない。望月からすれば存在を忘れられてしまうかもしれないくらい久しい時間で、佐野からすればえらい早いスパンだった。

 

わたしもう27歳になっちゃったよ!

 

第一声だった。

知っていた。誕生日付近に会っていた。でも27歳だった。彼女が高校生のころから知っていた。

時が経っていた。滅多に、1年に1、2度程度しか行かないから、時が経ったね、という会話ばかりここ数年はしていた。

 

たくさん見てたよ、指差ししたよ、コールしてくれてたから、目立ってたから。

下手の後ろの方だったから、僕のようにオーバースローしている人なんて周辺で僕だけだったから、そりゃあ見つけやすかっただろう。

昔から見てくれてありがとう、と。

1年に2度しか見ない人はこうやって、彼女はこの日も実にアイドルだった、そういう感想を持ち、その言葉で締める。そして混じり気なしの良い気分になって帰る。

このくらいの関係が幸せなのかもしれない。

 

しかし、そろそろ佐野友里子の順番が僕の中で来ても良いよな、と思う。

出会っておおよそ10年が経っている。その間、片山陽加の次だったり、PASSPO☆の間にたまーに行ったり、解散したと思ったらサンミニ、ASTROMATE。

いい加減彼女の番が来てもいいだろう、客観的に見てもそう思う。

佐野からすればひどい客だろうと思う。今更何も期待していないとは思う。そりゃそうだろう、気があればとっくに足繁く通っているだろう。

 

彼女の順番が来るのが先か、彼女がアイドルを卒業してしまうのが先か。

いつまでやるかわからないからね、そう言っていた。

もちろんそうだろう。もう十分長くやっている。いつだって卒業、引退はさみしいものだが。

もう何年も、そういうものを見ながら、感じながら、黄昏時に身を浸しながら、それでもここまでステージに立って、アイドルを演り、楽しんできたのだろう。

もう十分だろう。しかし。

 

彼女が十分と思わないうちは佐野友里子は佐野友里子であり続けるのだろう。

 

そろそろ、お前、この間撮影した槙田紗子をとっとと現像せんかい、そんな声が聞こえた気がする。空耳か。

今日もとりかからないかもしれない。すまんな。