三十路を迎えました。

結婚して、子供の1人や2人いて、ぼちぼち家のローン抱えたりして、なんて思ってたよね、ガキの頃は。

 

大人げなく、どっこい、アイドルヲタクである。周り(のヲタク)を見ていると、年上もいれば年下もいて、別に大人げなくでもないのかなどと錯覚する。

錯覚である。

こんなもんはきっと高校か大学かで卒業するものだ。世間的には。

少なくとも、金を削り身を削り追いかけたりはしない。

 

世間並みに会社ではこの趣味を隠してみたりはしているが、別に世間並みに回帰しようともしていないし、まあこれはこれで楽しいしそれをもって人生それなりに生きる価値も感じているし楽しみもしているしで、特に不満もない。

死ぬまでまさかこの趣味でないだろうとも思っているし、完全に峠を越えた感はあるが、まだ残り火のようなものがくすぶっていて、現場に体を向かわせる。

 

周り(のヲタク)を見ていると、年上もいれば年下もいる。

しかしこの10年で、ずいぶん年下が増えた気がする。依然として、年上のほうが多い気がするが。僕が比較的年上の方々と過ごすことが多いというだけなのかもしれないが。

 

だいたい10年である。

現場のヲタクとなって、だいたい10年。

ヲタクとも呼べない、ハロの在宅ヲタク時代から数えれば、もう16,7年であるが。

 

AKB48、初代チームBの始まりとともに、おおよそ僕の現場ヲタク人生は始まり。

ざっくり、AKBで3年半、PASSPO☆で4年半、あとの2年は、サンミニと言い切るには語弊がある。

片山陽加、槙田紗子、…ここに久松かおりを並べるのは違和感もあるし、いわんや南彩夏、喜多陽子、玉井杏奈、佐野友里子、…並びもしない。

 

2008年の2月に当ブログを始めた。

とにかくアイドルについて、見て、何かを考えて、苦闘して、その結果をここに書き連ねて。それが僕にとってのアイドルとの付き合い方だった。

 

ブログを始める前は、古風に自らノートに書き連ねていた。面倒だから引っ張り出しもしないが、今でもどこかに眠っているはずだ。

例えば入社するときに、会社の社内報に書いた自分の自己紹介を読みたくないように、僕はそのノートも読み返したくないし、ブログを始めた当初の自分の文章も読みたくはない。

久々に一番最初の記事を開いてみたら、えらく文量の少ないこと。一日に何度も書くようなスタイルだったようだ。読み返しはしていない。

 

最終的にはアイドル論なんて書いてみたいと思っていた。

評論家ぶって、批評家ぶって、大上段から、そんなものを書いてみたいと思っていた。宗教を語るように、あるいは投球を語るように、なにか何物でもない立場から淡々とアイドルを断じて見たかった。

そんなことをできる才能もありはしなかったし、だいいち、アイドルとはなんなのだ?と(僕なりに)真面目に考えるたびにクエスチョンマークが増えていった。

 

片山さんだけにお世話になっていたころは、まだそのクエスチョンマークを増やしていく段階だったと思う。

だいぶわからなくなってから、槙田さんに出会って、もうそこまでそんな大枠については自分で考えず、ただ槙田さんにはたまに、「アイドルって何」と聞いていた気がする。

最後に聞いたときは、「心のオアシス」って言ってたね。

 

何年もたつうちにそんな大枠はどうでもよくなったのだけれど、それでも見て考えて書き連ねる、それだけはやめたくないと思ってやってきたし、それだけが僕のアイドルヲタクとしての存在価値だと思ってやってきた、いや、価値があろうがなかろうが構いやしない、しかしそれだけがヲタクとしての僕なのだと思ってやってきた、ような気はする。

いや、そんなこと思ったって、ただ単に書き連ねるのと有用なこと、たいそうなことを書き連ねることができるのは全く違うのであって、僕にできるのは前者だけなのだけれど。

 

2015年5月31日が終わって、その日の記録を付けてから、もうあんまり書けなくなったよね。

やっぱり熱はあそこで終わったのだと思う。

あのあたりからまあとにかく全然書かなくなって、今に至る。

 

特段何をしたいという欲はなくて、まあ自分が行きたいな、と思うところに行く、元から当然そうで、それ以外、例えば義務感などで行ってしまったら負けだとはずっと思ってやってきたが、本当にシンプルに行きたいなと思うところに行っている。

 

去年はそこまでサンミニにまじめに行かなかったし、今年はそれなりにまじめに行っている。いつまた行かなくなるかはわかりはしない。

POにそんなに行かなくなった。別に彼女たちが悪いわけじゃない、行きたいかどうかで、行きたいと思う機会が減った、それだけのことだ。

やたらめったら行きたいとも思わない。サンミニ、PASSPO☆、sora tob sakana、東京女子流。あとはまれに、機会があったら、佐野友里子を見に愛乙女☆DOLL。

 

かつてほどの集中力で見なくなった(ということを、AKBからPASSPO☆に来て言っていたような気もするので、つまり右肩下がりに集中力がなくなっているということだろう)し、すぐに忘れるようになったし、書こうという気力があまりない。

まあ、それでいいかという気がする。あんまり拘りというのもない。

 

10年できれいに枯れてしまったなあと思う。

片山さんに「見て語るヲタク」として育てられ、槙田さんには遠慮をしないことを教えられ、本気で戦い抜き、そこでだいたい、ファイティングポーズをとって全力で向かい合うことについて、自分の中でおおよそやることはやった、そんな気持ちになった。

まったく、2名には感謝してもしきれないし、さらにアイドルは辞めてしまったが、今でも芸能界でバリバリやっていて、その気になれば見に行く機会、会う機会もあったりする、ありがたいことこの上ない。

 

槙田さんに連れられて(振付や作詞をやるから見に行くかと)サンミニを見に行き、気が付いたら槙田さんも、槙田さんが引き入れた喜多さんも去り、綺麗に残される、そんな形で、まあ情も湧いて、動きの良いハイテンポでユニットとしても嫌いじゃなくて、そんなこんなでサンミニにヲタクとして残り続けて、まあこれがいい加減ヲタクとしてのラストランだろう。

さこがここに関わらなければ、来ることもなかったのだ。とんだ運命のいたずらである。

 

久松さんは終着点にしてもっともアイドルだ(そんな久松さん、というかサンミニ、が、いわゆる鍵括弧つきの「アイドル」性を否定する路線に向かっているのは皮肉なものであるのだが、しかし別段どんな音楽をやりどんな路線に進もうとも、アイドルとしての態度、性質を否定するものでもないしそんな必要性もない、堂々と自分たちのやることをやればよいし、アイドルとアーティストの二分論などという陳腐なものにはまる必要もない)。

片山さん、槙田さんとは比べようもないくらい、接触で器用だし、アイドルらしい態度で接してくる。今更、現代のアイドルの典型を見せられている気分だ。

その手招きに素直に乗って、ラストリゾートをのんびり楽しもうかなと、まあそんな気分だ。

 

10年が経ったからと言って、なにが変わるわけでもない。

しかし、10年で一番変わったものといえば、月並みで申し訳ないが、同志、同じ趣味を持つ友人の皆さんを多数持てたこと、のような気もする。

ということで、今後とも皆さん、お手柔らかに、どうぞよろしゅうに。

…無理矢理だけれどとりあえず閉められたかな、笑。