現在活躍中のピアニストの中でも屈指の存在ともいえるフランスのピアニスト、ピエール=ロラン・エマールが何とスティーヴ・ライヒやジェルジ・リゲティの作品を手掛けたアルバム。そして中央アフリカで生活を営んでいる「アカ・ピグミー」の人々のポリフォニックな歌も合わせて収録―。今までにない画期的なアルバムとなった。

 

 

 

 

 

ライナーノーツによると、エマール自身リゲティからピグミー音楽の素晴らしさを聞いていたらしく、ようやく念願が叶うかたちになったようだ。「リズムとパルスの祝祭」と彼は述べている―。驚くべきは、彼らの歌に見られるポリフォニーの厚みと完成度である―当然スコアがあるわけではあるまい。伴奏のリズムや、最初の歌い出しを基調に、声を織り合わせてゆく。そのタペストリーの見事さは群を抜く。そしてこのポリフォニー音楽が西洋においてモノフォニックな音楽が溢れていたよりずっと以前から存在していた、という事実に改めて驚きを隠せない。

 

2人の少女が2曲歌ってくれている―「子守歌」と「神の歌」。

 

 

 

彼らはどのようにしてこの高度な音楽的技術を習得したのだろう―と思うのは自然なことだ。ライナーノーツ(にはその秘密の一端が述べられていた。一言でいうと、「音楽」が生活のすべての活動に関わっている、ということだ。

自分たちの祖先と触れ合う時、生まれて初めて獲物をしとめた時、蜂蜜を集める時、新しいキャンプ生活を始める時、狩りから無事に戻るのを祈る時etc…それら全てを「音楽」が彩る―。全ての人が歌う訳ではない。ある者は歌い、あるものは踊る。

一方では手を叩き、リズムを刻み、他方では太鼓を叩き、ナイフの刃を打ち合い、水面を打ち叩くのだ。

このようにすべての人が何らかの形で「音楽」に関わる。そうやって子供のころから生活し、当たり前のこととして彼らは「音楽」に興じるのだ。彼らにおそらく気負いはない。

 

左にいる坊やに注目―。彼は次第に中央に寄り、やがて…。

 

言葉は通じなくとも「音楽」で通じ合えるような気がしてくるのは僕だけ?

 

 

 

 

 

アルバムのプログラムも興味深い。全16トラック。「大自然」そのもののようなピグミー音楽の間にリゲティの「洗練」された音響の「エテュード」が挟み込まれる。最初にピグミーのコーラスがあり、ついでリゲティの練習曲が響き、またピグミーの音楽が…という具合にアルバムは進行するが、第2曲目と15曲目のみ、ライヒの「都会的」な(はずの)ミニマル音楽が配置される。最後の16曲目はしっかりピグミーで閉じられる。

 

このアルバムにはちょっとした思い出がある―。

ということは、もちろん今回初めて聴いたわけじゃなく再購入だったわけだが、以前友人とルームシェアしていた時、深夜にこのCDを流していた。友人の部屋とは襖一枚隔ててるだけ。

友人はその日眠れなかったという―。

 

ちなみに1曲目はこんな感じで始まる―。何の歌かは分からない。

 

 

 

2曲目はスティーヴ・ライヒ(1936-)/「クラッピング・ミュージック」(1972)

通常は2人の奏者によって演奏されるが、ここではエマールの演奏が多重録音されている。一定のパターンが手拍子によって繰り返されるだけの音楽だが、第2奏者がスタート地点をわずかにズラすだけで、位相に変化が生じ、急に複雑に聞こえるようになるのが実に興味深い。実験的な作品ともいえるだろうが、こういった「現代音楽」は僕たちの音楽に対する見方を改めさせてくれる(このアルバムの存在そのものがそうだといえるかも)。

 

実はこの作品にもちょっとした思い出がある―。

某サークルに在籍していた頃、音楽会の企画が生まれ、僕も参加することになった。そこで有志を募り、この曲のリズムパターンを使った音楽を作った(作曲と呼べるほどのものではなかったと思っている)。集まった6~7人に手拍子をしてもらう。僕は同じパターンをピアノで弾く。キーボード担当にはマーラー/交響曲第9番の冒頭のアウフタクトの2音のフレーズを繰り返し演奏してもらう。他に数人の女子にペットボトルに砂を入れたものをシェイクして、ハミングしてもらう。そして「クラッピンググループ」の1人だけにパターンをずらさせる。少しカオスになってきた頃にフェードアウトさせ、ピアノによるカデンツァを入れる(シルヴェストロフ/「メタムジーク」からのフレーズを借用)。その後全員でリズムパターンを再度演奏、コーダはクラッピングのみで終了―といった曲設計だった。お客さん(といっても関係者)を入れてのライヴだったが、意外と好評で驚いた。でも参加してくれた女子の1人が最後まで「意味わかんない」と漏らしていたのが印象的だった―。

 

まさにこんな感じだった―。面白いし懐かしい。

 

ライヒ/18人の音楽家のための音楽~セクション1。このハミングを女子

たちにお願いしたのだった。楽しそうにしてたのは3人中1人だけだったが。

 

 

 

4曲目からジェルジ・リゲティ(1923-2006)/ピアノのための練習曲(1985-2001)が演奏される。本来はドビュッシー/練習曲集をイメージして作曲され、全2巻12曲を目指していたものの、創作意欲と作曲の楽しみが従来の着想を超えてしまい、最終的には全3巻18曲となった。ここでは4の倍数で選ばれ、そこに17,18番(世界初録音)が加えられ全6曲が演奏されている。ちなみに全ての曲に「タイトル」がつけられている。

 

第1巻~第4番「ファンファーレ」。ユジャ・ワンの演奏で。

 

第2巻~第12番「組み合わせ模様」。エマールに献呈された作品でもある。

ここではエマール自身によるレクチャーを―。

 

第3巻~第16番「イリーナのために」。僕が気に入った曲。穏やかな曲調

だが、終わり近くに急に音価が短くなり、高速化してゆく―。

 

 

 

15曲目に再びライヒの作品が登場。「木片のための音楽」(1973)。5つのウッドブロック(あるいはクラベス)によって演奏されるミニマル音楽。2曲目の「クラッピング・ミュージック」のリズムも用いられているので、一貫した選曲だ。もちろんエマールが多重録音で果たしている。

 

ここは原曲を―。LSOのパーカッションEnsが挑戦。思考が澄み渡る―。

 

最後16曲目はこの歌でアルバムは閉じられる―。

 

 

 

 

改めてこのアルバムが録音&購入できたことを喜びたい―。

ベルリンのテルデックス・スタジオにアカ・ピグミーの音楽家たちを招くことができたことも素晴らしい。フィールド録音がほとんどだったピグミー音楽がこうしてスタジオで高音質の録音を果たせたのはまさに快挙だ―。

リゲティやライヒと並べて聞く時、現代音楽の重鎮的存在の彼らが如何に古代エジプトの時代からアフリカに存在した「音楽文化」に多くを得たのかを、窺い知ることができるのだ―。

 

 

 

きわめてシンプルな手順から複雑な形式と構造が得られるという教訓は、生物体の構造を研究したり、動物や人間の社会の構造を学ぶことから導き出すことができる 

                                         ―ジェルジ・リゲティ

 

 

 

 

アフリカ由来の楽器である「親指ピアノ」はオルゴールのような音色がする。

それにしてもバネのようなリズム感覚が凄い―。ドラムも見事。

 

「パッヘルベルのカノン」をハープと「親指ピアノ」(カリンバ)で演奏している。