「世界最高のクラシック」(2002)や「世界最高のピアニスト」(2011)といった「最高の」著作で有名な音楽評論家の一冊。2012年出版。

 

 

 

 

僕は普段「この種」の本は買わない。

図書館で借りて読んだり、本屋で立ち読みする。

「この種」の本の楽しみの1つは、自分の好きな演奏家やディスクが取り上げられることだ。

その中で好意的に取り上げられると、密かに「自分の決定の正しさ」」が認められたような気持ちになり、安心するのだ―。

この本で「取り上げられたこと」は、少なからず「僕も関わったこと」だった―。

その中の「10ページ」のために―

その「思い出の品」として、この本を購入したのだった。

 

 

「都市と劇場の味わい方」―オーケストラ、極上ワイン、人生の贅沢を語りつくす痛快無比の音楽論 

 

…という幾分大袈裟な「副題」が付いているが、世界の各都市を巡った際の「個人的」な印象が書き連ねられている。

「香港」、「オーストリア」、「イタリア」、「ドイツ」、「フランス」…。

 

僕は海外経験は(2021年現在)一度しかない。オーストラリアのシドニーに一週間ほど。

「音楽」に関わることと言えば、CDショップに入って記念に1枚購入したくらいだ。

有名な「オペラハウス」には行かなかった(「シドニー五輪」の会場には行ったが)。

 

シドニーの土産。フィリップ・グラス(1937-)/ヴァイオリン協奏曲(1987)。

20世紀のヴァイオリン協奏曲の中でも傑作に入ると思う―。

 

 

 

実際、この本に書かれているような「印象」を上記の国々を訪れたことのある人であれば、共感できる面があるのかもしれない。そして面白いのは、それぞれの「都市のイメージ」と、そこで食する「料理」と、そこで聞かれる「音楽」との相関性だ―。それらをリンクさせるのは、結局のところ「人」である―という単純極まりない真実を改めて確認することになる。

 

僕は上記の国々に一度も足を運んだことはない。

でもそのことで「満たされない気持ち」を抱いたことは一度もないのだ。

文化は異なる。宗教も、習慣も―。でも「同じ」人間であるという事実―。

「同じ」必要、感情を持つ「フィジカル」な存在として、「同じ」星に住んでいる。

そのシンプルな「事実」を認識することに僕は「心から」満足している―。

それでも、もし足を運ぶことができれば、「思い出」という「豊かさ」を得られることだろう。

 

この本で気になる「ワード」は恐らく「贅沢」であろう―。著者も気にしたのか、冒頭でそのことに触れている。ここで言われているのは「贅沢」=「心の豊かさ」である、と感じた。

 

 

「香港」、「オーストリア」、「イタリア」、「ドイツ」、「フランス」…。実はもう「一ケ所」、取り上げられている場所がある。それは「六ケ所村」だ(別に「一ケ所」にかけたわけではない)。

僕は上記の国々に一度も足を運んだことはない。

しかし、「六ケ所村」には何度か仕事で行ったことがある。そしてこの度も―。

 

 

 

青森市から車で2時間弱。.陸奥湾沿いの国道を北上し、踏切を渡って、ゲートをくぐり、しばらく走っているといきなり「基地めいた」風景と、閑静な住宅街が現われる―。

 

 

 

そこにある「六ケ所村文化交流プラザ・スワニー」にて2012年(平成24年)5月11日(金)に行われたピアノ・リサイタルのことが「この本」に触れられているのだ―。

ピアニストはイーヴォ・ポゴレリチ。

まさか、彼が本州の最北端にまでやってくるとは―。

前々日に東京のサントリーホールでリサイタルを開いたポゴレリチは同じプログラムで臨んでくれた。

 

前半:ショパン/ピアノ・ソナタ第2番「葬送行進曲付き」、リスト/メフィスト・ワルツ第1番。

後半:ショパン/ノクターン第13番ハ短調、リスト/ピアノ・ソナタ ロ短調。

 

プログラムは一緒でもチケット代は破格の3000円。あり得ないことだ。

当日も空席が多かった。あり得ないことだ。

 

 

僕は知人たちと共に訪れた。席は最前列であった。

当時のポゴレリチの習慣(?)通り、普段着でステージに現れ、定刻時間近くまでピアノをさらっていた。どこからともなく女性が紙袋を持ってきて、ポゴレリチの足元めがけて滑らせていたのが印象的だった。

 

 

コンサートが始まり、最初の一音で引き込まれた―。

後はもう翻弄されるままだった。

前半終了後、会場を後にした聴衆もいたらしく、現に僕の隣にいた御夫婦の姿がなかった。

「無理もない」―と思うほどの「異質」な演奏であったからだ。

 

「この本」にも記されているが、演奏中、ピアノの弦が二度切れてしまった。

特に「ロ短調ソナタ」の時は凄くて、まるで「プリペアド・ピアノ」のように響くほどの「乱れっぷり」だったが、ポゴレリチは意に返さず最後まで弾き切ったのだった―。

 

今から10年近く前のことだが、その場に居合わせたことを「この本」を読むことで再び脳内にありありと蘇らせることができるのだ―。

僕がこの本を購入した理由である―。

 

 

「カジモト・マネージメント」によると、ポゴレリチは「長野と比べて青森は花や木々の色彩が淡いね」などと口にしながら北国の自然を楽しんでいたようだ。


六ヶ所村文化交流プラザの雰囲気は非常にチャーミング。そして、いらして下さったお客さまは皆、とても熱心に演奏を聴いて下さっていた。はるばる訪れて本当に良かった 」 

 

―ポゴレリチの言葉である。有難い。

 

 

2012年来日時のインタビュー。彼の思想が垣間見れる―。

 

 

2012年12月14日。パリでのライヴ。

 

2012年の音源が見つからなかったので2009年のライヴで。

 

 

2012年10月3日。オランダでのライヴ。後半プログラム。

 

 

 

そういえばコンサート後、ホール席の中央付近で女性たちと談笑する許氏と思しき男性を目にした。勿論、来られているとは知らないし、目にしたこともないのだが、何かしら評論家っぽいイメージを感じたのだった。数秒間目が合い、そらした。

後日この本を立ち読みしたときに初めて知ったとともに、その姿を思い出したのだった。

 

因みに「この本」には他の本と同じく「あとがき」が記されているが、これが一番良かった。

(大概の「本」はそうかも知れない。ここを最初に読むヤツがいるくらいだし。僕のことだが)

「全て」が集約して語られていたからだ(人は後に「本音」が出るものだ)。

つまりは8ページで済むことを200ページに拡大しているのである。

 

嫌味な言い方になってしまったが、他愛のないおしゃべりと一緒で、「時間と知識の共有」こそが「この種の本」の醍醐味なのかもしれない―。

 

 

 

 

最近の許氏「大推薦」のアルバムだそうだ―。(2021年2月8日現在)

あのチェコpoが伴奏を手掛け、なかなかの聴きものとなっている。