今回は、反抗期というテーマに関して脳内を整理していきたい。みなさんは反抗期を経験しただろうか。思春期に親に反抗することを指すのだが、昔に比べて反抗期を経験しなかった若者の割合が増加しているらしい。
なぜそうなるのか気になるところだが、よく聞く話としては親と友達のような関係であることが挙げられる。友達みたいに仲良いから反抗しないということだ。
もはや、体罰なんて今時されている人は少ないかもしれない。戸塚ヨットスクールみたいな家庭はもう絶滅危惧種なのだろう(戸塚ヨットスクールとは、子供たちに体罰をして成長を促す施設?である)。
反抗期について考えたきっかけ
そんななか、私が関心を寄せたネットの記事には、「反抗期がない子供は危険!」のようなキャッチコピーが書かれていた。記事にざっと目を通してみると、自立していないだとか、対人関係に弱いということが挙げられていた。
ここで、反抗期がないことは本当に危ないことなのかと疑問に感じた。
よって、自身の体験談を交えつつ、はんこうきについて考察していきたい。
自身の反抗期の有無
私に反抗期があったのかを振り返ってみると、あからさまな反抗期ではなかったが、胸の内に「それはおかしいんじゃない」と親を疑う気持ちが生じていたことは確かであったと思う。
幼少期は、大袈裟に言うと、世界は親が中心になっているような感じがした。
親の言うことはすべて正しいと思っていたかもしれない。
そして、ある時気づいたのである。
「実はこの人たちは今までテキトーに生きてきて、今僕に言っていることもテキトーなことなのかもしれない」と。
自分自身がテキトーにこれまで生きてきていたことの自覚が芽生え、親や周りの人も自分と大差ないのではないかという考えである。
思春期は、細かいことにも気を遣うようになる。今まで気づかなかったことに気づくようになる。気づいたことが正しいのかはわからないが、当時は自分の意見がほとんど正しいものだと思っていた。
よって、今までは親の言うことが全てであったのが、間違ったことを言うときもあるのではないかと確信するようなったのである。
親の発言の違和感に気づいたときは、何だか不快でテキトー言うなよと思ったりした。
しかし、声を荒げて感情的になり反抗するようなことはなかった。
これを世間一般の言葉で分かりやすく言うと、感情表現が乏しかったのかもしれない。
胸の内では、違和感を覚え、不快感を味わっていたにもかかわらず、それを打ち明けずに我慢していた。
そして、反対に自分の意見が通らない時には、憤りを感じていた。どうしてわかってくれないんだ。僕は信頼、あるいは信用をされていないなと感じていた。
そりゃあ、十数年しか生きていない子供の言うことなんて、めちゃくちゃなことだったと思う。信用云々以前の話だ。僕はこれまで親と良き関係を築いていたし、突然信頼関係が崩壊したわけではない。
まとめと考察
ここまでの話をまとめると、思春期に細かいところに気づくようになったことで、親の発言が正しいのかと疑問を持つようになった。また、自分の意見が大抵正解であると決めつけて、意見が通らない時に不満を感じていたのが自分の思春期であったと振り返る。
これは、反抗期があったといえるだろうか?
答えはノーかもしれない。
ネットの記事では、「自分の意見を相手に伝える事」、「感情表現」というようなことが焦点になっていた。
僕は結局、思いを相手(親)に伝えないままでいたので、反抗期はなかったのではないかという判定だ。表面上反抗していないので、周りから見れば反抗期のない子供としか見れないだろう。
さて、反抗期がなかった自分は危険なのだろうか??
短絡的に考えれば、危険かもしれない。今後、社会でうまくやっていけるのかという心配が生まれる。
しかし、僕はあまり危機感を覚えない。それは、胸の内に確かなる反抗が見え隠れしていたからである。
確かに、僕は不満を抱きつつも相手に伝えることをしなかった。しかし、それでいいと思っていた。
思ったことを必ず相手に伝える事が対人関係ではない。それに、大切なことは対人関係だけではないのだ。自分の心の中で何を感じて、どう落としどころを見つけるのかということも重要だと考える。
自分が自分の行動に納得できているのならば、たとえ誰かに批判されようとも、信念を貫いてよいのではないだろうか?
ぼくは個人的に、いつまでも親の言うことがすべて正しいと思い込んでいることが本当に良くないことだと考える。相手も人間。自分も人間。さあどう考えよう、というところである。
結び
今回は、反抗期がないことは危険なことかということに関して考えてみた。
反抗したかったらしたらいいし、する必要性を感じないのであればしなくていいのではないのかなという、なんとも曖昧な結論を導いてしまった、、、。
今後は「体罰」は必要かどうかという議論についても考察したい所存!