ダンスと歌にこだわって見てきたつもりだった。
10年間、見てきたつもりだった。
AKB48、PASSPO☆。
こだわって見てきたという割には、半端なセレクトだとわかっていた。
アイドルというくくりでも、もっと上手いグループはいくらでもいる。
アイドルじゃなくたっていい。
その中で、半端なグループで、その中で比較的上手い人を追いかけて、こだわったような話をふっかけたりしていた。
その在り方は矛盾だ。
ダンスと歌が上手かったところで食えないことも、もういい加減わかっていた。
アイドルに必ずしもそれが必要でないことも、もういい加減わかっていた。
アイドルにとってそれはあってもなくてもいいことで。
きっとアイドルとはそういうものではなくて。
どうでもよくなってきた、なんて言ったら。
「私の存在価値がなくなってしまう…」
あの子はそう言った。
歌とダンスを否定することは、きっとこの子を否定することで。
誰もがきっとそう信じられるほど、いつだって壇上で鬼になり、歌い、踊り、マイクの音が小さいと、音響がおかしいと、自分がミスをすると、すぐ顔に出した。
プライドに生きる人だった。
10年間現場で見てきて、一番理想の人なのかもしれない。
良いか悪いかなんてことは個人個人で決めることだが、とにかく僕好みのパフォーマンスをする人だった。
「(高校時代も)ずっと捧げてきたのに、こんなふうになってしまって」
あの子はそう言った。
若さゆえ幼さゆえのムラっ気もありながら、好調時のダンスの重量感力感を伴った鋭さは、誰も追いつけないもので。
そして天真爛漫で、いつもニコニコしていて。
もう事実を受け入れられたのだろうか、無事にこの先、歩いていけるのだろうか。
僕は一番心配している。
どうかこの先も強く生きて、歩いて行ってほしい。
「(サンミニは)ラストチャンスだと思ってる」
あの子はそう言った。
芸能界を辞めようと思っていたらしい。
降ってきた小さなラストチャンス。
掴んで過ごした結果は、小さな成果だったかもしれない。
それでも。
この先も続けていく、まだまだやりたいこともあるし、悔しい思いもしたし。
そう言って、未来に向かって、再びファイティングポーズを取り始めた。
歌い手として、まだ伸びる素材だと思っている。
それに限らずやりたいことはたくさんあるとのことで、きっとどこかでお見かけできるだろうと信じている。
「(サンミニは)ステップ」
あの子はそう言い切った。
(いい階段だったかい?)
そう聞いたら、
「うん、とっても」
と、言い切っていた。
紛れもない太陽だった。
ステージ上から、広角にレスの雨を降らせていた。
接触であの手この手で引き込み、虜にし、ひざまずかせようとしていた。
強気すぎるところを除いては、きわめて現代のライブアイドルに向いた子だったろう。
本気でどっぷりその子に溺れる、そんなプレイスタイルの終着点がこの子だというのは、皮肉めいたものもありながら、なかなかに楽しませてもらった。
感謝もしている。
彼女にとっては、足かせだったのかもしれない。
はたまた、ここにいなければ、ここまで来られていなかったのかもしれない。
たらればなんてものはいつだって意味がない。
彼女はこの現況にさらされて、それでも歯を食いしばって、それを見せようともせず、そこに立っている。
もう遅すぎるのかもしれない。
それでも、これからは思う存分、一人で戦えるのだ。
きっと後悔はしていまい。
僕はそう信じている。
けっこうこれを楽しんでいたし、愛していたのだと、そう思っている。
答えは彼女だけが知っている。僕に真実を話しているとも思っていない。全くの嘘をついているとも思っていない。
たかだかをたくに、本心などわからない。
そのスピードが好きだった。
ヌードルカフェ。女の子に、カップラーメンにお湯を入れてもらって、出来上がるまで、3分だけ、話をする。
そこに出演する女の子を集め、から連想され名付けられたサンミニッツ。
どうにか何か設定をしないと死んでしまう、どこかの大社長の思い付きだ。
思い付きはそのグループを最後まで縛る縄となり、1曲3分という鋼鉄の掟が生まれた。
その縛りは自由を大幅に奪った。これがなければもっと売れていたのに、というほど単純な話とも思わないが。
3分が次々と繰り出されていく。アップテンポのダンスミュージックが続いていく。壇上は緩まず踊り、歌っていく。
そのスピードが好きだった。
凡庸だったのだろう。
ぶれていたのだろう。
つまらなかったのだろう。
売れるには、一つも二つも、あらゆるものが足りなかったのだろう。
事務所がもっと力を入れていれば?そんな簡単な問題でもないはずだ。
彼女たちのせいだった?そんなことはないと信じているが、売れるには足りなかったのかもしれない、そんなことを僕は否定できない。
僕が今こうしているのは、槙田紗子のせいだった。
彼女が活動を休止して(それはこの活動の終わりだと、僕にはわかりすぎるくらいわかっていた)、最初に本格的に動き出したのは、このサンミニッツの世話焼きで。
そして、さこの盟友・喜多陽子を放り込む。
残りかすを燃やす手筈はすべて整った。
さこは幸いにもそれなりに忙しくなり、キタヨーコは1年足らずで自らの世界に返っていき、取り残された僕はそれでもそれなりに燃えていた。
長距離走者だから、2年目に入って、ようやくエンジンもあったまってきたくらいだった。
真面目に見始めて、たったの2年。
それでもこの業界を見渡してみれば、途中から入って2年も楽しませてもらったら、文句は言ってはいけないような気もする。
明確に今、サンミニは終わりを迎える。
7月1日、TSUTAYA O-nest。
最初は新宿ReNYからスタートしたグループだった。そんなことは僕は知らない。
僕が知っているのは快適なeggmanだけだ。そんなもんだ。
明確に今、サンミニは終わりを迎える。
中途半端なパフォーマンス主義者のたどり着いた終着点。
誰に勧めるわけでもない。僕が好きだった。僕が言えるのは、宣伝できるのは、それだけだ。
歌とダンスを重視するわけではないプラチナムの園で、歌とダンスを追い求めてしまった人たちの、本当に全員が追い求めていたわけでもないだろう人たちの、そして僕の、矛盾に満ちたラストワンマン。
その振り切れなさすら、打ち破れなかった壁すら、彼女たちの苦悩すら、悔しさすら、想いすら、僕の10年すら、ここですべて燃やし尽くしてしまいたい。燃やし尽くされてほしい。
お時間ある方がいれば、このブログを読んでしまったのが運のつきと思って、見に来てほしい。
知り合いは、見たくなったら僕に声かけてくださいね。
この記事を書く間はずっと、bloodthirsty butchersの7月ばかり聞いていた。
ラストライブの後、7月を聞いたら、どう思うかな。
星もないてる、僕も涙止まらない、ゆすらないでくれ、さわらないでくれ。