或いはコメントに代えて。

 

まとまったものをかける気がしないが、なにかは書いておかないと、と思う。

だって彼女は狂おしいほど真剣に戦っていたから。毎日自らの肉を切らせながら、骨を絶たんと必死にもがいていたから。

 

いつも通り、極私的な記録だ。

 

どうしても、彼女を中心に書かざるを得ない。

もちろんもう一人の彼女は女子大生としては抜群で、だからこそ幸せを願っているし、どうもこの世界にもう一度戻ることも考えているようだけれどやめたまえ、元の世界に戻りたまえ、と思っているのだけれど、そんなのは彼女の自由で。

戻ってきて、それなりに成功し充実している、たとえば佐野友里子みたいな例も、ないことはないわけでもあるから。

 

3月。

もともと彼女と親しかったわけではない。

ヲタクだということは知っていた、いや、ヲタクである彼女は知っていた。

壇上に最初に出てきた(らしい)彼女を見て、ライブが終わった後に握手した目の前の彼女を見て、パッと思い当たるほどには知らなかった。

妙にPASSPO☆に詳しい奴がいるな、というかヲタクがアイドルやってるんや、へぇ、こりゃおもろいわい、そのくらいの感覚。

まったく同じ理由で大阪くんだりまで出かけて行った奴が、同じく握手から帰ってくるなり言った、

「あいつ、りーしゃんだぜ」

 

もえとはこのときに2ショットを撮っていた。

くじ引きで4グループ全員のうち誰かと2ショットチェキを撮れるという奇想天外な仕組みの中で、お披露目の大阪と東京、2回ももえとは撮っていた。なんなら、そこはかとなくかわいいじゃない、嫌いじゃないなこの子、そんなふうにすら思っていた。

楠は…彼女は、いや、楠は、ヲタクがアイドル始めたんだな、それ以上でも以下でも何でもなかった。このときはまったくもってそれだけだった。槙田紗子の関わる案件で、因果なものだと思った。だからこそ楠もここにいたようではあるが。

 

この2人組、どうしたものだろうと思っていた。

いや、どうしようもないと思っていた。

歌で心を揺り動かす、そんな肩書だから、歌の超絶技巧集団でも作るのかと思っていた。

そういうのでもなく、素人の、ただしそこまで絶望するほど歌の下手でもない2人だった。1年2年鍛えればあるいはコンセプトも達することもできるのだろうか、しかしそこまでもつのだろうか(反語)、というグループだった。

本当に、どうするのだろう、と思っていた。

 

そんな具合だから、さほど気にかけることもなかった。

いつの日か、楠は自らの出自をさらけ出し、返せる限りにTwitterにてリプ返をしていた。

肉を切らせて骨を絶つ、一種自爆みたいなことを繰り返していた。そして、元来そこまでタフにもできていないのであろう、いや、そういう人だというのもほかの仲間からも聞いてはいたのだが、そうやって、傷ついてもいた。

わけがわからなかった。なにかとてもメタ的なアイドル活動をしていた。メタ的にやろうと思っていたわけではないのだろうし、そんなに客観的に自らを見て面白がる、そんな余裕もなかったのだろうと思う。

 

もえはお茶を飲んでいた。

きっとそれがいつかこのグループを救うのだと信じていた。

 

6月。

FREEDOM NAGOYAなるイベントに出られる権利をかけた、課金イベントが大々的に(ごく限られた地方で)開催されていた。

我らが阿呆の事務所は何故か2頭出ししていた。意味が分からなかった。もう1頭は翌日のイベントに無条件で出られていた。きっと事務所内は1対3の流れだったのだろう。きっと今だって1対2だ。

 

このころはまだ100%ヲタクだと思って見ていたのだろうね。

いや、100%?すでに血を流しながら見えない明日を追いかけているのは知っていた。いつまでこんな手法が持つのだろうとも思っていた。ずいぶんな手を使うものだ、と思っていた。

悪いけれど、ここにはmalikaは負けられねえな、そう思っていた。

 

勝つ気なのかい、負け戦には金は出さねえぜ?

そう、malikaに突っ込んだヲタクに聞いた。誰が何票、誰が何票。合計何票。勝つとは言わなかったが、そう返答された。

だから僕もあいさつ代わりに突っ込んだ。

 

malikaが勝った。

ASTROMATEは無条件に翌日のイベントに出ていた。

あの頃はあの人がいた…それはまた別の話、いつかまた別の時に語るとしよう。

 

Liliumoveは2日間とも帯同していた。

初日はただのフェスを見に来たキッズだった。美味しそうにスーパードライを呑み、もえは頬をほんのり赤く染めていた。

確か彼女の勧めで夜の本気ダンスを見た気がする。もう一つのおすすめは大雨にかまけて見ないで終わってしまった。

雨上がりにもえを撮ったら、やたらええ写真になったのをよく覚えていて。

 

翌日は衣装を身にまとい、ゲリラライブと称して、テントの下でお歌を歌っていた。

やたらヲタクはコールだったり、MIXだったり。

 

楠がとある日に、コールはこうこう、とつぶやいて、それをなぜかヲタクが忠実に実施して。

そんな始まりだったような。

あの曲調でコールにMIX、まったく狂気の沙汰だと思っていた。

 

馬鹿みたいにさんさんと降り注ぐ初夏の日差しの下、それらを軽くやってみた、気持ちよかった。

ヲタクなんて単純なものなのだろう。いや、一般化するのは良くない、つまり僕が単純なのだ。

 

ASTROMATEのステージの後、僕らのベースキャンプに戻ると、裏で楠が泣いていた。

前回の記事では伏せていたが、今更隠し事もないだろう。

それは高校野球で敗れ去った球児にも見え、まごうことなき青春だった。

間違いなく、誰にでもわかる、人生のうちの青春を過ごしている姿だった。

実に、清々しかった。それはあくまで他人事だからだろう。

 

7月。

楠は目に見えて病んでいた。

もえはお茶を飲んでいた。

このころにはすべては決まっていた。

 

「大切なお知らせ」。

僕は楠がそう言ったように誤解していた。

彼女としてみれば、もちろんヲタクだからその言葉の意味はわかっているわけで、だから慎重に、その言葉だけは使わないようにした、らしいのだが。

勝手にそう言ったととっていて、やっぱり僕はいい加減だ。

 

ちょっと前から楠はライブ中の写真撮影解禁を画策していて、そう、最初にそれに言及していたのは5月くらいだったかな、その時は僕は全くの私利私欲のために、小規模ライブハウスで撮影するならこれこれこんなもんだとリプをして、尻を叩いたけれど。

それがいよいよ本当に解禁されて、まずはライブ中1曲のみ、そして全曲、なんて拡大されて。

 

大切なお知らせと誤解したから、前日大阪遠征から伊東温泉でのんびりするはずだったところを、あんまり寝もしないまま東京まで引き返して、ひたすらにシャッターを切って。

案の定、ほとんど予想された、解散発表。ほとんど予想されたけれど、ああ、本当に半年で解散ってするもんなんだ、そう、あっけにとられながら、それでも、この日にシャッターカシャカシャしてるのは僕しかいるまい、だいいち楠のケツをたたいたのも僕なのだ、そんなことを想いながら、カシャカシャしていた。

 

ただひたすらに眠かった。もえはさらさらと語り、楠はただただ悔しさを語りながら、顔は晴れ晴れとしていた。

 

最終章に向かっていった。

アイドルは卒業・解散を発表すると、見違えるように天使になり、まばゆい光を放つようになる、これは僕の持論だ。

Liliumoveの場合はヲタクも含めて、その現場全体がなぜだかまばゆい光を放つようになった。

妙に団結していた。すべてが壇上の2名に向かって、放たれていた。

最後に一度だけ見た、知り合い、楠の知り合いが言うところの、「いい現場」だ。

 

圧倒的でも何でもない。

ただ、2人がアイドルとしてステージにいて、常にヲタクに向かって歌を歌い、踊り、ふるまい、そしてヲタクはただ2人のために、見て、声を上げ、光物を掲げていた。

その輪が広がっていた。

決して何百人、何千人でなくても。

それは小さな幸せだった。

 

旗を振った、起爆剤となった、その空間をもたらしたのは、紛れもなく楠の暴走だろう。

逆風ばかりが吹くそのフィールドで、それでも楠は苦闘の末に、自分が思う、信じる形での帝国を作ろうと、肉を切らせながら駆け抜け、それに呼応したヲタクがその幸せな帝国を作り上げた。

もえはきっとお茶を飲んでいた。

それはなにもしていないことを示すのではない。もえはバランスをとる役目だったはずなのだ。

それでありながら、Liliumoveに決定的な決断を下し、終わりを迎えさせたのはもえだった。

 

楠の物語ばかりがきっとクローズアップされるのであろうが、もえの物語もきっとまた色濃い。

こんな目に合って、まだもえはこの世界に戻ってこようとしている。

相方だって、十分どうかしている。この世界に戻ってくるのだからそれでいいのだ。

きっとどうかしていなければ、この世界なんて生きていけない。

 

8月。

2人は終わりを迎えた。

美しい空間だった。

これ以上、何と言おう。

やはりそれは一人の明日なき暴走が作り上げた、美しい空間だったのだ。

 

私はアイドル、と宣言して、一人でもついてくるファンがいれば、その子は立派にアイドルだ。

現代のアイドルなんて、何の変哲もない、ただやる気だけがある普通の女の子を奉り、祭り上げる。

今のかわいい子たちはアイドルなんてなりたがらない、とも聞く。あるいは、昔からそうだったのかもしれない。まっとうな奴は、アイドルなんてなりたがらない、と。

 

2人は実に立派にアイドルだった。

何人ものファン、ヲタクがいた。やたら協力的なファンがいた。一様に2人を眺めながら、幸せそうにしていた。

人を幸せにできるのなら天下一品のアイドルだろう。

 

言ってしまえばどうしようもなかったLiliumoveを、どうにかし、ここまで一つ形にしたのは、紛れもなく、楠の明日なき暴走だったろう。

その代償をいま、ゆっくりと払っているらしい。

 

僕は楠をアイドルとして見ていたのか?

きっとあくまで、ものすごく頑張ってアイドルをやろうとしているヲタク、どこまで行ってもそれ以上の見方ではなかったはずだ。

しかし、前述の理由により、そんな楠はアイドル以外の何物でもない、それもまたわかりながら見ていたはずだ。

 

二分論なんてきっと必要がない。

元々ヲタクだったというバックボーンを持つ女の子が、悩みぬいた末にそのバックボーンを生かし切り、おおよそ他のアイドルにはない近さで、密度で、ヲタクに寄り添うアイドルとしていようとした、それが楠りさというアイドルだった、それだけのことだろう。

そしてその暴走は相方の蓮本萌絵をして、「アイドルってすごいんだね」と言わせた。

もえは最後に僕にこう言った、「今ならりさの言うことがわかる気がする」と。

 

きっとそれは小さな革命だったのだ。たった数十人しか知らない革命であろうとも。

マイナスのところから、圧倒的なアゲインストを食らいながら、それでも必死に鉈をふるい、血を流しながら自ら切り開いた道、成し遂げた革命。

 

半年を嵐のように駆け抜けて、しばしの眠りにつかんとす。

次に目覚めた時、二人はどんな道を辿るのだろう。

こんな小さな、苦々しい、しかしハッピーエンドを、必ずしも迎えられるとも思えない。

そして僕が必ずしも次を見に行くとも思えない。

アイドルは一期一会であり、僕は今回Liliumoveという稀代の変化球アイドルを見た、この2人にたまたま出会った、ただそれだけのことなのだ。

 

ただ、彼女たち、わけても楠りさという人には心を動かされた、また、ただそれだけのことでもあるのだ。