「お互いこの年までよくやってたなっていう」

 

結局こんな世界観が好きなのかもしれない。

田村潔司対桜庭和志、2008年大晦日に行われた一戦の、煽りV。

このブログで出すのは2回目だと思う。伝説の2015年1月1日、PASSPO☆史上最大・史上最長、大エース奥仲麻琴卒業フライトを語る文章、以来。

 

そう語る田村に対し、

「それは田村さんが思っていることですよね」

「田村さんがいくつまでやるって決めたのかわからないですけれど、僕の気持ち的には、100歳までやりたいと思う」

「ほんとあれですよ、ほんと死ぬまでやりたいですよ」

と桜庭が続いていくわけだが、そんな話はさておき。

 

結局は僕は長く続けるしか能のないをたくである。

だからすぐに、冒頭のようなセリフを吐きたがる。こんな世界を好む。

 

大西真帆に関しては、こんなセリフを吐くにはきっと早すぎる。

たかだか21歳。まだ大学4年生。アイドルとしては旬を過ぎても、夢追い人のベテランとして見るには若すぎる。

 

雑誌「bis」モデルオーディション、なんてものに出ているらしい。

showroomで放送して、たくさん見てもらってたくさん課金してもらったら勝てるらしい。

はっきり言ってよくわからない。よくわからないなりに、コメントをすれば反応をしてくれるし、そもそもそれなりに好みの子だったし、妙な縁で、showroomの放送を見ている。

 

2017年である。

 

2013年の12月、小岩の小さなライブハウス、そこでお別れだった。彼女の東京ラストライブだった。

彼女が元PO☆の奥仲麻琴のファンだったこともあり、グアムで買ったまこしゃまTシャツを渡した。

北海道での、真のラストライブは見に行っていない。

 

その年の9月、PO☆の北海道遠征の時、対バンにフルーティーがいて、身内の推しだったこともあり、彼女に何度か接触に行った。

話したのは他何度か、その程度だった。

 

本当に、けっこう、好みだったらしい。

当時のブログを読み返すと、「北海道の子でよかった」と書いている。

「小柄で上目づかいでちょっとアホっぽい舌っ足らずなしゃべり方、もうツボで。可愛いなあ、久々に可愛いなあ、それ以外の言葉が出てこない」などと書いている。

丸顔、童顔、低身長、ゴムマリのような動き、跳ねるような、動き。

 

2013年まで、北海道のローカルアイドル・フルーティー。

2014年、ファイターズガール。一度東京ドームへ見に行っている。

その後、札幌アクターズスクールに入り、スクール内ユニットでステージにも立つ。スクール全体の発表会という体で東京にも来ており、一度見に行っている。このときは終わった後に少し話したりもした。

現在は休校中。

 

彼女の経歴であり、僕の関わりである。

こんなものである。

特別視するにはあまりにも薄っぺらい関わり。

 

要は彼女が僕を覚えていたというのが結構重要な要素だった。だからこんな薄っぺらい過去の割に、今再び絡んだりしているのだろう。

現金なものである。

正直、よく覚えていたなと思う。人を覚えるのも苦手なら記憶の継続にも自信がない僕としては、脱帽である。

 

大学に行っているとか、勉強の話をしているとか、薄っぺらい僕の記憶からするとおおよそ信じられないのだが、3年半も経てば人も変わる。と言っても、そんなに変わったわけでもない。丸顔、童顔、低身長、そして、変わらぬハスキーボイス。

 

アイドルの芸能界でのセカンドキャリアを論じることができるほど、僕は芸能界には詳しくない。

大西真帆の軌跡を細かに語り、今後を語るなどということはできない。

ただ、昔の思い出に浸り、その延長線上で今の彼女を見ている、それだけのことだ。

 

思い出で遊ぶのはある程度をたくをやってきた者だけの特権だろう。

別段、もう芸能界から跡形もなく消え去った一般人の幻影を、いつまでも追いかけている、そういうわけでもない。

その遊びが、微々たる貢献ではあっても、今のその子のためになっているのだから、そう悪いことでもあるまい。

 

数年たって、泡沫のように消えていくのかもしれない。

その時は、昔話のようにふと思い出すこと、語ることはあるとしても、幻影に悩まされる、というものでもないだろう。

ただ2013年にアイドルの大西真帆に会って、2017年にまだこの世界で何かを成そうとしている大西真帆にまだ関わっている、それだけのことだ。

 

結局は僕は長く続けるしか能のないをたくだから、たったこれだけでも嬉しかったりする。

これだけ立場が変わってもまだ見られることが嬉しかったりする。

 

だから大西真帆に頑張ってほしい。

何年か後、また立場が変わっていて、それでも何かの機会があって、そこでまた関わることができたら、いや、もっと跳ねていて、遠い存在になっていてもいい、それもまた嬉しい。

 

どうなるかなんてわかったもんじゃない。

ただ、誰かがいなくなった夏に、誰かと再び出会う、そんな運命のちょっとした悪戯、悪くない、味わい深い、小さな幸せを感じる、2017年の夏、それだけのことだ。

 

あの頃撮ったチェキと、今の写真を見比べる。

ちょっとだけ大人になったかな。

「ツンデレ似持してね(原文ママ)」。

図らずもちゃんと維持してしまっている。だいぶ牙は抜けてしまったけれど。

 

とても自然体で、マイペースで、ハスキーボイスで、やっぱりちょっと舌足らずで、showroomに集まるみんなの相手をして回る、2017年の大西真帆が、今日もいる。