ブログネタ:好きなにおい 参加中本文はここから
皆様お疲れさまです

好きなにおいって、ありますよね

木村の好きなにおいは何を隠そう"いちご"でございます


においも味も見た目も好きすぎてかわいすぎて。。。

好きすぎた所為か、ある日突然【苺の国のお姫様
】になるとうなかなかアレな夢を見ました。。。次の日会社で話したら、満場一致で引かれました



いいじゃない

かわいいじゃない
苺

別に誰も「あたし、歩く苺になりたいの
」とか言ってるわけじゃないんですよ

なのに
あぁ、なのに
「あ、そうなんですか。とりあえず疲れてるみたいなんで今日は飲みに行きましょうか」
って失礼な



あゎゎゎ
元の話からそれてる。。。
とにかく誰がなんと言おうと苺のにおいが好きです。

あと、基本的に香水が好きです

メインに使っているのは "ISSEY MIYAKE"です

あとはたまに CHANEL の "CHANCE" です

お仕事するぞー



って気になります

自分の好きなにおいって、かなり生活を左右しますよね

そうやって自分をもっと持ち上げられたらなーって思います

まぁ、焼肉のにおいも好きですけども、、、


みなさま、今日もお疲れさまです。
唐突ですが、木村は DoCoMo と iPhone を使っているのですが
iPhone アプリの "We Rule" にハマっています
簡単に言ってしまえば、プチ箱庭ゲーなのですが
かなり凝ってる&無償なもので、このご時世にありがたく、ガッツリやってます
ですが、昨日から仕様が変わってしまって・・・(′・ω・`)
ちょっぴりしょぼんとしてます


でもでもやっぱりオススメなので
よかったらやってみてくださいませ


唐突ですが、木村は DoCoMo と iPhone を使っているのですが
iPhone アプリの "We Rule" にハマっています

簡単に言ってしまえば、プチ箱庭ゲーなのですが
かなり凝ってる&無償なもので、このご時世にありがたく、ガッツリやってます

ですが、昨日から仕様が変わってしまって・・・(′・ω・`)
ちょっぴりしょぼんとしてます



でもでもやっぱりオススメなので
よかったらやってみてくださいませ



皆様お疲れさまです
今日はお休みですが、いかがお過ごしでしょうか
今日はくもがもくもくしていましたね


でも暖かかったので、早起きして早めにお掃除をすませて
スタバでコーヒーを買って、近所の井の頭公園へお散歩していました

ベンチに座って、昨日のドキュメントレビューの続きを
笑
休日の井の頭公園は、本当ににぎやかで、家族連れやカップルさんがいっぱいでした

人の幸せをみていると、ほっこりしてしまいます。
この気持ちをいつまでも持って生活をしていきたいです
iPhoneからの投稿

今日はお休みですが、いかがお過ごしでしょうか

今日はくもがもくもくしていましたね



でも暖かかったので、早起きして早めにお掃除をすませて
スタバでコーヒーを買って、近所の井の頭公園へお散歩していました


ベンチに座って、昨日のドキュメントレビューの続きを
笑休日の井の頭公園は、本当ににぎやかで、家族連れやカップルさんがいっぱいでした


人の幸せをみていると、ほっこりしてしまいます。
この気持ちをいつまでも持って生活をしていきたいです

iPhoneからの投稿
みなさま、今週も一週間お疲れさまでした

今日は打合せ後、社長とフリーエンジニアの方と一緒に
ごはんをたべに行きました

。。。
ごはんと飲酒の宴を執り行いました

木村JAPAN的に、最もすばらしい開発者というのは
チョコレートパフェにコーンフレークを入れた人と
タルタルソースを考えた人です

どれだけ美味しくなればきがすむのか、全くもってわかりかねるこのデリシャス感
もうなんか、爆発するかもしれん。
ってくらいスペシャルです。
美味しいものをたべてる時、人って優しくなりつつ
幸せでテンションもあがりますよね


もちろん、弊社の社長しかりです!
いつもそうありたいものです。
美味しいものをたべたほっこり感を
"SYNAPSE" を体験した方達にも味わってほしいです。笑


今日は打合せ後、社長とフリーエンジニアの方と一緒に
ごはんをたべに行きました


。。。
ごはんと飲酒の宴を執り行いました


木村JAPAN的に、最もすばらしい開発者というのは
チョコレートパフェにコーンフレークを入れた人と
タルタルソースを考えた人です


どれだけ美味しくなればきがすむのか、全くもってわかりかねるこのデリシャス感

もうなんか、爆発するかもしれん。
ってくらいスペシャルです。
美味しいものをたべてる時、人って優しくなりつつ
幸せでテンションもあがりますよね



もちろん、弊社の社長しかりです!
いつもそうありたいものです。
美味しいものをたべたほっこり感を
"SYNAPSE" を体験した方達にも味わってほしいです。笑
いまから高田馬場でお打合せです
桜木町オフィスからテクテク歩いて
今は京浜東北線でコトコト揺られながら
ドキュメントのレビューピコピコをしつつ
地味に向かっております
そういえば、最近映画になった「ダーリンは外国人」って
昔トレインチャンネル(電車のTV)でやってましたよね
あれが大好きだった木村は、毎日通勤時にガチで見てました

笑
通勤時の大切なほっこりタイムだったので、毎日ニヤニヤしてたんです。
状況を考えると、ただの危険な人ですね、、、
結局。
本も買ってしまい、どっぷりとハマっています。笑
ちなみにトニーはLinux派らしいですよ



桜木町オフィスからテクテク歩いて

今は京浜東北線でコトコト揺られながら

ドキュメントのレビューピコピコをしつつ

地味に向かっております

そういえば、最近映画になった「ダーリンは外国人」って
昔トレインチャンネル(電車のTV)でやってましたよね

あれが大好きだった木村は、毎日通勤時にガチで見てました


笑通勤時の大切なほっこりタイムだったので、毎日ニヤニヤしてたんです。
状況を考えると、ただの危険な人ですね、、、
結局。
本も買ってしまい、どっぷりとハマっています。笑
ちなみにトニーはLinux派らしいですよ



社員のHくんからG Talkで
がむしゃらに突っ込まれた話を1つ
-------------------------------------
Hくん: ちなみに余談ですけど、sharepoint 2010はmossとは言わないですよ
木村: うん。そうだよねMSSになるのかね?
Hくん: それか今までって2003がSPSで2007がMOSSだから
sharepointだけでもいいかもしれないですけどね
木村: 前調べたときに、Microsoft Sharepoint Server 2010 って検索したら
MOSS2010っていっぱい出てきたからそれなのかとおもってたよ。
Hくん: oが変な位置にあるんですがw
MicrOsoft Sharepoint Server 2010的な
木村: 「O」がへんなとこにあるー!!!ww
Hくん: SPS2010とか?
木村: なのかしら。不思議なお話だね。
-------------------------------------
というわけで真相はわかってしませんが・・・
ご存知の方居たら
教えてください
がむしゃらに突っ込まれた話を1つ

-------------------------------------
Hくん: ちなみに余談ですけど、sharepoint 2010はmossとは言わないですよ
木村: うん。そうだよねMSSになるのかね?
Hくん: それか今までって2003がSPSで2007がMOSSだから
sharepointだけでもいいかもしれないですけどね
木村: 前調べたときに、Microsoft Sharepoint Server 2010 って検索したら
MOSS2010っていっぱい出てきたからそれなのかとおもってたよ。
Hくん: oが変な位置にあるんですがw
MicrOsoft Sharepoint Server 2010的な
木村: 「O」がへんなとこにあるー!!!ww
Hくん: SPS2010とか?
木村: なのかしら。不思議なお話だね。
-------------------------------------
というわけで真相はわかってしませんが・・・

ご存知の方居たら
教えてください「やっぱ」の使い方が間違っている件については
もうなんていうか本当に申し訳ない感じで・・・
というわけでお昼は大勝軒で
つけ麺
をがっつりいただきますた
なんか金曜日って、元気のよくなるご飯を
食べたくなるのは木村だけでしょうか


1週間頑張ったご褒美
と
来週も頑張るよっ
って気持ちを
届けるのです
・・・胃に。
ワタクシめの胃に。。。
これ以上書いたらアレな気がするので
とりあえず打ち合わせに向かうことにします
もうなんていうか本当に申し訳ない感じで・・・
というわけでお昼は大勝軒で
つけ麺
をがっつりいただきますた
なんか金曜日って、元気のよくなるご飯を
食べたくなるのは木村だけでしょうか



1週間頑張ったご褒美
と来週も頑張るよっ
って気持ちを届けるのです

・・・胃に。
ワタクシめの胃に。。。
これ以上書いたらアレな気がするので
とりあえず打ち合わせに向かうことにします

(`・ω・´)ついに!!!!!
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1005/19/news055.html
きましたねェ。SIM フリー

キャリア主導型販売の日本にとって
すごい大きな前進というか変化と言いますか。。。
全キャリアでの企画互換性がないことや
各社が使用している周波数帯の関係で
現行機種では無意味になってしまうのでは?
などなど!
問題はありそうですが・・・
SIM フリーになると見えてくるのが
各キャリアさんの料金プラン
や電波の繋がりやすさ
保守・サポート顧客サービス全般による戦いかなぁ・・・と。
わくわくてかてかしながら、流れを見守ることにします

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1005/19/news055.html
きましたねェ。SIM フリー


キャリア主導型販売の日本にとって
すごい大きな前進というか変化と言いますか。。。
全キャリアでの企画互換性がないことや
各社が使用している周波数帯の関係で
現行機種では無意味になってしまうのでは?
などなど!
問題はありそうですが・・・
SIM フリーになると見えてくるのが
各キャリアさんの料金プラン
や電波の繋がりやすさ
保守・サポート顧客サービス全般による戦いかなぁ・・・と。
わくわくてかてかしながら、流れを見守ることにします


皆様、お疲れ様です。
私、木村が昔から大好きな話が WEB に
あったので転載させていただきます。
メディエイターとして、お仕事をしていくことが決まった日
この話を思い出して久しぶりに読んでみました。
そして "SYNAPSE" をご利用頂いているフリーエンジニアの方々と
支えあって、一緒に頑張っていきたいなと心に決めました。
---------------------------------------------------
「人に何かをしてあげること」
私は、比較的やさしい、思いやりのある人間だと自負していた。
長女で、忙しい両親に代わって妹や弟の面倒をみてきたことが習い性となったのか、頼まれごとをされれば、なんでも引き受けてしまうし、少しばかり自分の時間や労力を費やすことになっても、それを惜しむ気持ちにはあまりならない。
だから他人からは、面倒見がいいとか、気配りがあるとか、やさしいとか言われ、そう言われればもちろん悪い気はしないから、自分でも何となくそんな気になっていた。
そんなある日のことである。食事中に私は、友人から意外なことを言われた。共通の友人の窮地を見かねて、私が一肌脱いだ経緯を話し終わった時、彼は小さく溜め息をついて言ったのだ。
「君のやさしさってさ、自己満足的なところがあるよね」
私はカチンときた。「どういうことよ、それ」
「いや、だからさぁ、君は確かに相手のために何かをしてあげているんだろうけど、結局それは、自分の美学をまっとうするためって感じが、ときどきするんだよね。」
彼は言いにくそうに、けれどもきっぱりと私に言ってのける。
私は猛然と反論しはじめた。
「何かしてあげて、それで少しばかりこちらの気分がよくなったら自己満足なの?やさしくしてあげよう、と心掛けていることをしたのに、それは自分の美学を遂行したにすぎないって言葉で片づけるの?それって、あんまりじゃない。もちろん私は神でも仏でも聖人でもないんだから、そりゃあ無垢な心でやってる訳ではないけど、相手のことを思ってやっているのは事実よ」
黙ってしまった彼の前で、私はひたすら言葉を続けた。
「百歩譲って偽善でもいいじゃないの。偽善でやさしくできるほうが、何にもしないより少しはましでしょ?能書きばかり言って、あなたみたいに何もしない人っていうのが一番始末が悪いのよ」
こちらもついつい興奮して、刃の鋭い言葉を投げつけてしまう。彼は苦笑して私を見た。
「ごめんごめん。べつに君を批判してるわけじゃない。人に何かしてもらいたいってことばかり求めている人が多い中で、君みたいにしてあげることを喜べる人は、偉いと思ってるよ。ただ……。 そこで立ち止まっているのは君らしくないと思ってるだけ。」
話はそこで終わり、気まずいまま私たちは店を出て、ほとんど会話をすることなく駅まで歩き、そしてそのまま別々の電車に乗った。下り電車はまだ混んでいて、私は吊り革にぶら下がりながら、さっきの友人の言葉を思い返した。腹は立つのだが、何となく気になる。残念だが心の奥底が、どこかで彼の言葉を認めているような気もしはじめていた。
ふと昔聞いた仏教説話を思い出す。
それは地獄を釈迦が歩いている時のことだった。地獄に落ちた人々が、釈迦に向かって口々に「食べ物をくれ!」と叫ぶ。釈迦はその言葉を聞き、大皿に食べ物を山のように盛り、人々の前に置いた。そしてこう言ったという。
「食べても良いが、手掴かみではいけない。この箸を使って食べるように」
差し出された箸は、重くて長い箸だった。人々は釈迦が歩み去るのを待ちかねて、箸に手を延ばし、食べ物を口に入れようとした。ところが箸は長いので、食べ物を箸の先が掴んでも、遠くてそれを口に入れることができない。ならば箸の下のほうを持って……と試みても、箸は重いので、今度は満足に操ることもできない。
結局、目の前に山のような御馳走があるのに、それらを口に入れることができないのである。人々が泣き叫んでいると、ある一人の老人が何事かを思いついた。
箸で食べ物を掴んだら、自分ではなく、目の前の人の口に入れるのである。食べさせてもらった人は、もっと食べたいから、その人も箸で食べ物を掴み、自分の口ではなく、目の前の他人の口に入れる。
自分ばかりが食べようとしている時には口に入らなかった食べ物が、人に食べさせることによって自分の口に入る。人を思いやることが、結局は自分に戻ってくることにつながるのだ……というような話だった。
こういう戒めはキリスト教にもある。聖書には「自分がしてほしいと思うことは、人にもそのとおりにせよ」という言葉がある。ごくごく基本的な「思いやり」の教えなのであろう。
けれども、あの仏教説話を聞いた時、確かその話をした人は、こんなことを付け加えていたのではなかったか。
「これは、思いやりは大切だという教えではありますが、もう一つ大切なことが隠されています。それは、人が誰かのために何かをするという行為は、所詮、自分への見返りを期待してのこと。仏の慈悲と同じだと思い上がってはいけない……ということです」
友人はこのことを言っていたのだろうか。自分の行為を仏と同等に扱ってはいけない。それは思い上がりであると言いたかったのであろうか。
私は決して、何かを人にしてあげる時、具体的な見返りを期待しているわけではないと思っているが、でも心の底には、そうする自分を見て満足するとか、人の評価を聞いて満足するというような、精神的見返りを持っているところが皆無とは言いがたい。
私は窓の外に目を遣りながら、じっと考えた。聖書の中に、こんな言葉もあったっけ。
「人がその友のためにいのちを捨てること。それより大きな愛はない」
見返りを求めず、自分の身を投げうつことが愛というならば、私がささやかにしている行為など、愛の足元にも及ばない。
私は胸が苦しくなった。
してもらうことを望むより、してあげることの喜びを感じられるほうがいい。偽善でも見返りを求めるような気持ちがあっても、やさしさを表さぬよりは、表したほうがいい。
けれども、そこは第一のステップにすぎない。その上に、階段はずっと続いているのである。私はその階段があることに気づいていなかった。…いや、気づいていたのかもしれないが、面倒で、見ないようにしていたのかもしれない。
友人はたぶん、そういうことを言いたかったのだろう。
けれども、だとしたらいったい私はどうしたらいいのだろう。どんなふうにすれば、せめてもう一段、階段を上がれるだろう。
帰宅後、私は思い余ってさきほど別れた友人に電話をした。電車の中で気づいたことを素直に告げた後、どうすればいいのだろうと尋ねたら、彼は笑いながら言った。
「感謝感謝」
「え?」
「神や仏の愛はもちろんだろうけれど、たとえば・・・・・
植物はさ、あなたのために無償で空気を提供してくれてるんだし、太陽はさ、何の見返りもなくあなたを暖めてくれてる。人は誰もみんな、気づいていないかもしれないけど、もの凄い『やさしさ』を与えられながら生きているわけよ。
それを思えば、君は誰かに何かをしてあげた時、きっと自己満足なんかしないと思う。
むしろ、あたりまえだと思っていた街路樹やこもれびにサンキューって言いたい気分になると思う。偉そうなこと、俺も言えないけどね」
私は体中が温められたような気分だった。
その友人は二年後に亡くなった。
周囲の人の殆どは知らなかったが、彼はずいぶん以前から重い病を抱えていたという。
もちろん私もそんなことはまったく知らなかった。
郷里に住む高齢のご両親にかわって、友人たちが彼のアパートの整理をした。そのうちの一人が、後日、私に電話をしてきた。
「彼の部屋は貼り紙だらけだった。テレビには『笑いに感謝』、流しの水道には『水に感謝』、トイレには『排泄に感謝』、ベッドには『眠りに感謝』、それに……薬の入った箱にまで貼ってあるの。何て書いてあったと思う?
『病気に感謝』って書いてあったのよ」
彼女はそういうと電話口で泣きだした。
人に何かをしてあげること。
それはもしかしたら、自分が目に見えぬ多くのものに守られ愛され支えられていることを素直に感謝する瞬間なのかもしれない。
次のステップはまだ遠い。でも私はあの友人のおかげで、ほんの少し心の階段を上ることができたかもしれないと思っている。
(こうづ かんな)
私、木村が昔から大好きな話が WEB に
あったので転載させていただきます。
メディエイターとして、お仕事をしていくことが決まった日
この話を思い出して久しぶりに読んでみました。
そして "SYNAPSE" をご利用頂いているフリーエンジニアの方々と
支えあって、一緒に頑張っていきたいなと心に決めました。
---------------------------------------------------
「人に何かをしてあげること」
私は、比較的やさしい、思いやりのある人間だと自負していた。
長女で、忙しい両親に代わって妹や弟の面倒をみてきたことが習い性となったのか、頼まれごとをされれば、なんでも引き受けてしまうし、少しばかり自分の時間や労力を費やすことになっても、それを惜しむ気持ちにはあまりならない。
だから他人からは、面倒見がいいとか、気配りがあるとか、やさしいとか言われ、そう言われればもちろん悪い気はしないから、自分でも何となくそんな気になっていた。
そんなある日のことである。食事中に私は、友人から意外なことを言われた。共通の友人の窮地を見かねて、私が一肌脱いだ経緯を話し終わった時、彼は小さく溜め息をついて言ったのだ。
「君のやさしさってさ、自己満足的なところがあるよね」
私はカチンときた。「どういうことよ、それ」
「いや、だからさぁ、君は確かに相手のために何かをしてあげているんだろうけど、結局それは、自分の美学をまっとうするためって感じが、ときどきするんだよね。」
彼は言いにくそうに、けれどもきっぱりと私に言ってのける。
私は猛然と反論しはじめた。
「何かしてあげて、それで少しばかりこちらの気分がよくなったら自己満足なの?やさしくしてあげよう、と心掛けていることをしたのに、それは自分の美学を遂行したにすぎないって言葉で片づけるの?それって、あんまりじゃない。もちろん私は神でも仏でも聖人でもないんだから、そりゃあ無垢な心でやってる訳ではないけど、相手のことを思ってやっているのは事実よ」
黙ってしまった彼の前で、私はひたすら言葉を続けた。
「百歩譲って偽善でもいいじゃないの。偽善でやさしくできるほうが、何にもしないより少しはましでしょ?能書きばかり言って、あなたみたいに何もしない人っていうのが一番始末が悪いのよ」
こちらもついつい興奮して、刃の鋭い言葉を投げつけてしまう。彼は苦笑して私を見た。
「ごめんごめん。べつに君を批判してるわけじゃない。人に何かしてもらいたいってことばかり求めている人が多い中で、君みたいにしてあげることを喜べる人は、偉いと思ってるよ。ただ……。 そこで立ち止まっているのは君らしくないと思ってるだけ。」
話はそこで終わり、気まずいまま私たちは店を出て、ほとんど会話をすることなく駅まで歩き、そしてそのまま別々の電車に乗った。下り電車はまだ混んでいて、私は吊り革にぶら下がりながら、さっきの友人の言葉を思い返した。腹は立つのだが、何となく気になる。残念だが心の奥底が、どこかで彼の言葉を認めているような気もしはじめていた。
ふと昔聞いた仏教説話を思い出す。
それは地獄を釈迦が歩いている時のことだった。地獄に落ちた人々が、釈迦に向かって口々に「食べ物をくれ!」と叫ぶ。釈迦はその言葉を聞き、大皿に食べ物を山のように盛り、人々の前に置いた。そしてこう言ったという。
「食べても良いが、手掴かみではいけない。この箸を使って食べるように」
差し出された箸は、重くて長い箸だった。人々は釈迦が歩み去るのを待ちかねて、箸に手を延ばし、食べ物を口に入れようとした。ところが箸は長いので、食べ物を箸の先が掴んでも、遠くてそれを口に入れることができない。ならば箸の下のほうを持って……と試みても、箸は重いので、今度は満足に操ることもできない。
結局、目の前に山のような御馳走があるのに、それらを口に入れることができないのである。人々が泣き叫んでいると、ある一人の老人が何事かを思いついた。
箸で食べ物を掴んだら、自分ではなく、目の前の人の口に入れるのである。食べさせてもらった人は、もっと食べたいから、その人も箸で食べ物を掴み、自分の口ではなく、目の前の他人の口に入れる。
自分ばかりが食べようとしている時には口に入らなかった食べ物が、人に食べさせることによって自分の口に入る。人を思いやることが、結局は自分に戻ってくることにつながるのだ……というような話だった。
こういう戒めはキリスト教にもある。聖書には「自分がしてほしいと思うことは、人にもそのとおりにせよ」という言葉がある。ごくごく基本的な「思いやり」の教えなのであろう。
けれども、あの仏教説話を聞いた時、確かその話をした人は、こんなことを付け加えていたのではなかったか。
「これは、思いやりは大切だという教えではありますが、もう一つ大切なことが隠されています。それは、人が誰かのために何かをするという行為は、所詮、自分への見返りを期待してのこと。仏の慈悲と同じだと思い上がってはいけない……ということです」
友人はこのことを言っていたのだろうか。自分の行為を仏と同等に扱ってはいけない。それは思い上がりであると言いたかったのであろうか。
私は決して、何かを人にしてあげる時、具体的な見返りを期待しているわけではないと思っているが、でも心の底には、そうする自分を見て満足するとか、人の評価を聞いて満足するというような、精神的見返りを持っているところが皆無とは言いがたい。
私は窓の外に目を遣りながら、じっと考えた。聖書の中に、こんな言葉もあったっけ。
「人がその友のためにいのちを捨てること。それより大きな愛はない」
見返りを求めず、自分の身を投げうつことが愛というならば、私がささやかにしている行為など、愛の足元にも及ばない。
私は胸が苦しくなった。
してもらうことを望むより、してあげることの喜びを感じられるほうがいい。偽善でも見返りを求めるような気持ちがあっても、やさしさを表さぬよりは、表したほうがいい。
けれども、そこは第一のステップにすぎない。その上に、階段はずっと続いているのである。私はその階段があることに気づいていなかった。…いや、気づいていたのかもしれないが、面倒で、見ないようにしていたのかもしれない。
友人はたぶん、そういうことを言いたかったのだろう。
けれども、だとしたらいったい私はどうしたらいいのだろう。どんなふうにすれば、せめてもう一段、階段を上がれるだろう。
帰宅後、私は思い余ってさきほど別れた友人に電話をした。電車の中で気づいたことを素直に告げた後、どうすればいいのだろうと尋ねたら、彼は笑いながら言った。
「感謝感謝」
「え?」
「神や仏の愛はもちろんだろうけれど、たとえば・・・・・
植物はさ、あなたのために無償で空気を提供してくれてるんだし、太陽はさ、何の見返りもなくあなたを暖めてくれてる。人は誰もみんな、気づいていないかもしれないけど、もの凄い『やさしさ』を与えられながら生きているわけよ。
それを思えば、君は誰かに何かをしてあげた時、きっと自己満足なんかしないと思う。
むしろ、あたりまえだと思っていた街路樹やこもれびにサンキューって言いたい気分になると思う。偉そうなこと、俺も言えないけどね」
私は体中が温められたような気分だった。
その友人は二年後に亡くなった。
周囲の人の殆どは知らなかったが、彼はずいぶん以前から重い病を抱えていたという。
もちろん私もそんなことはまったく知らなかった。
郷里に住む高齢のご両親にかわって、友人たちが彼のアパートの整理をした。そのうちの一人が、後日、私に電話をしてきた。
「彼の部屋は貼り紙だらけだった。テレビには『笑いに感謝』、流しの水道には『水に感謝』、トイレには『排泄に感謝』、ベッドには『眠りに感謝』、それに……薬の入った箱にまで貼ってあるの。何て書いてあったと思う?
『病気に感謝』って書いてあったのよ」
彼女はそういうと電話口で泣きだした。
人に何かをしてあげること。
それはもしかしたら、自分が目に見えぬ多くのものに守られ愛され支えられていることを素直に感謝する瞬間なのかもしれない。
次のステップはまだ遠い。でも私はあの友人のおかげで、ほんの少し心の階段を上ることができたかもしれないと思っている。
(こうづ かんな)


