「私のことをいつまでも忘れないで。私が存在していたことを覚えていて」 

(村上春樹『ノルウェイの森』)

 

虹をつかんだ数日後に姿をくらました君について、僕が書けることはあまりに少ないし、記憶は当たり前ながら風化するもので、僕が君に興味を持ってからの、実体を見ていた時間と、それ以後に経ってしまった時間は既に同じくらいになってしまっており…僕が書けることはあまりに少ない。

 

そもそもがなぜ君に興味を持ったのか、通うようになったのか、よく覚えていない。

通う、という言い方が正しいような頻度で行ってもいなかったろう。

数えてみたら、写真を5枚とチェキを4枚撮っただけ。

初めて君に接触に行ったのは5月も半ば、だからたったの1か月半でさようならだった。

 

歌はとても上手だった。

世の中一般に出して歌が上手だったかどうかはわからないが、少なくとも、この集団の中では1枚も2枚も上手だった。歌える奴の雰囲気があった。

 

おそらく、ちょっと内気で弱そうな、なんだかこちらが励ましてあげないと消えていきそうな、そんな匂いに惹かれてしまったのだろうと思う。

精神的に不安定そうな人の相手は、かつての槙田紗子の経験で多少はできる、そんな過信もあったし、僕自身がまたその経験以来、そんな匂いには弱くなっていたのだと思う。

 

君と何を話していたか。そんなことももうほとんど覚えていない。

ただ、6月に入ってからはだいたい、元気か、大丈夫か、そんなことばかり聞いていた気がする。まんま、かつての一時期の槙田紗子との会話だ。生きてるか?そうか。

 

君はだいたい、気弱に肯定していた気がする。言葉とは裏腹に、常に大丈夫でなさそうな、不安そうな。

実際にそうだった面もあるし、そういうふるまいをしていた面もあるのだと思う。

しかしTwitterなどでもしきりに不安定だったのを見ると、やはりその態度の通りだったのだろう。

裏で何が起きていたのかなんてのは僕らが知る由もない。僕があやふやな情報をもとに語る必要もない。

 

はっきり言って、明確に覚えていることなど2つしかないのだ。

ひとつはしゃちフェス、ひとつはその直後の対バン。

 

おおよそ太陽の下が似合わない夜の種族には不釣り合いな天候だった、しゃちフェス。

出番前に、やれんのか、と聞いたら、いつもの調子でたどたどしく、頑張ります、と言っていた気がする。

本番のステージ上、ちょうど君が天に向かって手を伸ばす振りの時、真上に登った正午の太陽に、虹がかかっていたのだという。その虹をつかむような振り。

本番後、確か、こんな経験ができるならアイドルまだ続けられる、そんなことを君は言っていたような。

明確と言ったって、明確じゃないじゃないか。そんなもんだ。

 

確か、それより前、僕がアイドルは一度なっちまうとなかなかやめられなくなる、味をしめてくる、癖になってくるぜ、そんな話をしたことに対して、その通りだ、僕の言うことがわかった、と肯定もしていた気がする。

 

しゃちフェス直後の対バン。

この日は君は調子が悪そうで。

接触で感想を聞いても、今日はダメだった、と。伏し目がちに。どうやって解決していこうか、そんな話をしたような。

それが君との最後の会話だった。

 

あとは君はSNSの中だけの登場人物だった。

もう少しで復活できそう、そんな話もスタッフから聞いていたりした。そう言うしかなかったのだろう。

1か月少々経って、君が辞めることが正式にアナウンスされた。

それから少しだけ、SNSの中にいて、そしてそれすら消えてしまった。

今もどこかにいるのかもしれないけれど、現時点で、僕が君にコンタクトする方法はない。

 

君は僕のブログを気に入ってくれたようだった、君の言葉を信じるのであれば。

師匠、いつからかそう呼ばれるようになったりもした。

書いたものを好んでくれるのも、そう呼んでくれるのも、嫌いではない、ありがたいことだ。

そんなふうに僕のことを処してくれる君だからこそ、こういう結果になってしまったことは大変に悲しいし、せめて半年くらい、1年くらい、いや、いくらでも君の姿は見ていたかったのだけれど、アイドルとしてフィットして、進化して、苦闘して、生き抜いていく君の姿を見ていたかったのだけれど。

 

僕が今好んでいるASTROMATEにとっても、君の歌声は間違いなく大変な武器になっていたはずであるし、君の一種独特の雰囲気、夜の種族たる君は他の誰とも違うタイプで、だからこそ一定の人気はそのうちついてきたはずで。

 

どこまでいってもすっきりもせず、そう、君も言っていたように、綺麗な終わり方でもなく、突然と僕らの前から消えてしまって、しかし、全くどこまで何を語ろうとしてもそれは詮無いことなのだ。

不幸なボタンの掛け違え、きっとそんなものだったのだ。君はそうではないと言うのだろうが、誰が何を言ったところで、それは一方当事者の一方的な主張、事実認識でしかなく、そんなものにまた僕らも付き合う必要もない。

だから、不幸なボタンの掛け違えなのだ。

 

だから今はASTROMATEも君も幸せになればいいし、いつかまた道が交わるときがあれば交わればいいし、交わらなければそれでいい。

互いに生きていればいいし、上手くいけばなおいい。

君はとにかくゆっくり休んで、また歩けるようになったら、歩けばいい。

新しくASTROMATEを好きになる人々は、君がいたという歴史に触れることがある、それだけのことだ。

そしてASTROMATEの桐島杏を知っていた僕たちもまた、時折何かの機会に君がいたという歴史に触れながら、確かに君がいて君と話をした、君と写真を撮った、ステージ上の君を見た、君の歌声が響くのを聞いた、そう、かつて、桐島杏という、ASTROMATEいち歌の上手い人の歌声を聞いていた、そんな記憶を抱きながら、その記憶を薄れさせながら、君のいないASTROMATEを見ていく、かつて君のパートだったところを別のメンバーが歌っているのを見る、聞く、かつて君のパートだったということもそのうち薄れていく、別の子の名前をあるいはそのパートで叫ぶ、叫び続ける、それだけのことだ。

 

元々の夢を成就させるなら、させればいい。

スポットライトがそれでも恋しくなったら、帰ってくればいい。

その時に縁があれば、またお目にかかることもあるだろう。

 

さようなら、ASTROMATE、沖縄県出身、桐島杏。

かつて北斗七星を形作った、南方の星よ。

 

ごめんね、こんなことしか書けないよ、ちゅろちゃん。