人は皆、誰しも「自分らしさ」と言うものを持ち合わせています。

 

 

年月を重ねていくにつれ、「ピュアな自分」を失っていくことを多くの人が経験しています。

本来の自分に蓋をするようになり知らず知らずのうちに他者に好かれようと・社会の中の正答?に合わせようと自分らしさ、人間らしさを押し殺し、多数派の無難な選択に変わっていく。

 

しかし、多数派の無難なじぶんになっているのは自分では中々気づかないものです。

 

 

私もいつからか他者が求める大多数の正解に合わせるような人生を歩むようになっていました。

優等生でいようと思っていました。

 

与えられたことをやろう。踏み外してはいけない。王道を行こう。

 

 

 

しかし正直なじぶんと向き合わないことで、蓋をすることで本来の自分を失い、出来ないこともできると言うようになり、トラブルにつながるような場面もみられるようになりました。

 

 

そんな中、本来の私を引き出してくれる仲間に出会い、「正直な自分・本当は出来ない自と分・何者かでいようとしていた偽りの自分」と向き合うことを気づかせてくれた仲間と出会い、私は正直な自分でいれるようになってきました。

 

 

蓋をしている自分で過ごしていると、何者かでいようと自分の基準で生きようするので出来なかった時に無駄に落ち込むんですよね。

 

 

これまでの誤り: ネガティブな出来事 ⇨  ポジティブな自分で覆い被せる。

気づいた考え方: ネガティブな出来事 ⇨  できない!を認める。 ⇨ 私はこうゆう自分なんだ。 ⇨ 長期的にポジティブな信念を作る。

 

 

これが今の最善解と気づきました。