1995年という年は日本に暮らす全ての人にとって特別な年だった

 

日本は世界の中心だ、我々日本のビジネスマンが世界を動かしていると誰もが思っていた時代から、バブル崩壊後の状況の大きな変化

そんな状況にも関わらず日本の国民全てが、無自覚に将来に楽観的だった

 

筆者もその一人で、結婚して数年、自分の家を持ち、BMWに乗っていた

明日も、何年経ってもその状況が続くと思っていた

そんな中

 

テレビには異様に折れ曲がる道、瓦礫に埋め尽くされた街の姿が映し出されていた

そのどれもが今まで映画の中でしかみたことがない光景だった

1954年の映画ゴジラで描かれたような、人間がなすすべもなく逃げ惑うことしかできない絶対的な災厄

1月に起きた阪神・淡路大震災である

 

それから1ヶ月半、また信じられない光景がテレビの中に映し出された

ホームで次々と倒れる人々、響き渡る怒号、逃げ惑う人々

誰も何が起こっているのか把握できなかった

筆者も日常的に通勤に使っていた地下鉄の中

その日、あと30分早く家を出ていたら、筆者自身がここに写っていたはずだった

地下鉄サリン事件

 

4月には筆者が暮らす横浜でも異臭事件が起こり、何人かが病院に運ばれた

全日空機のハイジャック

今も解決していない八王子スーパー強盗殺人事件

小学生の殺人

いじめによる自殺

 

そんな暗い出来事が多かった年であったが、我々を励ましてくれたのは芸能やスポーツの方面だった

昨日引退した安室奈美恵がソロデビュー

小室哲哉の大活躍

ミリオンヒットが続いた

野茂英雄のメジャーリーグ進出

星野仙一の監督就任

 

そして、渋谷はコギャルで埋め尽くされていた

 

 

前置きが長くなってしまったが、「モテキ」「バクマン」等の大根仁監督の「SUNNY 強い気持ち・強い愛」

 

そんな1995年に生きた人々がこの年を忘れられないのはしょうがないし、これを題材にして映画を撮りたいと思う大根監督のような人がいるのがものすごく理解できる

 

大根監督にとって、韓国映画「SUNNY 永遠の仲間たち(原題:써니)」はそのためのベースとしてこれほど適切なものはなかったのだろう

 

基本的なストーリーやプロット、シーンの構成等全てオリジナルを踏襲している

この映画での落涙ポイントは全てオリジナルからの借り物である

だが、描きたいものが全く違う

 

それは題名に顕著に現れている

オリジナルの「永遠の仲間たち」に対して、大根監督がつけたのは「強い気持ち・強い愛」

これは言うまでもなく、劇中にも出てくる小沢健二の1995年のシングルの題名そのままである

ストーリーの中心となる学園祭で主人公たちが踊るダンスの曲がオリジナルではボニーMの「SUNNY」だったが、日本版ではこのオザケンの曲が使われた

 

結局、大根監督はコギャルを通して、1995年当時の社会的な不安にも関わらず自分達を中心に世界が回っていると思っていた日本国民そのものを描きたかったのではないかと思う

 

上の方で記述したように、その気持ち自体はとても理解できるし、意味があると思う

しかし、オリジナルの韓国版が大好きな筆者にとっては、だったらもっと違う方法があったんじゃないかと感じずにはいられない