TC療法中なんですけど…ね。 | 卵巣がんになった`zaki‘の空間遊泳

卵巣がんになった`zaki‘の空間遊泳

2006年秋「悪性卵巣腫瘍の疑い」と告げられ、治療→再発転移を幾度も繰り返す。
◆受けた治療:手術4回・化学療法5ライン・放射線1回・がんカテーテル治療15回
◆現在: リムパーザ錠服用中
♫ 卵巣がんと長~くお付き合いしている、現役患者です。

このところ、蒸し蒸し暑いですね~。

→ 本当は家の中引きこもり、一歩も外に出ていない生活の10日目くらいデス

5ライン目の3クールを終えてから、

足の痛みがいつもよりパワーアップドンッ

特に「靴下を履く部分」その中でも「土踏まず~踵」はガチガチに張っていて、タテになてもヨコになっても口から出る言葉は

『うーーイタい
『あーーイタタ

自分でマッサージすると少しは楽になりますが、手のチカラが続きません

『何処もかしこも痛い世界』から帰って来ても、今回はこの痛みが引きずりました

立っている時間が長くなると、足が動かなくなり息切れが始まります。

一歩進もうとしても、足が前に出ません

こうなると、お尻が床を求めて〈座り込む〉か〈ひっくり返る〉のみ。

言葉通り【1歩も歩けない】状態になってしまうんデス。とほほかたつむり

今月は娘が来たので、足の裏~脚の付け根まで踏み踏みして貰えたので越えられました。

娘1号、只今一時帰国中です
(大きく育って来ましたので、重さもバッチリ頼もしいデス)

鍼治療も3回受けて、やっと水面に顔を出せた気がします。

実家に居ると両親の見張り(?)もナニゲに大変なので、白血球の低空予報を2週間後に決めていました。

予報は当たり、CBCの検査日にノイトロジンを1本受けてそのまま南下して自宅に戻った次第です。


今回のプラチナ製剤5ライン目、その都度イロイロな現象(副作用)が変わって来ているのを実感しています。

もちろん‘私ざき特有の現象’デスのでご了承下さい。

発見1
痛い世界に入っている間「爆睡する時間」が長くなりました。

3ライン目までは本も読めたのに、昨年からは点滴始まると同時に『意識不明状態』デス

点滴バッグの交換時も、 お昼が出ているのも分からないくらいです。

発見2
白血球が下がるまでの日数が長くなった

 1-3ライン目は、5日目から下がってノイトロジンのお世話になっていました。

昨年4ライン目は10日目/ 今回は14日目で下がっています。地味ぃに下がり地味ぃに戻りますが、4週目にして「2000スレスレ」しか回復しません。

白血球が低くなると、私は午前中ボーーーとし、身体中がなんとも言えないイヤーな重さ/ダルさに包まれます。

自分の意志に反して‘ 寝こけて’ いることが多いです。
→ いやいや、ケモ中でなくとも寝こけていますが…

薄々感じてはいましたけど、今回のCBC外来に行った15日目❕

「白血球低い= 血圧も低い」事を確認しました❕

私は自分で車を運転して行く派デスので、実家から病院までは苦になりません。

運転中「眠くて眠くて…」という経験も数えるほどデス(アドレナリン全開になりのかなぁ

ですがですが、酷く下がっている数日の朝は「異様に眠い」のです

この日はCDの音楽に合わせて歌っても、おつまみを食べても気が付けば『一瞬クラ~

思い出せば2009年の夏、同じ様にCBC外来に行った帰りにボーと運転して痛い目に遭っています。

信号待ちで見切り発進。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

はい、100%こちらの責任でございました。

しかも偶然にも県のがんセンター近くでして…(私は通院していません。道に迷ったダケです…)

長袖•サングラス•大き目な帽子と異様な出で立ちでしたので、相手の方にバレバレでした

との経験もあり、今回の眠気で確信に至りました~。


今回痛みが長引いているのは、

•副作用の地下生活3日が明けてから直ぐ動き回っていた為か

•回数を重ねて来た為か

きっと両方あるのでしょうが、今回は『浮腫み』もUPしました。

手の指はソーセージみたいに太くなり、体重の増加も水分だった様です。
→自宅で5日過ぎた辺りで戻りました

日々体調不調が続くと、気分も落ち込み気味になります…

このまま動けない日がどんどん増えていくのかしらネェ…

ボソッと娘2号に愚痴ってしまい

「お母さんさぁ、最近言う事もオカシイしいつもボーとしてるでしょ~~。自分でも変な感じがするんだよねー」

とつい口から出てしまいました。

すると娘2号はアッサリ

「治療中は、お母さんいつもそうだよ。なに今更?」

おお、娘よ

忘れていましたわ

治療中だったね、母


3クール目って、結構キツくなる回数でしたよネ

今回は「延び延びTC療法作戦」を実行中の上、シルバーsの見張り番や留守番も兼ねているので

ラフ家にいる目的がいつの間にかすり替わってマシタ

や~ね

病人だもの、当たり前でした。


というより、治療中である事を忘れるくらいボケて来た…汗

いえいえ、両親の見張りの方に意識が入っていたのでしょうね。

だって娘1号を見た82歳の母が私に聞いたコトは

「あれ、もう一人の子は今何処にいるの?三人いたでしょう⁇」

…お母さん…わたしゃ、二人しか子はおりませんよ…

仕方ありません。老化は誰にでも訪れるモノです。

長生きすれば、それなりに恨み辛みもあったでしょう。

その全てをサッパリと忘れてこの世を発つのも、人間幸せなのかも知れないなぁ

と実感しつつ5ライン目の3/4回終え、一休み中の呟きでした

次はまだ先です。なんと7月20日

ですので「第20回OVCAミーティング」に参加させて頂ける事となりました


無理しない範囲で、張り切って参加したいと思っておりまする。

大勢の方々のお顔を拝見できる事を願っています。


では失礼致します足あと