多くの同世代の視聴者と同じように、筆者にとってもこの「スター・ウォーズ」シリーズは特別な作品である
最初の作品「エピソード4 新たなる希望」が1978年(アメリカでは1977年)に公開されてから41年間、筆者はスター・ウォーズと共に青春を過ごし、就職し、結婚し、結局この年になった
9本の作品の、それぞれの時代に、自分にもその時代の出来事があり、それは自分にとって大きな意味を持っている
だから、今回のエピソード9も単なるシークェル・トリロジー(続三部作)の最後の作品であるだけではなく、筆者の41年間の集大成でもあり、単なる一つの映画作品ではありえない
簡単に「この映画は面白かった」とか「そうでもなかった」とかの感想で語ることはできない
もちろん、人それぞれにとらえ方が違うことも理解できるし、ある人にとっては単なる「映画」であろうことも分かるのだが、他の作品の感想を軽く述べるように「あまり面白くなかったな」で済ませられることには大きな引っ掛かりを感じることも事実である
で、そんな筆者にとってこの映画はどうだったのか?
やはり
これは私が見たかったスターウォーズではない
ということに尽きる
同じように筆者の青春とともにあった「ゴジラ」シリーズのハリウッド最新作である「ゴジラ キングオブモンスターズ」を観た時にも同じように感じた
J・J・エイブラハムは好きな監督である
「クローバーフィールド」では見たことがない怪獣映画を見せてくれたし
「ミッション・インポッシブル」シリーズでは筆者が大好きだった「スパイ大作戦」の新しい解釈とハラハラ、ドキドキするストーリーを提示してくれた
もちろん、「スター・トレック」シリーズも同じだ
監督自身が公言しているように、彼は筆者同様「スター・ウォーズ」のファンなのである
だから、この作品に求められている多くのものも十分に認識していて、それらをできるだけ実現しようとして、結局は中途半端に終わってしまったのだろう
42年(41年)という歳月の間に、この映画に触れた世界中のファンはすでに、もともとのスター・ウォーズから離れて、それぞれのスター・ウォーズを自分たちの頭の中で作り上げてきたのだ
だから、我々は「ゴジラ」や「スター・ウォーズ」に結局は、実現不可能なものを求めていたのだろう
しかし
単純に考えても、もっとやりようはあったのではないか
シナリオは十分に練りこまれているとは言えず、なぜここでこうなるのか理解できないという展開が多いし、映像も今までどこかで見たものを見せられているだけで、最後は見たことがないものを観たかった我々の期待を見事に裏切ってくれた
でも
良いところもたくさんあることも事実で
なんといっても、3年前に亡くなられたキャリー・フィッシャーの見事に生きている姿を見ることができたこと
4人の若いメインキャストたちが、やっぱりすばらしいこと
故郷を離れて何十年か経って、帰ってきたら、その間に地元で育っていた若者たちがあの時の自分たちと同じように、はっしゃいだり、悩んだりしているのを見たような
そんな気持ちになる
さらに、今までの8作品を観てきた人に対する”おもてなし”は半端なく
どのシーンでも「いままで見てきてよかった」と思わせてくれる
まあ、今回もここはやりすぎ感は否めないが
さらに、一番素晴らしいのは
この終わらせることができない物語を、終わらせてくれたこと
今回の最大の功績はここにあると筆者は信じている
このような見方をしてしまうこと自体がファンの悪いところなのかもしれないが