久しぶりの投稿となる「シューマン/ピアノ作品全集」―9枚目の今回は、中期の傑作「森の情景」をはじめ、シューマン最期の作品「天使の主題による変奏曲」(幽霊変奏曲)、初期の野心作「ピアノ・ソナタ第3番」などが収録されている。

 

 

 

 

【CD 9】
1. 森の情景 Op.82
2. 「主題と変奏」 変ホ長調 WoO.24「幽霊変奏曲」
3. ピアノ・ソナタ第3番ヘ短調Op.14「グランド・ソナタ」
4. 「鬼ごっこ」(子供のためのアルバムへの追加曲 WoO16より)
5. 創作主題によるアンダンテと変奏 ト長調 Anh. F7「神と共に」

 

 

 

 

1曲目は「森の情景Op.82」。タイトル的には「子供の情景Op.15」を連想させるが、Op.15が描写音楽ではないのと同じく、この作品も象徴的なイメージが弾き手(リスナー)に委ねられているような気がする。これまで多くのジャンルを手掛けてきたシューマンが、「ピアノ組曲」を作曲したのは久しぶりだったかもしれない―どうやら10年ぶりらしい。今後は晩年の「暁の歌」を待たなければならない―。タイトルについては詩人アイヒェンドルフの影響を指摘する説がある。ドイツ・ロマン派の音楽は「森」と結びつけられることが多いが、文学的な影響もあるのかもしれない―当初は全9曲に「森」や「狩り」に関連する4人の詩が添えられていたのだが(その中にはアイヒェンドルフも含まれる)、音楽にプログラムを付けることに否定的だったシューマンは後に削除してしまう(音楽にそれらの助けは必要ではない―「純粋音楽」―という概念を抱いていたようだ)。かろうじて第4曲だけヘッペルの詩が残されているが、かえってそこにシューマンの心情を感じてしまう。

 

フラットを基調とする調性で全体がまとめられ、第1曲が第9曲(入口と出口)に、第2曲が第8曲(狩の前と後)、第3曲が第7曲(花と鳥)、第4曲と第6曲(不安と安心)…というように「シンメトリー」(対称性)の構成となっているようだ。僕の大好きな要素である。

 

 

Titel Tonart Vortragsbezeichnung    
1. Eintritt(森の入り口)   B-Dur    Nicht zu schnell    
2. Jäger auf der Lauer
(待ち伏せる狩人)
d-Moll Höchst lebhaft    
3. Einsame Blumen
(寂しい花)
B-Dur Einfach    
4. Verrufene Stelle
(気味の悪い場所)
d-Moll Ziemlich langsam    
5. Freundliche Landschaft
(なつかしい風景)

B-Dur
Schnell    
6. Herberge(宿屋) Es-Dur Mässig    
7. Vogel als Prophet
(予言の鳥)
g-Moll Langsam, sehr zart    
8. Jagdlied(狩の歌) Es-Dur Rasch, kräftig    
9. Abschied(別れ) B-Dur Nicht schnell    

 

 

今回のデームス盤のほかに、僕が所有していたのはアファナシエフ盤―もっとも「クライスレリアーナ」が目的だったが―。ミステリアスな映画を観てるような感じの演奏であった。なぜかピリス盤を持ってたこともあるが、主眼は「ウィーンの謝肉祭の道化」だった気がする。「シューベルト/楽興の時」のカップリングとして収録されていたバックハウス盤もそうだ。こんなふうに「カップリングだから」聴いてた作品をデームス盤ではメインで聴くことになったが、熟成されたワインのようにコクのあるピアノの音色がとにかく印象的で、すっかり聴き入ってしまった。正直、この作品(のみならず、シューマンの大半の作品)は、どんな演奏家でも良い気がしている。
 
 

1曲目「森の入り口」は、まさにこれから始まる「旅」への期待に胸が高まっている感じがする。「森」が文字通りの「森林」でないとしたら(ピクニックでもないとしたら)、一体何のことなのかは自由に想像して頂きたい。2曲目で早々に音楽の転換があり、「戦い」の様相を呈してくるが、第3曲では何事もなかったかのように伸びやかな歌が歌われる。「寂しい花」というタイトルの割には穏やかだが、所々不思議な和音が聞こえ、優しい表情の下にある「何か」の存在を感じさせる。それが第4曲で顕在化したのだろうか、まさに不気味さを露呈するような音楽となる。唯一残されたヘッペル詩は次の通りである―。

 

「光の届かない森の中で咲く花々は、死のように青ざめている。一本だけ咲いている赤い花も、陽の光ではなく、大地の色、人間の血を吸い込んだ赤色をしている」

 

(第4曲「気味の悪い場所」は「呪われた場所」とも訳されることもある)

 
シューマンの音楽にはこのようなホラー的要素があると、僕は感じている(詳細は後ほど)。「シンメトリーの中心点」となる第5曲は旋回するフレーズが特徴的。何となく渦巻きの中心のようなイメージ。センターに位置しているが、あくまでも通過点に過ぎず、1分少々で終わってしまう。折り返しの第6曲「宿屋」はリラックスして語り合うような微笑ましさが感じられる。対応する第4曲の不気味さがウソのようだが、第7曲「予言の鳥」が優しくミステリアスに始まると、相反する事象が実は繋がっているのではないか、とすら深読みしたくなってしまう。このタイトルに見覚えのある方々もおられることだろう―そう、「村上春樹/ねじまき鳥クロニクル」に登場するからだ。その第2部が「予言する鳥」編。もちろんこの曲についても僅かに触れられているが、何といっても間宮中尉の手紙の内容(僕には「トルストイ/戦争と平和」の「アウステルリッツの高い空」の場面のオマージュに思えてならない)や、追体験する主人公のシーンがとても印象深い。この第7曲「予言の鳥」には当初アイヒェンドルフ詩が付くはずだったが、その詩「Zwielicht」(たそがれ時)は実は既に「リーダークライスOp.39」で用いられていたものである。ミシェル・シュネデールは特にその詩の最後の「警句」に注目する―「気を付けて、しっかり注意していなさい!」。古来から「予言」には不吉で、警告をもたらす内容のものが多くはなかっただろうか―黄昏時が近づき、境界線が曖昧になる…現実と非現実、あの世とこの世、善と悪、正気と狂気…。「予言」は僕たちに再考を促す。森の奥で、ひっそり咲く花とともに、鳥は鳴き、「世界のねじ」を回し続けるのである。僕としては「ねじまき鳥」に世界のねじを正しく回し直してもらいたいものである―。
 
第8曲「狩の歌」は、ニ短調で警戒心すら感じられた第2曲とは異なり、変ホ長調で喜びのあまりスキップしているかのような軽快な曲となっている。終曲である第9曲「別れ」も満喫感にあふれており(第1曲と同じ変ロ長調)、タイトルから連想されるような音楽ではないのが興味深い―無事に「森」を抜けることができた安心感なのだろうか―。
 

誰でも良いといいつつも、一握りのピアニストは無類の演奏を聞かせる。

ピーター・ゼルキンもそうだった。2018年のライヴより。

 
 
 
 
アルバム2曲目は「主題と変奏」変ホ長調WoO.24「幽霊変奏曲」(僕は「天使の主題による変奏曲」というタイトルのほうを好む。他にも「精霊の主題による~」というのもある)。シューマン最期の作品として最近とみに演奏されるようになった「遺作変奏曲」である。なぜ「幽霊」なのかというと、ドイツ語による原題「Geistervariationen」の直訳なのだそうだ。昔からオカルト好きで、ゴースト関連の怖い話を子供たちに話したり、娘たちと交霊術(「こっくりさん」のようなもの)を試したり…というシューマンならではのタイトルと言えなくもない(シューベルトやメンデルスゾーンの亡霊が歌ったメロディを書きつけた、といういきさつからそう呼ばれているのだろうが、誰の命名なのかははっきりわからない)。なお、作曲はライン川への入水自殺未遂によって中断されたものの、救助された翌日に完成されたようだ(こののち施設に収容されることになる)。
 
テーマと5つの変奏からなる作品だが、コラール風の主題は明らかに(1年前に作曲された)「ヴァイオリン協奏曲ニ短調」第2楽章のメロディそのもので、実に落ちついた表情の音楽である。第1変奏以降、特に技巧をこらすことなく淡々と進んでゆくのが、単調過ぎて不気味な感じがしなくもない。ただ、「刷り込み」によらず初めて聴いた方々は多分そうは思わないだろう―きっとシンプルで素朴な味わいを感じ取るのでは?と思う。しかし、ト短調の第4変奏になると、少し胸が苦しくなってくるかもしれない―流石に「何か」が破綻しそうな予感を感じてしまうからだ。第5変奏で調性は戻るが、息を吹き返したかのようなしっかりとした書法に感じられる―奇しくも現代作曲家アリベルト・ライマンはこの変奏が「救出後」に書かれたという「推測」をしている―。クララが出版を禁じたため(気持ちはわからなくもない)、20世紀になってようやく陽の目を見たわけだが、ブラームスが後日、ピアノ連弾曲としてこの主題を用いた変奏曲を作曲し、ユーリエ・シューマンに捧げたように、後の作曲家&音楽家(そして僕たち)の心を捉えて離さない音楽となっているのは実に嬉しいことである―。小説の世界においても、以前紹介した奥泉光/「シューマンの指」で、この作品が印象的に用いられていたのを思い起こす。
 

アンドラーシュ・シフの演奏で―。ベーゼンドルファーの音色にも注目。

 

ヴァイオリン協奏曲ニ短調WoO.1~第2,3楽章。グリマルの弾き振りで。

「レ・ディソナンス」は彼が創設したオケ。指揮者を置かないスタイルだ。
 

トーリ・エイモス/「Night of Hunters」(2011)~「Your Ghost」。何と弾き語り

で、あのテーマに載せて歌う―。今回一番の発見と驚き、そして喜び!

使用ピアノはベーゼンドルファー、ドイツ・グラモフォンでCDリリース。

 

 

 

 

 

3曲目はピアノ・ソナタ第3番ヘ短調Op.14「グランド・ソナタ」。シューマンによる3番目にして最後のピアノ・ソナタ―と思ったら、(いずれ取り上げる)ピアノ・ソナタ第2番が「Op.22」であることに気づく…。そう、「交響曲第4番Op.120」と似た経緯があるのだ―初版が「管弦楽のない協奏曲」というタイトルで作曲、のちに大幅に改訂され「第3番」となったのである。1835年に作曲された時点で、全5楽章形式だったというが(「ヘ短調」という調性とともに、後のブラームス/ピアノ・ソナタ第3番を彷彿とさせる)、2つのスケルツォが削除された全3楽章の「初版」が出版された(ポリーニが初版に拘って録音している)。現行版はスケルツォを1曲復活させた4楽章形式であり、当盤もその「改訂版」で演奏されている。

 

ベートーヴェンの熱情ソナタが「ヘ短調」であるように、この作品も情熱的な身振りで突き進む―その原動力はもちろんクララ・ヴィークである―。第1楽章冒頭の音型はブラームスのそれにそっくりであり(ブラームスが模倣したことになるのか)、リストのようにピアニスティックでブリリアントな音楽が続く。

 

第2楽章は「Molto commodo」と指示された変ニ長調のスケルツォ。第2版で加えられた楽章である。唯一の長調であり、活発な音楽ながら穏やかさを感じる。因みに、もう1つのスケルツォは遺作として出版されている(ヘ短調「Vivacissimo」)。

 

第3楽章は再びヘ短調に戻り、変奏曲となる。「Quasi Variazoni, Andantino de Clara Wieck」とあり、この楽章こそソナタの核心であることは言うまでもない。クララの作品に基づくテーマと4つの変奏からなる。シューマンは数年前に「クララ・ヴィークの主題による即興曲Op.5」を作曲しており、そこでもクララの作品を引用して展開しているし、「ダヴィッド同盟舞曲集Op.6」の冒頭でもそうだった(以前ブログにも記した)。変奏そのものはシンプルなものだが、印象的なのは第4変奏のコーダで、鐘が鳴らされるように余韻深く終わる。このフレーズは実は第1楽章コーダでも(短縮版で)聞かれたものだった。

 

クララ・ヴィーク/「ワルツ形式によるカプリス集」Op.2~第7曲「カプリース」。

この曲の後半に出てくる「下降音型」が用いられている。

 

アファナシエフ盤による「オマージュ&エクスタシー」~「クララ・ヴィークの

アンダンティーノ」。僕が最初にこの曲に接した演奏だった。

 

 

第4楽章は「Prestissimo possibile」で堰を切ったように急速に駆け抜ける音楽となっている(この性急さがピアノ・ソナタ第2番の「急速に-さらに速く」の指示に発展するのかもしれない)。

そのスピードに華麗さが加わり、(シューマンにしては)実にきらびやかな印象を受ける。

 

ホロヴィッツによるライヴ音源より。シューマンを数多く演奏したが、ソナタ

はこの第3番しか演奏していない。確かにホロヴィッツに相応しい作品かも

しれない―。村上春樹は「一人称単数」の中でこのことに少し触れている。

 

 

 

ソコロフによるライヴ音源。もう1つのスケルツォも(第2楽章として)復活させ、

全5楽章版で演奏。流石、巨大なスケール感で迫ってくる―。

 

 

 

 

これからの2曲は(「主題と変奏」と同様)正式な作品番号が付されていない小品である―「オーパス」(opus)ではなく「WoO」(ドイツ語の「作品番号なし」を意味する「Werk ohne Opuszahl」の略)が用いられることがある―。「鬼ごっこ」というタイトルの1曲目は、「子供のためのアルバム」Op.68の追加曲WoO.16に含まれているもの(他にも追加曲WoO.30がある)。偶然にも「子供の情景」Op.15の第3曲も同じタイトルだが、求められる技術も音楽の質も当然そちらのほうが上である。

 

 

 

次の曲、創作主題によるアンダンテと変奏 ト長調Anh.F7「神と共に」は1832年に作曲されたこと以外よくわかっていない作品である(「Anhang」はドイツ語で「付録」を意味する)。少し調べたらフラグメントであるらしいので、作曲が中断(または放棄)されたのかもしれない。ただ、登場するテーマがどこかで聴いたことがあると思ったら、「アルバム帳」Op.124の第2曲「苦悩の予感」のフレーズそのものだった。もしかするとこのフレーズを使っての変奏曲を試みたのかもしれない。また同じフレーズは「ベートーヴェンの主題による自由な変奏形式の練習曲Anh.F25」の中にも登場している―これらは作曲時期が1830年前半と共通しているのである。こうしてみると、シューマンの創作の途上に立ち会ってる気持ちになる…。意外な発見を楽しませてもらっている気がするのだ。

 

当盤の音源より。デームス盤はまるで「謎かけ」のように、このような小品

を全集の中に散りばめてくれている―。

 

アルバム帳Op.124~第2曲「苦悩の予感」。フェルツマン盤で―。

 

ベートーヴェン/交響曲第7番第2楽章の主題に基づく練習曲(変奏曲)。

幾つかのヴァージョンがあるようだ。シューマンの思い入れを感じる。

 

 

 

 

 

 

 

 

PS:先日、ツイッターで4月16日がイェルク・デームスの命日であることを知った―。

レクチャーを受けたピアニストたちが広島でメモリアル・コンサートを開いたのだそうだ。

このようなシューマンの素晴らしい全集を世に残してくれたデームスに感謝を込めて…。

 

古今の「幻想曲」を集めた2000年のライヴ。バッハから、モーツァルト、

ベートーヴェン、ショパンを経て、シューマンに至る。しかもシューマンでの

第3楽章コーダは初版を採用。アンコールも収録。

 

亡くなる1年前の演奏。バッハ/平均律第2巻~第12番ヘ短調を。