昨日は、大学生の娘の「大学祭」に行ってきました。
昨年行ったときには、いろんな物を食べました。
専攻している語学の国の食べ物を作りますが、はっきり言って美味しくありません(ごめんね、学生に文句言って)
なぜかというと、日本に来ている留学生を含めて「ウチの娘同様に、料理をあまりしていないから」です。
でも、収益金の中からアフリカの子供達の給食費用が多く出せた、と喜んでおりました。
大学生だなぁ・・・。
で今年は「美女と野獣」を上演することにしたらしく、夏休みから一生懸命セリフを覚え・歌/踊り/衣装/舞台道具/照明・・・とそれぞれが結構大変な思いをして、仕上げたそうです。
私は英語版の韓国語字幕で見ましたので、映画館ではよく分かりませんでした。
でも、こどもの幼児期にはディズニーは、必須アイティム。よく子守をしてもらったものです。
しかし、それを仏語ですると聞いた時から「へ~、感張り~」とあまり関心を持たなかったのですが・・・
先月から「お母さん、フォークダンスしてたときの衣装貸して」「この衣装はどうやって作ったらいいの」と、なぜかお声がかかる様になりました。
娘は「ポット夫人」を志願して歌のうまい子とのWキャスト。
スカートを‘かぼちゃ‘の様にしたいと言います。
「う~ん。なら、白の生地の下にハワイアンのスカート履けばボリュームでるよ。はい、これ使っていいよ。」
「ベルの普段着の衣装はブルー?よしよし、これだね。同じ色でこの形のベスト作ったらいいよ」
「村娘?おお、これだね。全部持ってき。」
と、なぜか衣装班?
そして、トドメが「ろうそく(ルミエール)の、手と胸当て作ってくれる?」
ダンボールでは、曲線はうまく作れません。が、カルトナージュの手法を使えば可能です。
家にあったギンギンの布で貼り付けて完成!
実は、結構大変でした。
ろうそくの手先は6角形のすそ広がり。製図を起こしてから作りましたので。
そして先週から「ねえ、歌聴いて。」
私は歌が好きです。高校生のときは、合唱部でないのに助っ人で参加していました。
そして自慢は肺活量。声も大きいです。
しかし、母親の音楽の才能は上の娘には遺伝せず、父親の絵の才能と音痴をしっかり受け継いでいました。
「仕方ない、何とか間に合わせねば・・」
と特訓を重ね、私のほうが歌を覚えてしまいました。
そして、いよいよ本番。私と下の子は「ビデオ係り」のように、ずーっと撮り続けました。
良くできてました。私の作品(笑)→でなく、劇が、です。
大学生の情熱が伝わってきて嬉しかったのです。
いくら勉強とはいえ、舞台で外国語でお芝居をすることは本当に大変なことです。
日本語でさえ頭が真っ白になったら終わりなのに・・・。
私は舞台の怖さを、何度か味わっています。
なので「本当にお疲れ様!」と拍手して帰ってきました。
そして夜遅く帰ってきた娘に
「今日は良かったよ。まあ歌は完璧とは言えないけど、ダンスも衣装もすごく良かった。お疲れ様」
と、励ましたつもりだったのですが・・
ビデオを見ようをと準備しているときに、娘が・・・
「お母さん、私たちはね、本当に大変な思いをしてこの語劇を練習したのよ。ない時間の間をぬって、歌だって、何度も何度も練習したの。
それなのに「雰囲気だけよかった」みたいな事、言うなんてヒドイよ。気分悪い!!」
と叱られてしまいました。
(えっ、精一杯褒めたつもりだったのに・・)と思いながらも
「失礼しました。ごめんなさい。でも、本当によくできていたよ、うん。」と謝って、
一緒に最後まで‘ああだの、こうだの‘いいながら見ました。
はぁ~、難しい
母子でさえこれですからね~。
人の言葉は「言霊」とも言います。
ホント、確かに私の言葉には、彼女たちの努力を理解した気持ちが足りなかったなぁ、と反省しました。
まあ、でもそこは親子。
娘は機嫌を直し、今日も私の財布から「お金ちょうだい」と紙幣を抜いて試験に出かけました。
大学生時代、私のときはどんなだったかな?
思い出そうとしましたが、試験の苦しみ以外の思い出は記憶にありません。
30年以上前の事。・・・まあいいや、思い出さなくたって。
今の私の、土台になっているんだから。
今大切なのは、2人の娘の送る「これからの人生の手伝いをする」ことだ、と思っている私です。