黒バラのセンスは大好き。

ただ、公共の電波を使って放送していいことなのかどうか。

うちの周りにも、注文して最速10分で届けてくる、恐ろしい蕎麦屋があったのだが(今は残念ながら出前業務をやめてしまった)、最速2分45秒、今回も6分とは・・・恐るべし、麹町四天王。


au族にも春が来た・・・のかどうか。

我らが悲しみに打ちひしがれていた、office48メンバーのモバイルメール問題。ようやく今日から、試験的に(無料で!)登録できるようになったらしい。

対応してない機種がわんさかあるらしいのだが、我が相棒こと今年で4年目になるA5507SA君(いまだにWINじゃないんだぜ!)はなぜか登録できてしまった。

ただ、この相棒、メンバーページにおいてある待受用画像すら表示できない、旧時代の遺物。果たしてこれでまともにはーちゃんからのメールを受け取ることが出来るのか、はなはだ不安。

そろそろ買い換える予定ではあるのだが。いい加減、外の塗装の剥げ具合がどうしようもないぐらいになってきている。


さて、ここから垂れ流し。すっきりと月曜を迎えたい方はこんなん読む前にはよう寝てください。お願い。


仁藤ちゃん(またはジンター、もしくは萌ええええええええええ・・・)は確かに可愛い。思わず見入ってしまうくらい、そして萌えええええええええええ!と叫んでしまうくらい(結局まだ叫んだことはないが)、可愛い。

しかし、そこはゆきりんでなくては何かが足りない、のもまた事実。

もっと言うなら、極論、別に仁藤ちゃんでも問題はない・・・「てもでもの涙」を除いて。


「てもでもの涙」は柏木由紀・佐伯美香両名によるユニット曲である。・・・こういう改まった書き方はめんどい。

身長は同じく163センチ、すらっとして(シュッとして)手足はメンバー中でも出色の長さを誇り、比較的顔も大人びて色白なこのお2人。つまり、まあよく似ていらっしゃる。

そして、その2人が感情を抑えて繰り広げる、半ば機械のようなソリッドな、それでありながら誰にでも真似のしやすい(サビ時フリコピ率の高さは異常)振り付け、それこそがこの曲の最大の魅力だ(と俺は勝手に思っている)。


その中でも、俺はいつもこの二人にある種の対立を見る。

すなわち、「静」のゆきりんと「動」の美香ちぃ。

「氷」と「炎」でもいいっちゃいいのだが、きっとこの曲自体が機械的・人形的な抑えた表現を求める曲になっているから、「炎」まで行くと行き過ぎだろう、と。


この2人を比べても、やっぱり美香ちぃのほうが手足が長い(余談だが、「水夫」において、右腕を斜め上に上げ、そして敬礼するシーン、ここでのほかのメンと美香ちぃの違いにはいつもびっくりさせられる)。また、ターン1つをとっても、やはり美香ちぃのほうが大きなモーションをしている。だから「動」。

それに対し、ゆきりん。他の曲ではたまに軟体動物のような(いい意味でね・・・岩隈、西口、あとは時事ネタで巽・・・どうして例えが野球ばかりなんだ)、他の人にはない動きをしてくれるのだが、この曲では表情も引き締め、動きも大きさよりシャープさを前面に出し、一種の人形になりきろうとするかのごとき印象を受ける。美香ちぃと比べても、だいぶ動きが一つ一つ決まっている(気がする)。なので、「静」。


この「静」と「動」の二項対立を2人がきっちり演じきる。とともに、各所で見られる、腕を交差するシーン(バロムクロス!というネタがわかるほど俺は年を取っておりません)、そこで2人のそれぞれ蓄えてきたものがが衝突する(あるいは曲の序盤であれば、そのような2つのもので構成されるある種の純粋な世界、そこへの入り口なんだ、ということを誇示する。「さあ、私たちの曲が始まるよ、しっかりついて来るんだよ」とでも言うように)とともに発される火花。その瞬間が、俺の最も緊張し、身震いするシーンである。


だからこそ、あそこはゆきりんでなければならない。まだ経験の浅い(にしてはまことに良くやっていると思うのだが・・・なんて上から目線、何をえらそうに)仁藤ちゃんでは、どうしてもそこまでのオーラを感じ取れない。動きも、仕方ないのだが、ゆきりんにくらべればまだ緩い。

そして、そのようになると必然的に、この曲の肝である二項対立は弱まってしまい、結果として物足りなさを感じてしまう。だからこそ、ゆきりんのいない日はある種の寂しさを感じるのだ(でも、萌えええええええええええ)


他の曲に関しても、こんなふうにいつかぐだぐだやってみたいものだが、果たして俺にその気力があるかどうか。あったとして、読んでいただける奇特で素晴らしい方々にとってもはた迷惑、こんな長文を書いていいものか?

まあ、書きたければそんなこと知ったこっちゃない、さっさと書いてしまうのだが。