アオイホノオって漫画があるんだってね。ドラマ化もしてるんだってね。全然知らなかった。
そっちからではなく、巨人の悲喜こもごもを軽妙かつ哀愁漂う筆致で描きまくるブログ、プロ野球死亡遊戯さんからのパクリですが、勿論巨人のことも片岡のことも書きません。20年来の巨人ファンですが。


1年も経ってない。

サンミニの喜多陽子が本来の場所へ戻ることを決めた。
…という表現で良いですよね。
女優からなぜだかアイドル界に降り立ったお嬢様が、1周年を前に卒業を発表した。

という表現をすると、随分批判的だなと見られてしまうかもしれない。
そういう意図は一切なく、客観的に書いているつもりなのだが。
あるいは、批判的な人だっているだろう。サンミニは腰かけか、と。

確かに、アイドルをやってみたかった彼女、さこの引いた糸なのか、他の事情なのか、その複合事象というのが正解だろうけれど、たまたま時の流れに乗ってアイドルになっただけなのだろうけれど。
そうやって、サンミニの青担当、喜多陽子が出来上がったのだろうけれど。

踊りに関しては腕利きを集めた集団・サンミニの中で、結局、踊りに関しては後れを取ったままだったかな。
逆に、歌に関しては、ひなちゃんの後として、柔らかな声質に期待していたのだけれど。
壇上で結局、常に笑っていられるまでの余裕は得られなかった気がするけれど、なかなかの視野の広さはあった気もする。
接触は、頭のネジが外れてるのかアホなのか、それとも道化なのか、とにかく人懐っこく良く対応していた気がする、波はあれどだいたい列も長かった。

喜多陽子はサンミニに何をもたらしたのだろう。
アイドル化、なのかどうか。
元々そんなにサンミニを、いや、サンミニッツを見ていなかった私にはわからない。
ただ、ずぶの素人としての喜多陽子が、良くも悪くもサンミニを一般的なアイドルのほうへ持って行ったということは、あるのではないかと思っている。
良くも、悪くも。

サンミニは喜多陽子に何をもたらしたのだろう。
これは明確。もう一度女優として戦っていく気力を与えた。
この1年がなくて、それでも女優としてやって行ったのかもしれない、別に女優に絶望していたわけではないのだろうけれど。
しかし、もう一度、女優でやっていく、その決意を新たに出来たことだけは確かだろう。
何を得たかなんてことは、本人が生メールで饒舌に語っているのだが。

僕はなぜ、ひとまず久松かおりを推しとうたいながらも、喜多陽子に通っていたのか。
これも明確。槙田紗子の友人だからだ。槙田紗子が加担してサンミニに入った子だからだ。
僕にとって、槙田紗子なくして喜多陽子なし。失礼な話だが、事実なのだから仕方ない。
それゆえ、喜多陽子がアイドルを辞めるまでは見なければならないと思っていた。
それは責任をとることだと思っていた。全く勝手な思い込みで、てめえが見たところで何の責任も果たせないしそもそもそんな責任などないのだが。

まったく、ひどいもんだ。
槙田紗子の絡みでしか彼女を語ろうとしない。
しかたがない。
実際、彼女は槙田紗子も多分に救ったし、我ら亡霊も救われたこともあったはずだ、少なくとも僕は救われた部分がある。
もうさこが離れつつある予感もしなくはない(もっとも、少々絡みが我々から見えなくなっただけでこんなことを言われてみたりするのだから、さことしてもまったく余計なお世話であろう)、しかし、鋭敏でへそ曲がりなさこを優しくあっけらかんと受け止めて見せた彼女の姿を見て、安心した亡霊は少なくはなかったと思う。

槙田紗子の置き土産。
この1年間、アイドル・槙田紗子の外伝みたいなものだと思っている。
さこみたいに鋭い踊りもできないし、陽気でアホな道化、そんなにさこと似通うことはなかったけれど。
それはそれで気が合ったのか、なんなのか。
それなりに通って、それなりに彼女と話して、振り返ってみれば、楽しかった、気もする。

多分、残り火みたいなものだ。
朱夏が終わりを告げた2015年5月31日、その時に消えずに残っていた、残り火みたいなもの。
余勢とも惰性ともいう。よく僕と遊んでくれたものだと思う。感謝もしている。

昨年、アイドルは何かのステップか、それともアイドルで燃え尽きるのか、と聞いたことがあった。
1ヶ月以上経って、彼女は答えてくれた。
燃え尽きると。
今年、彼女が出したサイコロの目は逆だった。
申し訳ないなと思った。

たらればをひとつ。

久松かおりの名を叫んでいたりする。サンミニでは。
去年の7月に、さこがサンミニに絡み始めて、じゃあ行くかとなって、誰か一人焦点を定めなければ見られない性分で、可愛いってだけで選んだのがひさまつさんで、その半月後にはサンミニの青色担当が降臨していて。

半月早ければ、久しぶりに青く染まっていたのかもしれない。
AKB48・初代チームB以来の、青。

たらればはいつだって意味がない。
全てはきっと必然なのだ。
片山陽加を推したのも、槙田紗子を推したのも、喜多陽子を推さなかったのも。

たった1年足らずの外伝。
我らを救い、女優としての自らすら救った1年間。

槙田紗子が辞めると決めたことに、気付かなかった。
喜多陽子が辞めると決めたことにも、気付かなかった。
自らの愚かさと鈍さを呪う。そういう能天気なをたくなのだろう、僕は。
何にもわかっちゃいない。

たった1年分の感謝を。
せめて最後に、本気で見て、本気で向かおうと思う。
そこに僕の望む鋭さも何もなくとも、アイドルだった、青く燃えていた喜多陽子を見ようと思う。

こんなことを言ったって、きっとその後もアイドルを見るのだ。
をたくというものはまったくしょうもない。
だからそんなをたくは鼻で笑いながら、いつか帝国劇場に立ってほしいのだ。
くしくも片山陽加と同じ夢。
やたらと好きになった者同士のクロスポイントを見つけてはにやついている。

まったく、をたくなんて勝手なものだ。
そんなをたくに左右されることなく、せめて勝手にやってほしいのだ。
いつだって勝手にやってほしいのだ。