私は葛藤を抜けてから、娘たちの影響で精神世界の本を読み始めました。


少しづつですが、書いてあることが分かるようになってきました。


でも、それは知識として、また自分の経験の裏付けのような感じです。


残念ながら、体感として腑に落ちているわけではありません。

 

 

 

 

私は見えないものを感じたり、人の色が分かったり、人の前世が見えたり、などの特殊な能力や霊感など全くありません。


今も、霊は怖いので絶対に会いたくありません。


宇宙船が来たら、主人を乗せます。主人は好きですから。

 

 

 

 

そんな私ですが、少し不思議な体験をしました。


こんなことは、お話ししてどうかな、と思いましたが


特殊な能力の無い、普通の私の経験が、


逆に、誰にでも起こりうる事なのかも、と書く事にしました。

 

 

 

 

この経験は娘たちのいう「本当の自分に出会う」


manakiの提唱する「心の中の安心」


に近い事かもしれません。


う~ん、違うかもしれません。

 

 

 

 

去年(2015年)の秋、娘たちとの葛藤からは抜けていました。


しかし、実家の両親とは、まだまだ問題を抱えていました。


高齢の両親の様子を見るため、度々帰省をしていました。

 

 

 


もう、明日は大分へ戻るという夜、実父と大喧嘩をしてしまいます。


実父とは、姉が亡くなってから、何度も話し合いますが、話しがかみ合わず


仲の良かった実父を私は理解できなくなりました。


「もう実父さんとは心で分かり合うのは無理、でも表面上だけでも仲良くしたい」


と考えるようになっていました。

 

 

 

 


でも、その夜はまたやってしまいました。


なんと、親子喧嘩に母まで加わり夫婦喧嘩も勃発。


その夜は修羅場と化しました。


今思い出すと、大笑いですが、その時は3人とも真剣です。

 

 

 

 


翌早朝、私は父が寝ている間に荷物をまとめて実家を出ようとしました。


玄関に荷物を置くと、母が座っています。


「私も怒りが収まらん。今から、プチ家出をするからね。」


は~、なんとも似た母娘です。80歳過ぎですよ。大笑いですよね。

 

 

 

 


私はプチ家出の準備中の母を残し車に乗り込みます。


ガリガリに痩せた体にパンツ1枚の姿で実父は慌てて飛び出してきました。


でも、そんな姿の実父を見ても、動揺しない位に私はまだ怒っていました。


そこまでの大喧嘩や怒りは初めてです。

 

 

 

 


頭の中の怒りは、沸騰したヤカンのような状態です。


「あんなお実父さんなんか、大きなのしを付けて誰かにあげよう。」


「動けんなって泣きついて来ても知らん顔してやる。」


「死んでも葬式も出しちゃらんゾ、絶対に。」


「勝手にしろ、バカヤロー!」


何度も、何度も、実父への怒りを頭の中で確かめます。


何度も罵ります。

 

 

 

 

 

怒りに狂った頭で、1時間半ぐらい車を運転した時に、


突然、声が聞こえました。


いえ、心に声が響いてきました。

 

 

 


亡くなった、義父(舅)の声です。

 


「お実父さんに優しくしてあげてな。いいか。頼むぞ。」

 

 

 

 

 

義父はとても大きな人で、家族・親戚・近所などの周りから尊敬され慕われていました。


また義父も惜しみなく周囲に力を貸すような人でした。


県外から嫁いだ私をとても大事に可愛がってくれた人です。


義父の葬式の時、


「私が主人と結婚したのは、この義父と出会うためでもあったんだ。」


と思った事を覚えています。


でも私は、義父の祭壇に手を合わせても、自分の事をいい嫁とは思えず、後ろめたさから、自分の事を義父には何一つお願いする事が出来ずにいました。

 

 

 


「え~、お義父さん。嫁の私の事を、嫁の実父の事まで心配してくれて。」

 

義父の声を聞いた私は、憑きものが落ちるように、怒りがさーと去って行きました。

 

 

 


すると、


「あっ、私、本当は淋しかったんだ。辛かったんだ。

 

ずーと、我慢していたんだ。

 

お姉ちゃんが亡くなってから、ずーとお実父さんと上手くいかず、お実父さんに気持ちが伝わらず、すごく悲しかったんだ。」


と突然、自分では気がつかなかった気持ちが沸き起こってきました。


それから、暫く、運転しながら、大声で泣きました。


「私、辛いんよ、お実父さん。私の気持ちを分かってよ。悲しよ。」


と大声で叫んでいました。

 

 

 

 


泣くだけ泣いたら、今度は義父への感謝の気持ちが込み上げてきて


「義父さん、ありがとう。ありがとう。」


と泣き叫んでいました。


対向車はおばさんが泣きながら叫んでいるので驚いたと思います。

 

 

 

 

 

かなりの時を泣いて叫んで過ごしました。


やっと、泣き止みました。

 

 

 

 


どうしたんでしょう。


秋なのに、私は春の穏やかな空間にいました。



 


「あ~、私、認められているんだ。許されているんだ。」

 


「何も頑張らなくても、このままでいいんだ。」

 


さっぱり意味は分かりませんでしたが、自然に当たり前にこう思えたんです。

 


『何が誰に認められ許されているのか?』


『何がこのままでいいのか?』

 


こんな疑問も起こらず、ありのまま受け取っていました。

 

周りは秋の筈なのに、でも私は、花が咲き小鳥のさえずりが聞こえそうな穏やかな春の空間にいました。

 

 


そして、全く不安がありません。


ただ、ただ、安心した中で優しい気持ち、私自身も全てを愛しているようなそんな状態でした。

 

 

 

1~2時間、そんな、穏やかな空間に存在しながら運転をしていました。


こんなに穏やかで優しい空間は知りませんでした。


もしかしたら、母親に抱かれた赤ちゃんはこんな感じ?と思いました。

 

 

 

 

 

 

 

残念ながら、フェリー乗り場が近づき、


「間に合うかな?」


と現実的な事を考え出すと、私は現実の世界に戻り秋の風景の中を運転していました。

 

 

 

 

いま考えると、実父への「悲しい、辛い、分かって」と言う本音がやっと出てきたのかな?

 

それに寄り添えて、やっと、「自分の中の安心する場所」に出会えたのかな?


と思いますが、正直、私にはよく分かりません。


その後は、残念ながら、この様な経験はありません。


ただ、実父への怒りや悲しみは小さくなり、


少しは優しく実父を見守ることが出来るようになってきました。


そして、義父に「私、元気です。幸せです。」と報告が出来るようになりました。

 

 

 

 

 

娘たちあーすじぷしーから、


「お母さんが運転中に経験したあれ、mahoはインドで沢山、経験をしているよ。」


「それは瞑想の先にあるものよ。」


「それは、ずーとお母さんが求めているものだよ。」


と連絡がありました。

 

 

 

 

 

よく分からなくても、この経験は私にとって、「大切なものだ」という確信があります。


腑に落ちる日もきっと近い、と思っています。


今は、ありふれた日常の中でふと幸せな空間と時間を感じる時があります。


その感じる心を大切にしています。

 

 

 

 

 

今日は私の不思議な経験の話しでしたが、読んで頂きありがとうございます。

 

あなたの心が平和でありますように。

 

あなたが幸せでありますように。

 

 

 

 

☆インドから帰国したあーすじぷしーmahoさんが8月5日にワークを開催します。


貴重なワークになります。


興味のある方は是非どうぞ。(→詳細はこちら)

 

 

 

「俺、かん太。宜しく!!」
「今夜は修学旅行?」

 

昨夜、父ちゃんたちが俺の前に布団を敷いたゾ。
父ちゃんたちの部屋はクーラーがなくて暑~ち。
俺、布団っち初めて見たんだヨ。
広くってヨ、ふかふかしてヨ、気持ちいい~。
俺よ、つい興奮してよ~、走り回ったゾ。
何度も何度もクルクルと走ってよ。
ピョンピョンと跳びはねてよ。
ちょー、おもしれ~。
「かん太、だめ~、やめなさーい!」
と母ちゃんが怒らね~んだよ。
「かん太くんも走って、なんだか修学旅行みたい。」
「お父さん、楽しいね。」ち。
どうしたんだ、母ちゃん?

ふ~ん、これが修学旅行っちもんか~。

父ちゃ~ん、今夜も修学旅行しようゼ。
俺さ、トイレは失敗しなくなったじゃん。

だからサ、今夜は父ちゃんの布団で
一緒に寝てやるよ!!

なあ、父ちゃん、楽しいゼ。