映画の脚本の構成において重要なファクターとして三幕構成の理論がある

 

三幕構成

 

1979年にシド・フィールドによって理論化されたもので、特にハリウッド娯楽映画の脚本はこの流れに沿って書かれることが多い

 

先週紹介した「ランペイジ 巨獣大乱闘」はまさにこのフォーマットに沿って書かれていることが明確なので、今回はどう構成されているかを読み解いて行きたい

 

流れの中でどうしても具体的なストーリーの話をせざるを得ないので、どうしてもネタバレが嫌な方は読まないことをお勧めする

 

1.第一幕 設定

三幕構成の理論ではここは長さで言うと全体の4分の一を占め、映画の最初に置かれることによって主人公や出来事の紹介を行う部分であり、第一のターニングポイント(主人公の行動を決定づける出来事)で第二幕に繋がる

この映画(ランペイジ)では、最初のシーンは一般的なオープニングではなく、本来は次に来るはずの、セットアップのインサイティング・インシデント(映画のツカミとなる出来事)が置かれる

すなわち、この映画のすべての出来事のきっかけとなる宇宙ステーションでの実験中の事故の場面である

これによって、観客は主人公が知るよりも前に大変なことが起きているということを知ることになる

 

その後に描かれるのが主人公の日常を描きながらその人となりや人間的な欠点、すなわちこの映画の最後で成長する前の状態が言葉ではなく、アクションとして記述される

ここで、主人公のバディの一人(?)となるゴリラの性格や状況まで描かれる

 

ここから場面は変わって最初のインシデントの結果を描く

つまり、3か所に落ちた実験用の検体が狼、ワニを変異させたこと、さらに主人公の職場のゴリラにも影響を与えたことを知ることになる

 

ここが一般的なシナリオだと主人公が関わる問題として提示されることによって主人公への影響が描かれるのだが、この映画では最初のシーンも含めて、主人公の知らないところでストーりーが進んでしまうために、主人公と一緒になって「なんだろう」とか「どうなってるんだ」と感じるチャンスが無くなっている

ここは飛ばして、後になって何が起きたかを主人公と一緒に知ることができるような流れにすれば、もっとサスペンスの度合いは上がっていたのかもしれない

 

そして、第一のターニングポイントとして、ゴリラが大きくなっていて、クマを殺したり、自然動物園の外に逃げ出すという出来事が起こる

これによって主人公は友達のゴリラを助けなければならないという事態に陥る

ちょっと疑問なのはここで以降主人公の一人となるケイトが突然登場して主人公と行動を共にすることになり、観客は理由が分からないので感情移入できない

ここはこれ以前にケイトの現在の日常を描く中で彼女のバックグラウンドが描かれて(弟の件や会社との確執)、合流した時にはこの辺りが明確になっているともっとよかったはず

 

第一ターニングポイントは、主人公は自ら進んで事態に飛び込んでゆく決心とその理由が示されることが重要なポイントとなるのだが、この映画においては、主人公は政府機関のエージェントに拘束されてゴリラと一緒に運ばれることになるため、主人公の決心がすこしばかりうすくなってしまっているのが残念

ここは、拘束されるのではなく、置いて行かれるが自分の意志で無理やり輸送機に乗り込むほうが強くなると思われる

その意味ではさきほどの提案はかなり有効であろう

 

また、この前後にエナジー社の依頼で落ちてきた検体の回収を傭兵に依頼して、傭兵部隊が向かうが全滅する場面が描かれる

ここはどうも付け足し感が強く、狼の強さを見せたいだけで主人公と全く関係ない話なので、ここはもっとどうにかならなかったかと思う

 

筆者の提案としては、ここで狼のところに行くのは米軍の指揮官クラスが率いる部隊で、指揮官の采配ミスで部隊の半分以上が犠牲になる

そのあと次のターゲットとしてゴリラのところに行き、ここで主人公のデイビス、ケイトと出会うが、ゴリラの処遇に関して対立する

ゴリラを輸送中にゴリラが暴れて、その時にデイビスがこの指揮官を救い、以降主人公を助けてくれるようになる

と、バックグラウンドがかなりあいまいなラッセルに代わるキャラクターとして出てくるといろいろな部分が改善されるだろう

 

第二幕 対立と衝突

第一ターニングポイントによって主人公の日常がまったく変化してゆき、第三者との対立や衝突によって物語がどんどん動いてゆくパートになり、長さは4分の2で最も長いパートとなる

ここで、主人公は少なくとも4つの乗り越えるべき障害が提示され、半分くらいに起こるミッドポイントと呼ばれる重要なイベントを境に前半がある程度乗り越えられる障害、後半に乗り越えるのが極めて困難な障害を据えるのがよいとさせる

 

この映画でのミッドポイントは巨獣たちがシカゴに向かっていると分かる部分であると考えられる

 

そうなると、前半が軍の施設内でのゴタゴタから施設からヘリで逃亡してシカゴに向かうところまで

後半はシカゴで3巨獣に出会って本当の敵と対峙してゴリラのマイケルを取り戻すところまでということになる

 

前半の障害は軍の司令官と対立して意見を聞いてくれない問題と、シカゴにどうやって行くかという問題

これらはセオリー通りわりと簡単に解決する

後半の障害は怪獣たちを市街に入れないようにどうするか、エナジー社の社長をどう止めるか、最大の障害は軍の空爆をどう防ぐかというもので、これらもセオリー通りかなり困難なものである

 

シド・フィードによれば第二幕の後半の中間点にピンチIIと呼ばれる主人公にとって最も危機的な問題が発生するべきだとしており、この映画では3巨獣がシカゴのエナジー社のビルに集結するところであろう

 

さらに、第二幕ではメインのストーリーとは別にサブプロットと呼ばれる別のストーリーを挿入すると物語に深みが出るというのが定石でこれは必ずメインのプロットと最終的には交わるべきというのが肝心な点

 

この映画では、メインプロットがオープニングの出来事を発端とした巨獣たちの大暴れであることに対して、サブプロットはちょっと弱いところはあるが、どうしたら主人公の友達であるゴリラのマイケルを元に戻せるかという話ということになるだろう

セオリー通りそのサブプロットは第三幕にメインプロットに吸収されることになる

 

そして、第三幕との境目に来るのがセカンドターニングポイントであり、ここで主人公は最終的に進むか、引くかの決断を迫られることになり、それ以降はストーリーは最も危険な方向に向かってゆく

この映画でのセカンドターニングポイントは、おそらく解毒剤の存在を知り、エナジー社に突入してそれを見つけるところだろう

ここで主人公はそれを使ってマイケルを助け、他の2巨獣を黙らせることによって大きな危機であるシカゴ空爆を止めるという選択肢を選ぶ

 

第三幕 解決

セカンドターニングポイントをきっかけにストーリーはクライマックスに突入して、最大の障害に対して主人公やヘルパーたちが協力してそれを克服して問題を解決するストーリーが描かれる

ここでは、主人公と関係者は物語の最初から見ると成長しており、その成長ゆえに困難に打ち勝つという構図となる

また、ここで提示される障害は最も危険なもので、場合によってはタイムリミットも提示される

そして、主人公たちはある程度の犠牲を伴って問題を解決して(あるいは解決できないで)物語はエンディングへと進む

 

この映画では最大の問題は空爆を回避することに置かれ、明確なタイムリミットが提示される

その中で最大の悪役のエナジー社社長との対峙と排除

そして、最終的な解決のためにマイケルの精神状態を元にもどして、人間であるデイビスがマイケルとともに、ケイト、ラッセルの助けを借りながら残りの2巨獣を倒してシカゴから危険を除去することによって軍の空爆を阻止するという流れになる

ここで、メインプロットとサブプロットが一つに収束する

 

その中で、主人公は人間嫌いであることが脱却して、ケイトやラッセルと主体的に協力することによって事態を進めてゆく

さらに、主人公自身が大けがを負ったり(最終的には大したケガではないように見えるが)、マイケルが犠牲になる(ように見える)展開もある

 

そして、エンディング

エンディングは勝利にしても、そうでないにしても、ここまで感情移入して観てきた観客を納得させられるものでなければならず、それによって観客自体が変化するようなものでなければならない

 

この映画でのエンディングは2巨獣を倒し、空爆を阻止しした主人公と実は死んだふりをしていたゴリラのマイケル、ヘルパーのケイト、ラッセルが一堂に会し、お互いの健闘を称えながらゴリラも交えて軽ーい冗談を言う場面になる

ここで観客たちは「よかった」と安堵し、またシカゴの住民も含めて救われたと感じる

実際にはこのデカいゴリラを今後どうするかとか、結局は3巨獣が暴れたことによって何万人も死んでるよな

なんてことは頭の隅に追いやられることになる

 

このように、「ランペイジ 巨獣大乱闘」は三幕構成を極めて素直にフォローした典型的な娯楽映画に仕上がっている

人によっては、シカゴでの大暴れをもっと見せるべきだという意見もあるが、この三幕構成に照らし合わせてみれば、これば第二幕の後半からでまったくかまわないということになる

 

逆に言えば、「アベンジャーズ インフィニティ・ウォー」なんかはこのセオリーを意識的に破っているということになる