もう1週間経ってしまった(前の記事とまるかぶり)。
本当は何かいろいろ書かなきゃいけないことも書きたいこともあるような気がするのだが、なんせ本題については1週間経っているし、前日に呑み過ぎて吐いてからなんとも頭が重い。
碌に書く気はしないのだが、とはいえとりあえず書いておかなければならないという、半ば妙な義務感によって、パソコンに向かっている。

そんな状態なので、3日間ひとまとめの上、詳述する気もない。

…なんてことを書きながら、まあ、なんというか、今、WOWOWで珍しくスポーツ以外を、『宇宙兄弟』を見ているのだが、その劇中で兄弟が缶麦酒を呑んでいるのを見て缶麦酒を呑みたくなっているし、全く自らの莫迦さ加減には恐れ入るというか、まあ、なんというか。

繰り返すが、詳述する気もない。
旅自体についてもそうだし、フライト内容についても、どの曲の誰がどうだったと書く気はない、第一、書けない。
旅のアウトライン、フライト全体のぼんやりとした印象、その中でフライト自体を詳述するより、数個、書きたいなと思ったことについて書くことで、この3日間の記録としたい。

13日の朝3時に車を出し、3人のパッセンジャーを拾い、9時間以上をかけて金沢へ行く。
書いてしまえばそれだけの話だ。
会場近くのホテルへ車を停め、森のためにちゃおを買う男を見送り、ラーメンをすすり、その後接触、フライト、そして珍しいメンツで呑み、締めのラーメン。

14日は4時間かけて新潟まで行き、朝と昼を兼ね、市場のようなところで刺身とのどぐろの焼き物を食い、フライト1部、接触、タレカツ丼を食い、フライト2部、そのまま車で帰還、家に着いたのは午前3時半。

15日は昼まで眠り、2年ぶりくらいの代官山。





ざっくりとした感触は、金沢は非常に悪く、新潟はこれはこれで有りかと思い、代官山はまったくただの新潟後夜祭で、評するも何もない、という感じ。

金沢と新潟と、特にコンセプト的なものは何も変わらず、序盤で飛ばし、中盤で休み、終盤また仕上げるというもので、セトリからいって新潟の1部はやや繋がりが悪かったかなあというところ。
金沢はだいたい普通に進み、新潟1部は途中にコズミックにて赤推し3名が最前で柵に上って思い思いにやりきった(或いは暴れた)のを皮切りにやたらめったら柵に上るものが出てきて異様な盛り上がりで進み、2部はそれを受けつつやや落ち着きを取り戻しつつやはり大層な盛り上がりで進み、という具合。

金沢が非常に悪かったのは、ひとえに昼食時に呑んだホッピーが変に効いていて、虫の居所が悪かったというか、そんなもんだとは思う。
金沢で何もかも悪く見えたものは、新潟ではそこまで悪いとも思えず。
新潟がよかったというのは、こちら側が好きなようにできて気持ちよく放電出来た、その点も多いにあるとは思うが。
だから、彼女たちがどうこうというより、こちら側の問題。

以下、何点か。
ここから先は事前にさっと下書きしたメモに肉付けして書いているゆえ、文章の流れがよろしくないこともあろうが、勘弁してほしい。

Tap My Toeについて。
金沢から、間奏を伸ばして、さこ演出による振りの追加が行われた。
ねぎを狙う狙撃手4人とボディガード4人による撃って撃たれての寸劇、までも行かないちょっとした小品。

金沢では只の子供だまし、くだらないとイライラしていた。変に間奏を伸ばして、冗長だと感じていた。
新潟ではそこまでのマイナスは感じず、ただ、どうやら今後のツアーでしばらく組んで行くつもりのようだけれど、そこまで売りにするようなものとはやはり感じられなかった。

さこ自身が説明していたのだけれど、最後はテキトーなどと言っていて、そのことからもわかるように、その世界観はそんなに深いものではない。
5月の渋公で見せた、ウィッシュとビーストでの入魂演出、あそこまできっちり作りこんだものであるなら価値もあると思うが、この半端な長さと力の入れ方、いや、さこは前からやりたいと思っていたと何度も言っていることからして結構真面目に作ったものであるのだろうが、それにしても前2つほどのものとは思えない。

一方全国を回るのであればその地方地方にその作品を見たいという人もいるかもしれず、またそもそもなかなかに好評かもしれないゆえ、いろいろな客に話を聞いてみなければ評価などできないとは思う。
少なくとも個人的にはそこまでのものとは思わない、ぼっこぼこに腐すほどとも思わないしさこがやろうと思ったことを実現しているというのはそれはそれで有難いことだが、というのが落ち着いた結果の感想だ。

はっちゃけとPO☆の今後。
金沢と新潟1部では、テニスの錦織君のパロディをやっていたのだけれど、言語道断、こんな子供のままごとを誰が喜ぶのか…
なんて話は散々に前編のときに書いたし、今さら怒るのもそろそろ疲れたのでもう諦めている。
新潟2部のように、流れを途切れさせずに行うのであれば、やはりこんなもので誰が喜ぶのかとは思うが、そんなに目くじら立てず、勝手にやってくれというだけだ。

最近のPO☆さん、緩急はいいのだけれど、まあそれは昨年の夏にさこが言っていて、緩い、湿っぽい、大人の表現、そんなものをも標榜するのはそれはそれでいいのだけれど。
緩いものが出来るようになっているというよりは、単にそれを免罪符にして休んでいるような、前のようにハードなアスリートな公演を嫌っている、そんなようにも思える。

良くも悪くも妙にベテラン的になり、方向性としていろいろなものを取り入れている結果、自分たちが歌って踊って作り上げるという根本的なところからだんだん離れている気がする。
岩村を筆頭に、本当に一時期に比べきつくなっているのかもしれないが、それはひとえにフライトのリハーサル以外に碌にレッスンもトレーニングもしないことによる能力の低下ではないか、とさえ思う。

岩村でさえまだ23,4、まだ老け込む年齢ではない。
いろんな要素をつぎ込んで多方面から楽しませることを試みるのも良いが、まずは原点に戻って、歌とダンスで圧倒する勢いを生み出せるPO☆に戻ってほしい…この方向にもう戻らないことはわかっているのだが、この方向には戻らなくても、仮にひたすら攻める従来のスタイルに戻った場合にかつての自分たちは当然超えていてほしい。

お世辞にも基本的な歌とダンスが上手い連中でないことはわかっているが、基本的なパフォーマンスで人を魅了することを諦めないでほしい。
安易に逃げているように感じる。その点がとても悲しい。
まあ、ここまで腐すほどに(人にもよるが)酷い出来ではないのもまたわかってはいるのだが。

さこについて。
「多少の成長はあると思うけど、自分の理想には程遠くて安心して見ていられない。『あ~、ここはもっと手を伸ばせよ』とか思っちゃう」(Top Yell9月号「PASSPO☆槙田紗子はいつまで“地味”と言い張るのか?」より)

金沢だったか新潟だったかわからないが、確かに手が伸びていないところを何箇所か見つけた。
振り自体は精密機械(何度も言うが、ミスが少ないこととはまた別である)、ピシピシ動くわけだが、後1歩の伸ばせない部分、派手に動けない部分、確かにまあ感じたことは感じた。

そういえば、昔から自らのインナーマッスルのなさをよく口にしていたな、と。
全く何もしていないことはないのだろう、時折ジムにも行っているようであるし、しかし、この点はどうにか解消できないものなのかな、と。
本人がわかっているのであれば。

杏ちゃんの柔らかさと独特の美しさは出せなくても、それと双璧に語られる存在であるなら、それと双璧のパフォーマンスをしてほしいなと。
鬼のようなキレと強さと。流れるような滑らかさだけでなく。
最近、とみに物足りなさを感じるのは何なのだろう、何かを求め過ぎなのだろうか。
槙田紗子のパフォーマンスを美化し過ぎなのであろうか。

柵登り等について。
ライブは彼女たちが壇上で披露するパフォーマンスを見る場所であり、それを明確に阻害する当行為には基本的に反対、自分では絶対にしないというのが基本的な立場である。
ただし、まずヨコフェスやJEJEJEJETのようになんでもあり現場では許されるのかなという感はある(そもそも見ることにそこまで主眼が置かれていない、ような気はする)。
この場で許すことについて明確な論拠はない、感じ方だ。もちろん、どんな場でも許されないという意見はあるだろう。

場が盛り上がり、演者も喜び、その者も満足を得る、そのような形で瞬間的に登って何かを行う、そこまでの条件を満たすものであれば、許すとは言わぬまでもいたしかたない部分もあるのかな、とも思う。
昔に比べればこのあたりの考え方はすっかり丸くなってしまった。

ただただ登るのはそれでは猿である。新潟1部はそんなものが散見された気がする。

Perfect Skyのコールについて。
今はすっかり、落ちサビのみになっている。
初期はねぎはメロでもなんでもやっていたけれど。

僕は落ちサビのみさこコールをする。
この曲については、コールはうるさいという意見も散見される。

最初は僕もそう思っていた。
しかし、だいぶ逡巡して、今の形に落ち着いた。

PSは随分と思いのこもった曲である。少女飛行第2章とも呼ばれるほどの、バンドPASSPO☆の最初の曲、PO☆のリスタートのための曲。
結局、この曲を超えても相も変わらず迷走しているようにも思うが、それでもここから再始動、その思いを込めた曲であることに変わりはない。

入り組んでる情報の谷間で
悔しさを使い古したとしても
君との約束を 忘れたりしないよ
前見て進んでゆくから

PO☆さんが、砂上の楼閣でない真の栄光を求める話、ヲタクが積み上げた金字塔からの苦悩の話は散々聞き飽きた訳であるが、まさしくその十八番、この落ちサビこそがもっともその感情のこもった個所であると思う。
であれば、我々も彼女たちに思いをぶつけてよいのかな、そういうように思う。

それゆえ、真っ直ぐ、柔らかく、少しでも壇上の彼女に近づくように、差し出すように、丁寧に、手を伸ばしつつ、腹の底から彼女の名前を呼ぶ。
出来る限り、丁寧に、怒鳴らないように、細心の注意を払いながら。
力任せに出すような、乱暴なコールは似合わない。出来る限り実声で、少しでも混じり気のない声で。
他の人にはまったくどうでもいいことである。まったく個人的な拘りである。

見るのも真剣なら、コールだってなんだって、自分なりに考えて、拘って、やっている。
まったく、我ながら真摯になる方向が間違っていると思うが、何をするにしても壇上には真剣に向かい合いたい。
それだけの話だ。
無論、只の自己満足であるゆえ、鼻で嗤ってもらって構わない。

まだいくつも書くことはある気がするが、身体が眠りを欲して参りました…