片山陽加の27歳の誕生日にこんなブログを書いている僕を許してほしい、ということを書かなくてもよいほど、はーちゃんは自分の足でしっかり芸能界を闊歩している。
何も心配することはないし、彼女がいるということは、彼女の姿をあまり熱心に見に行かない僕が言っても、言葉だけになってしまうが、僕のどこかかなり底の部分で、支えになっている。
だから、ほんと、末永く彼女が活躍できて、僕がそれを励みに日々を過ごせれば、幸せなことだと思うし、それを願っている。
先日、槙田紗子出演の劇「春にして君を離れ」を見てきた。
東日本大震災とアガサ・クリスティーの同名小説をモチーフにした作品で、内容については割愛するが、クライマックスシーンでは主人公の2度にわたる猛烈な喋り、活躍により、生ける者、死せる者を救っていく。
これを見て、一種のデウス・エクス・マキナとも思ったし、暫だな、とも思った。その双方ほどに単純でもなく、そこまで絶対的な力をもつ主人公でもなかったが。
「暫ぅ~、暫ぅ~」
歌舞伎十八番の一つで荒事の代表演目、「暫」。そんなふうに書いたところで、僕は見たことがないのだが。
ただ、粗筋だけは知っている。悪党が自らに反対する男女を捕え、打ち首にしようとしたまさにその時、前述の声を挙げながら主人公がやってきて、悪党を一網打尽にしてしまうのだ。
誰を一網打尽にするのかはとにかく、彼女たちを救う英雄は現れなかったのだな、と。
ずいぶん強引な始め方だが、率直な感想としては、そんなものだ。
7月1日のワンマン@渋谷O-NESTをもって、サンミニ、解散。
メンバーみんなの未来のための選択です、と。
もちろん嘘ではないし、それだけでもないだろう。
それ以上の、解散についての無駄な憶測はやめたい。何を書こうがそこには虚しさしか残るまい。
個人的には、終わりに対して備えないほどの状況ではないと思っていたし、備えないほどをたくとしての歴も浅くなく、経験も少なくない。
そんなことを言ってみたところでなんになろう。すべては厳然たる事実がある、ただそれだけだ。
彼女たちをよく見るようになって、丸2年。
初めて見た時からは3年らしい。柏元ぴーちゃんの初陣を見ているらしい。さこがMystery Angelを作詞、振付したと聞いて、見に行ったらしい。出来て半年、まずまず早い。
まあ、そこから1年はせいぜいPOと被ったときに見ている程度ではあるのだが、それにしても彼女たちの歴史の半分以上はしっかり見たことになる。
2年なんて、こちらとしてはようやくエンジンが心地よく回るようになってきた、そのくらいではあるのだが。
僕としては、とにかく見ていてノーストレスなユニットだった。
もちろん、毎回ではなく、構成上で無駄に寸劇やMCを入れすぎることによるストレスもあったり、妙に動きが鈍く感じることもあったりしたが、ことに真面目にパフォーマンスしている限りにおいては、僕好みのスピーディなダンスミュージックに合わせ、緩みなくキレよく踊る、肌に合うユニットだった。
2年前はちょうど、槙田紗子の活動休止(のち卒業)があったころだった。
彼女が振付等をして、実にお世話になっているユニットがある、そんな理由でサンミニに通い始めたのだった。
いうなれば、さこのせいだ。さこがいなければ、おそらく通うこともなかった。
久松かおりを推したのもまあ、大した理由はなく、ただ、さこがしばらくお世話になるだろう中で、誰かひとりを選ぶというときに、一番かわいいと思った子を選ぼうと思った、というだけだった。
もう片山陽加、槙田紗子と推してきて、まじめにゴリゴリ、パフォーマンスを求めていくというのもやり切った感はあったので、そのような、今までではしないであろう選び方をあえてしてみた結果である。
その数週間後に、さこが引き入れたような形で加入した喜多陽子が現れたのは、運命のいたずらだが。
喜多陽子の1年間をもって、槙田紗子の残り火、ヲタクとしての白い秋とまで、このブログでは語ったかどうか。
どうにしろそんな思いを抱いていたのが1年前だったが、今にして考えてみれば、サンミニに通っていたこの2年間全体が、槙田紗子の残り火だったのではないか、今はそんな気がしている。
この2年間が、槙田紗子・外伝。
つくづく失礼な書き方だし、失礼なをたくである。
久松かおりを推した、と書きながら、はて、推していたのかどうかははなはだ疑問なのだが、いちおう、大変お世話になったのは久松かおりだった。
強気ながら、アイドルとしてのサービスをちゃんとしてくれる、それでいてべたべたの、面倒くさいようなくっつき方もしてこない、とても気楽な子で。
それでも1年程度は自分推しである事実確認をしてきたりもしたが、今やもう、何を話しているのだか。
現代の接触型アイドルとしては、相手をよく見て心の中にスパッと切り込める、実に優秀な子だと思うが、その実、未だにこの子のことを掴み切ったという感触はない。
掴み切ろうという欲望も、突っ込んでいこうという意欲ももう使い果たした中で、穏やかにやっていきたいなと思いながら彼女には基本的には対しているが故だろう。それでもたまに厳しくつっかかってしまったりもしたが。
通ったのは彼女が一番多いわけだが、最近では必ず全員握手は行くし、誰かがヌードルカフェに行けば馳せ参じ。
メンバー全員に情が湧きすぎている。ここまで全員にどうこう思ってしまうのはなかった気がする。
まあ最後だからいいか。
こう、接触に何度も通うのは最後だろうと思う。
本当に最後かどうかなんて誰もわからないし、約束する気もない。
まあ全員幸せになってほしいとは思うし、それぞれの境遇を思いながらそれぞれと話していると、それぞれに対して切なくなったりもする。
こういう気持ち、セツナイと言うんだろ?
だから雷が鳴る前に僕の想いを全部言うよ、ってか。
想いを言ってみたところでもう空っぽなわけですけれど。
空っぽとは言わなくても、空虚な衝動程度しかないわけだけれど。
なんて、南彩夏のインスタグラムライブを見ながら書いているわけだけれど。あ、終わった。
もう少し自信を持っていていいんじゃないかとも思うけれど、プライドはあっても自信はあんまりないんだよね。
いや、歌とダンスに自信はあるかもしれない。サバイブする自信がない、と言われてしまえば、それは僕もそんなわかったようなことは言えない、ただ人脈もありそうだから何かしらはできる子なんじゃないかと思っているけれど。
この人推してたら、またさこの時と同じようにやって、よりくそ真面目にバチバチやっていたのかなあと思う。
そっちが僕の本筋だったろうな、とは思う。
関わった子は幸せになってくれとは漠然と思っていて、しばらく関わったサンミニなら、まあみんな幸せになってほしいとは思っている。
だいたいはもう、こんな形での、いわゆるアイドルとしての(ぶりぶりのアイドルとはとても言えないものではあったが)活動はもうしないだろう。こういう華々しい期間は、あるいはその子の人生で最後かもしれない(そうでないかもしれないが)。
そう考えれば、良い景色を見て、やりたいことをすべてやって、サンミニに、サンミニとしての自分に満足して終わってほしい、自分のために終焉までを走ってほしい、そういう思いはある。
そして、その思いは、僕も彼女たちの幸せのために駆け抜ける、というのではない。
僕は僕の、サンミニでの幸せのために駆け抜ける。
互いに思う気持ちは必要だろうけれど、2か月足らずのスプリント、とにかく脇目も振らず、ただ振り返って思い返して幸せだったというために、できることはすべてしようじゃない。互いにそれでいいじゃない。
暫の間である。
暫。
あと2か月足らず。