これを「評して」しまっていいのかどうかの判断には迷うなあ。何せ嵌りすぎてるから…。

ラーメンズ DVD-BOX
 今日のお題は第11回講演"Cherry Brossom front 345"。
 実は、爆笑オンエアバトルでラーメンズを知り、面白い、と思って最初に借りたビデオがこれでした。今はもちろん、DVDBOX購入済みですよ!
 何が良い、って芸術肌も良い、シンプルな衣装・演出で最大限の効果を出すのも良い、独特のキャラクターを最大限に生かす手法も良い。しかし、何よりも言葉遊びの巧みさと、文学的構成力、つまりこちらの想像力を掻き立てるようなストーリー設定だ。欠けているものがあると意図的に人はそこへ想像力を働かせる。今時、割とTVで流行になってるお笑いにおけるコントは、大半がわかりやすく、見やすく、インスタントに笑いをとるために設定をかなり明示して始められる。つまり、想像力の入り込む余地がないのだ。漫才、という形のイントロをつけたコントも多い。説明的で、それを聴いている間に飽きることすらある。そしてまた、その場面設定が、我々が日常生活で「ああ、あるなあ、こういうこと」って思うような設定。そしてそこでのボケも、我々一般人の想像力を簡単には超えてこない。そこが異なるのがラーメンズだろう。はまったのは、正にそういうところだと思う。思いこまされる設定が二転三転するのだ。「えっ?!そういうことだったの?」という驚きは、驚愕だけではなく意外と楽しい。よく「シュール」と表現されるが、「シュール」でなくして芸術はあり得ないんだよ?と言い聞かせてあげたくなりますね。そしてプロフェッショナルとして描くものは須く芸術性を内包していないと面白味に欠ける、ということ。
 舞台という背水の陣で行われる嘘のつけない緊迫感。まあ、そりゃ生だけにトラブルはあるんでしょうけど(ライブ見に行ったから、そういう場面も何度か見たし。)しかし、それをアドリブとして整理してしまうだけの胆力もある。
 御託はここまでかな。"Cherry Brossom..."が面白かったのは、ネタのばらけ方、一つ一つの完成度、バランスの全てに於いて最も良かった気がする。一貫した思想性を持つような構成を取ることが多いだけに、その点に関してはちょっと落ちるかもしれないが。
 僕が最も惹かれたのは「本人不在」、「レストランそれぞれ」「小説家らしき存在」と題された3つのコント。
 1つ目は受信料の取り立てと回避のやりとり、だんだんと本人不在をいかにして納得させるか、みたいになっていく…。いくつかのやりとりはリズムが秀逸。言葉遊び的楽しさもあるし、2人の人物設定が意外な方向へ飛んでしまったり…。すごいよ~。あんな風に某○H○の集金人を撃退してみたい!笑。
 2つ目は2人で6役をこなす多軸展開のコント。過剰に爽やかな小林賢太郎のボーイに注目。笑。しかも、その多重役をこなすことを自覚している台詞まで出す小憎らしい演出。マンガの中で「マンガじゃないんだから」とやられるよりさらに面白かった。その台詞が出てくるタイミングもまた秀逸。
 そして最後。これは最も観客の笑う場面が少ないかもしれないが、かなり面白かった。大江健三郎とか菊池寛あたりを意識したな~って感じの小説家らしき小林、編集者らしき片桐。突飛で、ありえないけど合理性もなくはない設定。既出の安部公房の「人間そっくり」で自分が火星人か地球人か、答えられなくなっていくのと類似した技法で、編集者の立場、小説家の正体が揺らぐ。コミカルでありながら、安部公房的、カフカ的な不気味さをも内在する展開に、僕は圧倒される思いだった。量子統計力学でいう2準位系?そして励起されそうで励起されず…というかそもそも自分はどっちにいるのか?と分からなくなってくる展開。そして最後に、答えを出した様で、決定的にしないまま終わる…。もう、最高ですよ。決定打を放たず、結論を曖昧にしたまま終わるなんて、最近のハリウッド映画にゃ出来ない相談でさ。僕が小説の中でだけ見てきた曖昧な終焉の美しさを、まさか舞台上で表現してくれるとは…。
 是非ご一見あれ。
最近流行(らしい)のこちら。

ダ・ヴィンチ・コード /ダン・ブラウン(角川書店)
 久々にミステリーなんて読みました。しかも、テンションを下げたくなかったので一気読み。
 ミステリーとしての質は中の上くらいかな。アガサ・クリスティやエラリー・クイーン、ディクスン・カーあたりの傑作に比べるとちょっと見劣りするけど、シャーロック・ホームズの魅力をさっ引いた上でのコナン・ドイルと比べれば上々。何でこれを読む気になったかと言えば、キリスト教の、特にカトリック教会が塗りつぶしてきた歴史に興味があるから。
 僕が比較的好む中世以前の中国史は、ヨーロッパにない特色がある。それは、中国であれば統一王朝が出来ると必ず、その前の時代に関する史書を公史として編纂するという、貴重で尊い習慣があった。しかしヨーロッパは全てカトリックとプロテスタントの歴史しかない。アルビジョワ派だとかグノーシス派、ネストリウス派、ボゴミール派なんて、全然書かれていないし、例えばフランスでパリを中心とするメロヴィング朝・カロリング朝あたりの影響力を排斥し続けた南仏諸侯の話もあまり聞かない。スコットランドもそうだし、カルマル同盟諸国の歴史も少ない。バルカン半島の宗教・政治史もあまりに貧弱な歴史しか、世界史の教科書類には出てこない。何か繋がらない感じがして非常に嫌だったのですよ。
 まあ、それを埋めてくれと思ったわけではないけど、そういう古代からの歴史に根ざした題材を取り上げたミステリーなんて、面白いんじゃないかな、と思ってしまったわけで。ある部分の事実はそのまま引用しているわけだし。フリーメイスンとかシオン修道会とか、昔から気になっていたキーワードも結構あったしね。
 で、結論。まあ、それなりに面白い。うん。ミステリー嫌いじゃなければ読む価値もあるかも。文体、登場人物の構成はまずまず。主犯格の黒幕が誰かって疑問も、割と後半まで幾つかの思考の選択肢を遺してくれた。結論も、ある程度の予測はできても完全な形での予測はできなかった。そういう意味では上々のミステリーじゃないかな。文体はさっぱりしていて、訳も悪くない。そして、僕にとっては鏤められた古代史・キリスト教の陰の歴史のキーワードが何より魅力的だった。テンプル騎士団とか十字軍とか、キリストの生涯、新約聖書及び旧約聖書、その辺の知識があるとかなり楽しめるでしょう。本当はフランク王国崩壊直後のフランスに関する歴史書が色々、民間史なんかも合わせて読めると更にいいんだろうけど、日本じゃあんまりお目にかからないもんなあ。そこは贅沢は言えませんけどね。
 そうそう、僕の<物語>に対する判断基準、<読みながら自分の脳裏で自然に場面場面の絵を構成して追っていけるか>という点については、十分にクリアしてました。ちょっと楽しい秋の夜長だったかな。
今日はこれ。

 シューマン 交響曲第1番<春>& 交響曲第3番<ライン> [ズビン・メータ / ウィーンフィルハーモニー管弦楽団] 

 ええと。昔のDECCAのベスト100とかに入ってたヤツで、今はAmazonとかではジャケ写が見つかりません。
 基本的に軽妙。ウィーンフィルじゃなきゃ、こんな軽妙なシューマンはできないかもしれません。音の質がとにかく軽くて美しい。ヴァント / 北ドイツ放送響も聴いたけど、もっと泥臭い感じ。どちらが真のシューマンか、と言われれば生粋のドイツ人であり、デュッセルドルフやドレスデンを中心に活動していたことを考えると、北ドイツ放送響のもののほうが音の真の姿を見せているかもしれない。しかし、それを越える魅力を作り出している。ウィーンフィルの実力なんて、今更こんなところで書く必要もないけど、音楽の軽快なスピード感に魅了され、その点に関して際立った感銘を覚えたのは、これ以外にマゼール / フランス国立管の<木星>くらいだろうか。そしてそのスピード感が、またシューマンの交響曲によく合う。これほど合うのか、と思うくらい。
 もし見つけたら一度聴いてみるといいかもしれません。
いきなり変なこと言ってるようですが

人間そっくり 安部公房 (新潮文庫)
 安部公房の中期以降の作品に多いのは、描写と設定の奇怪さ。僕はそこが非常に面白いと思って病みつきになってしまっているのですが。もし安部公房ワールドに入るとしたら、入りやすいかな、と思うのが<人間そっくり>です。火星人を標榜する人物設定でラジオパーソナリティをやっていた男の元に、火星人を自称する人間が来訪して素性を問い始める…。あなたは地球人ですか?火星人ですか?火星からやってきて使命を忘れて地球に居着いてしまった火星人がいるんです…。
 実際馬鹿馬鹿しいかと思われるような設定だが、仮に来訪可能な地球外生命体がいて、姿が人間そっくりだとしたら、自分がどっちの出自か、なんて問いには、確たる客観的証拠はないわけで。日常、当然だと思っている、数学的に言うなれば<公理>にあたる自明のアイデンティティ。しかしそれは、ちょっとした異なる条件が出現しても本当に確かな自明なのかと問われて明確に答えられる人がどれだけいるだろうか。日常の<当然>に波紋を投げかける安部公房得意の手法が、短いながらも存分に発揮され、味わえる小説です。
講演・書簡集なので、全部読み切った訳ではありませんが…。

ドイツとドイツ人 トーマス・マン / 青木順三 訳 (岩波文庫)
 表題作品、というか講演は第2次大戦直後の亡命先のアメリカで行われた。

 自己の民族の特質と世界の関わり方、その結果生まれた悲劇を読み解す。決して戦勝国アメリカに諂う訳ではなく、ドイツ民族の不器用さ、謹厳さを称揚しつつも、それをドイツ的田舎的な汎世界主義、ドイツ的世間知らず、といった表現でドイツ人の美徳の感覚が国際情勢について行けず、その隙間に悪魔が降りた、というような言い回し。マルティン・ルターが宗教改革でドイツ人の精神に与えた影響の功罪を論じ、またドイツ人はロマン主義的であり、そのドイツ的ロマン主義の精神的支柱だったゲーテは、しかしドイツの恒久的な精神の柱とはなり得なかった…。と続く。第2次大戦の直後、更にアメリカにいるからこそ、<ドイツ人>を冷静に、かつ美点汚点併せて論じ、ドイツが歴史的に培ってきた過ちを断罪すると共にドイツに対する将来の希望を守らんとする姿勢は、凛然たる知識人、斯くあるべき知識人の姿を目の前に焼き付けられた感じになる。
 彼の語るドイツ論は、特定の部分を除くと、日本人の精神性にも共通の部分をいくつか、語り上げているように見える。そして、日本もこのように日本人を正面から見つめ、認識し、世界に向かって説明しようとする高邁な知識人が必要だったのだろう、と痛切に感じる。しかし日本の知識人は、特に夏目漱石を除く明治以降の哲人たちの多くは比較的内向的であり、社会に対する道義的責任を果たさずに来てしまった。ある種の武士道精神のようなものが勝ってしまったということだろうか。武士道精神って、江戸時代に徳川幕府が一般の武士が力を持たないようにするために作り上げ、流布させた精神論なのにねえ。

 ドイツは大統領は国家の精神的支柱であり、思想的リーダーだ。そして、第2次大戦後、反省と未来への建設、周辺諸国への謝罪と建設的努力を最大限にしてきたと思う。思想家、社会的地位の高い人々が、このトーマス・マンと同じようにドイツ民族と向き合い、考察を繰り返してきた。
 ちょっとどこぞの国の首脳にも見習って欲しいくらいですな。みっともない配慮欠如で周辺諸国と不協和音出してる場合じゃないんですよ、ほんとに。日本でそういうことを十分に行ってきて今でもそれを続けている一線級の文化人ってのは、大江健三郎くらいなんだろうな。
 いきなり更新滞り気味で。なんだかねえ、と思われてるかもしれません。学生だけど暇じゃないんだってば!
 今日、最初のReviewはこちら。
iPod5th
iPod Fifth Generation 60GB
 ん~。最高。笑。今まで、1st Generationと3rd Generationを続けて買ってきたけど、更に楽しい。画面が2.5inchと大きくなった上、解像度も高くなって、非常に見やすく。サイズ的には同じく所有品のPanasonic、LUMIX FZ-20のファインダーと同じサイズになるけど、ファインダーとしての機能より、"見る"ことに特化した分だけ美しいです。iTunesでアルバムのジャケ写とか登録しておくと、ちゃんと表示される。しかも写真を見ることが出来る上、かなり解像度もよく、何より驚いたのはクリックホイールでコマ送りすると恐ろしく早く写真をブラウズできること。デジカメの比じゃない!それでいて、今までの20GBの3rd Generationより薄いのです。60GBなのに。前の20GBも3GBくらいしか空きなかったしね。40GB残ってればかなり余裕があるぞ~。ということで、昨日は不可視ファイル可視化のTinker Toolsを使って前のiPodから曲を転送。いやあ、15GB転送は時間かかった。再生時間はぶっ通しで1.2weekだそうで。前見た時は"days"単位だったのに、遂にweekに突入かあ…。
 本来のホームページを飛び出して本と音楽のblogを。.Macはいいんだけど、この辺の機能がやっぱりイマイチなので。
 で、初回なのでこの際、HPといいここのIDといい、何故Symphony No.5か、と。
 要は第5交響曲に好きな曲が多いのですよ。もちろん5以外でもあるけど。僕はホルン吹きでもあるので、ホルンのカッコイイ曲は必然的に好きなのです。そういう意味でチャイコフスキー、シベリウス、マーラー、ドヴォルザーク(旧番号だと<新世界>が5番なのです。)等々…。

 ということで、最初のReviewはこちら。

チャイコフスキー 交響曲第5番 [ヴァレリー・ゲルギエフ / ウィーンフィルハーモニー管弦楽団]
 何という圧倒的なチャイコフスキーだったんだろうか!同じチャイコフスキーの交響曲第5番は結構色々と聴いてきてはいたけれど…。生演奏並みの衝撃でした。もちろんライヴ録音という臨場感はあるんだろうけど、スピーカーから聞こえてくる音では今までで一番圧倒されたかな。
 何がすごいって、ライヴなのにあの完璧な演奏!ウィーンフィルがゲルギエフの棒に最大限の反応を示している様子がまざまざと現れている。一番好きなのは、それまでの全ての思いの丈を溢れ出させてしまいたい衝動を抑えこむかのように、"熱っぽい抑制"でコントロールされた最終楽章冒頭の弦楽器の主題。たまらないです。聴いてるだけで溜息が出そうで、何か感じ入るものがあって肩に力が入ってしまう。スコアを読んでも、ここはそういう音楽なんだろうな、と思うことはあったけど、全体的にCDで聴く分には"手綱を締めている"感じ。競馬でスタート直後で騎手(指揮者)がどこかに冷静さを以て周囲を見ながらきちっと抑えている感じの印象がほとんどだった。この演奏は違う。当然、きちんとした音楽家としての理性はもっていようが、印象として受けるものは、蓄積した感情を爆発させる寸前に顔を見合わせてほとんど息を止めた状態でいるような、そんな感じ。
 ここ数年で最高のCDだと思います。僕の主観で。