喜多陽子に対する思いは、だいたい前の記事に書いている。
簡単にまとめれば、残り火、義理、槙田紗子、しかし漸くの愛着、そして、ほんの少々の後悔。
気付かなかったことの後悔と、そもそもカチッと推さなかったことの後悔。
ほんの、少々の。

たったの1年足らずでの卒業、たったの2週間足らずの、発表から卒業までの期間。
後者を、たったの、と表現するのは贅沢な話であろうが。

なにも書けないが書けることだけ残す。
きっとまったく、まとまりもとりとめもない。

・サンミニ定期公演 in 渋谷CLUB CRAWL vol.3@渋谷CLUB CRAWL

よく晴れた、7月最初の日曜。
上手最前。
昔から、端が好きだ。
この日はそうではなかったが、出来れば、一番の壁際がいい。

vol.2の弛緩はなんだったのだろう、というライブだった。
壇上が弛緩していたのか、僕が弛緩していたのか。
壇上は弛緩もし、緊張もしていたのだろう。緊張ゆえの、他の個所に気もそぞろゆえの、弛緩。
他の日ならいざ知らず、この日は何かを求めるのも無理な日で。

最近は各々の振りが不揃いになる悪癖がまた顔をのぞかせてきたなあ、と思っていた。
この点に関しては、この日がどうだったか、俯瞰的に見ていないので、あんまりわからない。
3人のまま今後もサンミニが続いて行くのなら、せっかく踊れるメンバーとそこそこ踊れるメンバーという構成なのだし、そのあたりを徹底的に鍛え直してほしいなと思っていたけれど、新メンバーが入るとのことで、そのあたりもあんまり期待していない。

閑話休題。
まったく、あの弛緩はなんだったのだろう、というライブだった。
当たり前なのだが。
全員が全員、緊張感に包まれ、気迫が前面に押し出されていた。

南さんはこの日だけでなく、最近ずっと気迫を前面に押し出していたが、この日とにかく凄味があったのは主役の1人・渡邊真由だった。
ミステリーエンジェル前のソロダンス、いつもはぴーちゃんがやるところだが、この日はまゆちで、もうとにかく、なんといってよいものやら、それを何か表現しないとここでわざわざブログを書いている意味がないのだが、まあなんといってよいものやら、とにかく漸くラストで全開のまゆちがそこにいた。せいぜいここ1年しか見ていないので、このくらいのまゆちが過去どのくらいの頻度であったのか、わかりはしないが。

まゆちはまぁ、言うなればとんでもなく刃毀れしやすい剃刀か、細身の日本刀で。
元々、気分次第でパフォーマンスも乱高下、最近はpaletとの兼任もあってか、首肩を痛めてすっかりくせになって、それも手伝い、さらに本来のまゆちの輝きを見られる機会は減っていたように思う(paletで気分次第なところに磨きをかけたようにも思えたが)。

この日は身体はどうだったのか、知る由もないが、まさしく自らの纏う赤が燃えるように、炎のように、手足を鞭のようにしならせながら、恐ろしい勢いで踊っていた。
この人の持つ妖艶さ、儚さ、本当に見惚れた。
ラストだからというのも手伝ったのかもしれない。
何もかもまぜこぜにして、早々に泣きだす幼ささえも、涙に濡れる艶顔に昇華して、燃えていた。
僕が最初に、当時のサンミニッツを見たとき、最初に惚れた子がまゆちだったことを思い出していた。ぴーちゃんが加入した日のライブだ。

赤と青が一緒に卒業するのは皮肉だ。
対の色。実に鮮やかな。
アイス、アンド、ファイア。
青の6号機、喜多陽子。

いきなりダンスが上手くなるわけがない。
この間の、発表が迫るにつれて身動きの取れなくなった姿からすれば勿論別人の軽やかさではあったが、節々のキレの無さは当然、解消しなかった。
解消しないなりに、それでもアイドル・喜多陽子の完成形ではあった。

ダンスそのもので魅せるアイドルではなかったということだろう。
バックボーンが他の娘と違いすぎた。それなりにキャリアのあった女優。
瞬間の表情で観客を引き込む、それを最も得意とするアイドル、それが喜多陽子であったのだろう。
何の曲かここに記せないのが、悲しいほどに退化した僕の記憶力で、まったく哀しいのだが、とにかく、この日は一番彼女を見ていた気がするのだが、時々、そのバックボーンに説得力を持たせるような面構えをしていたのを記憶している。
壇上で女優だった。それがアイドルとしての彼女だった。

この人は泣かなかった。
そこもまた、好対照だった。

アンコール明け、それぞれの口から卒業について語る。
もう自分の中ではすっかり整理がついていたのだろう、これまでのこととこれからのことを、よこちゃんは涙も見せずに、淡々と(というほど平坦に語ったわけでもないが)語って行った。
もちろんまゆちは泣いていた。

そのよこちゃんが漸く崩れたのは、南さんから手紙を朗読されている時だった。
初めは仲が悪かった(南さんが人見知りというのも大いにあるのだろう、実際、僕も行き始めの頃、最後まで苦手意識があったのが南さんだった)などという話もありつつ、全体的にはシリアスな調子で、何の話だったかは忘れてしまったけれど、南さんが次第に涙ながらに読んで、ついによこちゃんも崩壊して、泣いて。

やっぱり対照的なのはまゆちで、こちらはぴーちゃんが手紙を読んだのだけれど、いつものアホと言うかアホと言うかやっぱりアホと言うか、アホっぽい調子で、年齢相応、いや、もっと幼さ全開で、でもそれだけに純粋が純粋とぶつかって、笑いあり涙ありの実に和やかな式典で。

2名の手紙朗読を終えて、最後に唯一残る初期メンバーとなったひさまつさんが演説していたのだけれど、これがまた見事なもので。
「これも人生だ、と思いました」
という一言が、実に涙を誘って。泣かなかったけれど。

言ってみれば、機動戦士Zガンダムのクワトロ・バジーナ、
「まだだ!まだ終わらんよ!」
という宣言で。
という喩えは、彼の末路をふまえるとあまりしたくないのだが。
しかし、どうしてもそう響いてしまって。

それにしても、立派な演説だった。
節目で立派な演説を出来て、それでをたくの心を掴んで行く、ここにも僕はひさまつさんに、根岸愛さんを感じてしまって。
あの子はもっと、そういうをたくの掴み方に長けているけれど。名文家としてならしており、ブログの文章でもいくらでも掴めるけれど。

式典後、赤く染まるLil' Love、青く染まるMake a Fire。
やっぱりまゆちは冒頭で涙を流し、よこちゃんは朗らかに笑い。
まったくもって無事に、卒業ライブとして過不足なく、つつがなく終演。

その後の、会場を事務所地下に移して行われた特典会のことを書いても、仕方ありますまい。
時間無制限とは言っていたけれど、結局16時から22時半まで、都合6時間半、本当に最後の最後まで一切止めることなく、最後のほうはまあいろいろカオスだったのだけれど、それすら止めることなく、実に稀有な経験までさせてもらって、全くあの日のマネージャーさんとよこちゃんには、感謝しかない。

まゆちにはとにかく錆び付かないでもらいたい。
今までのように踊る機会はないのだろう、それでも、自分を強く持って、決して迎合することなく、自らの最大の恃みとしてきた、そのダンス、これからも研ぎ続けて行ってほしい。

よこちゃんは、言うなれば元に戻るだけなのだ。
それも前の記事で書いた通り。
壇上で演じるということ、それに関する何もかもが、本人にとって実にクリアになった状態で、再び戦場へと舞い戻るだけなのだ。

アイドルだって生易しい世界じゃないが、女優だって勿論生易しい世界じゃない、栄光を掴める、自らの志した自分になれる勝算など碌にありゃしない、それでも夢みる、信じる気に再びなったのなら、その道を走るだけだろうし、どうも話している限りは、進む道がとてもクリアに見えるようになったようだから、別に心配もしていないし、もっとアイドルやってくれればなんて思いもない。
少なくとも精神的には、1年間サンミニとしてアイドルをして、ここで女優に戻ることは、最良の道程だったのではないか。

アイドル・槙田紗子を追いかけた4年半に比べて、それでも4分の1弱はある、アイドル・喜多陽子を見ていたこの1年、しかしそれはとても短い時間だったような気がする。
振り返ってみれば、なんだって一瞬に思えるものだが、それにしても、閃光のような。
フラッシュ。一瞬の明滅。
ひと夏の思い出、くらいの。

あれはなんだったのだろう、と。
なんだったんだろうね。
まあ、楽しかったよね。

よこちゃんも、アイドル、楽しかったようだし。
それでいいよね。
それでいい。

全然、さようならじゃなくて、余裕の、堂々の、またね、だ。
しーゆー、あげいん。