今週末は久しぶりに沖縄本島と石垣島へ
夏には何回か旅行を予定していたのだがいずれも台風で行けなくなってしまったのでやっと実現
地元のスーパーサンエーで買い物をした時に気づいたこと
考えてみればスーパーで客がサッカー台と呼ばれるエリアで自分で袋詰めをするのが今は一般的だが、昔はそんなことしなかった
筆者は旅行が趣味なので色んな国でスーパーに行くが、このような台で客自身が袋詰めをするのはほぼ日本だけな気がする
アメリカのスーパーもアジアの多くのスーパーも会計担当者かバッガーと呼ばれる袋詰め担当者がレジの端に備え付けられた袋に詰めてくれるのが
普通だ
日本でも紀ノ国屋や成城石井などの高級スーパーでは今もレジで袋詰めをしてくれるし、コンビニでは普通に袋詰めをしてくれる
袋詰めを自分で行うこと自体には別に抵抗はないし、レジ打ちの時間が短縮できるという利点もあるだろうが、実際にはそれでスーパーの品物の単価が下がったような気はしないし、袋詰めの専門家にやってもらう方がスピードも速いし、詰め方も品物の性質を考えられた詰め方はうちに帰って出す時にその意味を感じることも事実である
この辺の状況はどんどん変化している
若い方はおそらく認識は薄いと思うのだが、筆者が生まれた頃には一般の人が自由に海外に旅行することはできなかった
さらに、1974年まで沖縄はアメリカだった
グアムやハワイと違って沖縄が完全にアメリカの文化的支配を受けることはなかったとは言えるが、それでもお店はアメリカ式だったし、車は右側を通行し、通貨はドルで、甲子園大会に出場する沖縄の高校はパスポートを所持して入国していた
今ではA&Wがきわめてアメリカ式のファースフードであることや、多くのスタバでは普通にアメリカ人がコーヒーを飲んでいることや、スーパーのレジでの袋詰めが一般的なことくらいしか一般の人には感じることはできないが、40数年前までアメリカであったことは厳然とした事実として沖縄の根本にあることも事実だ
筆者は色々な国に旅行に行くので、それぞれの国や地方に特徴的な文化的、政治的なバックグラウンドを感じることは多い
特にアジアの多くの国は自国の昔からの文化、複数の民族の文化、一時支配していた大国の文化をいい具合に咀嚼して発展して来た素晴らしさと複雑さは感じる
特に一般の人が英語を喋るのはこの辺りの結果であるだろう
沖縄がアメリカであったにもかかわらず、ある程度の高齢の方でも英語を普通に喋る人が少ないというところには日本の文化の特有のものを感じる