遅ればせながら、u.d.ozzy の 100+読者の皆さん、あけましておめでとうございます。(いまごろ新年1発目のブログ更新です…)
実は1月5日~9日にかけて北海道の東部地域をバス・列車でグルリと回ってきました。私が管理している『道東グルっぽ』メンバーとの顔合わせも兼ねての旅行です。
広島に帰ってきてからは疲れで半月くらいAmebaの更新をサボっていたんですが、これからしばらく1ヶ月前の私の道東周遊記をブログに書いていきたいと思います。
さて第1回目は高校時代に私が住んでいた北見市の話題から。
こちらは小泉政権時「偉大なるイエスマン」などと自称していた武部勉元自民党幹事長の選挙区でもあります。そして当時は北見市から池田町までを結ぶ北海道ちほく高原鉄道・ふるさと銀河線という第3セクターの鉄道路線がありました。
本当に小泉政権のころは国政もそうですが地方も自民党政治一色の時代でした。
道外出身の高橋知事(自民党)が「コンパクトシティ構想」という簡単にいえば地域集落の切り捨て方針を立ち上げ、神田元北見市長(自民党)も自ら家族経営の企業への公的事業誘導へ向けた市街地中心部再開発事業を進め(この市長については在任中、2004年の暴風雪被害時の除雪作業の遅延、2007年の都市ガス会社のガス漏れ死亡事故や浄水場設備の管理怠慢が原因となった大規模な断水事故など市民生活に直結するインフラ整備はほぼ丸投げという状態でした。)、赤字経営に陥った銀河線も早々に事業継続を断念するという決断をしました。
しかし最も影響力を発揮したのは武部元自民党幹事長であり、当時から交通量の少なかった道東自動車道を将来北見・網走まで接続させるためにと完成後どれだけ効果が見込まれるのかもわからない北見道路の着工をおし進めたのです。まるで最初から決められていた時程に沿うように、交通弱者の移動手段であった銀河線は道東自動車道網走線建設と引き換えのような形で廃止されることとなりました。
前置きが長くなりましたがその北見道路、2004年度に開始され北見市北上-北見市端野町の2012年度開通に向けて工事がが進められております。唯一需要が見込まれる陸別・置戸・訓子府方面から美幌・女満別・網走方面への車の流れに沿って、北見IC付近の現在の状況を紹介しましょう。

陸別・置戸・訓子府方面より北海道道50号北見置戸線を北見へと進み、旧銀河線上常呂駅前を通過して北海道道261号置戸福野北見線(旧北見市道北上7号線、最近北海道道に昇格した。)に左折する箇所が上の写真です。元々未舗装の細い砂利道ですから地元の人間でもなければわかりにくいと思いますが…

そのまま細い道を進むと、この写真のように中央のガードレールを迂回するような形で先に進むこととなります。なぜガードレールがあるのかというと銀河線が廃止される前は車はここから右折する道しかなく、用水路と線路を超えた先は別な道路だったためです。ガードレールの先に見えるのが道東自動車道と北見道路の境界となる橋桁で、これより右側が北見道路でありここから東側のみ盛り土が完成しているというわけです。

続いては橋桁をくぐって盛り土が完成している東側、北見インターチェンジの入り口になりそうな上り坂の様子です。この距離の短さで加速も得られにくいことから北見道路の最高時速が70km/hを超えることは考えにくく、料金所の設置スペースもなさそうで仮に道東自動車道に組み込まれることがあっても有料道路となることはないであろうという予測がつきました。

最後の写真は近くで作業が行われていないことをいいことに(すみません…)橋桁の上まで登ってみました。北見道路は旧北光社駅に向かうよう右側に緩やかなカーブを描き、やがて常呂川を渡ってトンネル区間へと延びていきます。
写真を撮り続けて思ったのですが、やはりこの道路が陸別・置戸・訓子府方面より北見市街地へと移動する車の経路となることがあまりないだろうということ、ましてや上川・層雲峡・留辺蘂方面より美幌・女満別・網走方面へのバイパスとなることは北見市端野町-美幌町の自動車専用道路が接続されない限り効果が得られないだろうということがほぼ確信することができました。

