信は人のよき友,智慧は人のよい導き手である。悟りの光を求めて、苦しみの闇を免れる様にしなよくければならない。とある。よく「信じている」とか「信心に凝っている」という言葉を聞くことがある。しかし、「信心」というものは、するものでも凝り固まるものでもない。いや、むしろ、凝り固まっているこころの凝りを解きほぐすものあると言ってもよいのであろう。「信心」とは私たちの心を解放するものである。開かれていくこころの状態である。そこには真実の明るさがある。
ふたみの加筆
實藤さん おはようございます。
「信じる何かを持つ」ことは、人が生きていく上での基本だと思います。
信仰をしている、してないに関係なく人は「何かを信じて」生きているわけです。信じるものが何もなくなった時、人は自殺の方向に進むようです。
問題は、何を信じるか、これが人生の大きな課題だと思います。
信じる行為は、開いて言うと、以下の名言の通り哲学の世界でもあるように思います。
何かを深く信じれば、誰でも自分の中に大きな
力を見つけだし 自分を乗り越えることができる。