上田慎一郎監督の「カメラを止めるな」

本当はもっと早く観に生きたかったんだけど、結局はシネコンでも観られるようになったので実現した


この映画に関してはまず、現在別の意味で色々話題なのでそこを避けて通るわけには行かないので、一応その件は最後に

で、この映画、一切の情報無しに観るのが一番面白いということは確実で、筆者もできるだけそのようにして行ったので、ネタバレの類は用心しようと思うのだが、一切触れないと話ができないので申し訳ないが少しは触れてしまうかも

いや〜、面白かった

事前情報として、ゾンビ映画であるらしいこと、物語の構造自体に大きな仕掛けがあることは分かっていたので、まず最初のワンカット撮影の部分では「これが一体どのように展開していくのだろう」と思いながら「これ、変でしょ」「撮影も演技も下手」「面白くないし、退屈」から
「どこから仕掛け?」「これ何の映画なの」「え、そういう映画だったんだ」
という流れで、結局はまんまと監督の術中にはまってしまったわけだ

これから観に行く人に言っておきたいのは「最初は我慢してね、こに映画はあなたが思っているような映画じゃないから」と言っておきたい

後半の途中からは涙が出てきて焦った

筆者はプロフィールにも書いてあるように、テレビドラマや映画の撮影に沢山参加してきたので、現場の人たちの苦労や情熱を少しは分かっているつもりだ
自分自身も失敗したこともあるし、苦労したこともある
そんなことも思い出して、グッとくる展開なのだ

とは言っても、この話自体は映画の話ではなくても、チームでものを作っていくことならどんなことにも当てはまることなのだ

それを映画的に見事に見せてくれた
重要なことだがこれで映画として成立していなかったら、それこそ古沢某の「緻密に練り上げられた脚本」に成り下がってしまうところだ

大したもんだ

もう一度強調しておきたいのは、映画的とはどういうことかということ
それは、映像で物語を表現することであり、それは爽快感だったり、喜怒哀楽だったり、家族の絆だったり、恋だったり、死だったり
それらが登場人物に与える影響を映像化することだによって観た人に影響を与えることなんじゃないかと思っている


ここが、伏線回収のためだけに伏線を張り巡らして悦に入っている古沢某との根本的な違いなのだ

以前に論じた古沢某の「コンフィデンスマンJP」の最終回の時系列をバラバラにしてある件を思い出して欲しい
これが視聴者に何を訴えたいからやったことなのか分かるか?それによって登場人物の何が伝わったのだろう?どんな感情が伝わるのだろうか

それに対して今回の後半の出来事のすべては何かを訴えるために必要なシーケンスであり必要な事件だったことは見た人ならみんなわかるはずだ

そういう映画がこの映画なのだ

実際の現場はこんなのではなくて、この映画の最後に少し写っているような感じのはずだが、それを見てももう涙が止まらなくなってしまった

とりあえず今は簡単に観られる状況なのでぜひ見に行ってもらいたい

最後に、例の「パクリ」問題だが、騒ぎすぎだろう
監督自身がその舞台を観てインスパイアされたことも明言しており、原案としてクレジットもされているのに、映画がヒットしたからと言って今更センセーショナルな見出しで、何がやりたいのかよくわからない

今まで述べてきたように、この映画は映画としてちゃんと作られたものなのだから、その舞台とは本質的に目指すものが違うことは観た人ならすぐにわかるはずだ