2月12日私の最愛の息子が16歳の短い生涯を閉じました。もう、涙が止まりません。
いろいろ考えます。もっと早く病院に連れていけば・・・・とか、救急指定の病院に運んでもらえばとか・・・後悔しています。私の判断ミスなのかも・・・と。
平成24年8月27日Y市立病院に入院。8月31日隣県のT大学病院に転移。救急車でそこまでいった。一刻をあらそう状態とのこと。8月29日の夜、家族で泣いた。もうだめかもしれないと。次の日、私は、勤めていた会社に事情を話、当分会社を休む事にしました。ずっとそばにいてやりたかったから・・・。
8月31日朝、7時Y市立病院を出発しました。約2時間かけてT大学病院に着きました。早速、血液検査・髄液検査と検査がありました。夕方、先生から話があり「今のところ何種類か可能性がある」と。まだ、ちゃんとしたことはわからないとの事。これからいろいろ検査をしていことの事だった。
いろいろ考えます。もっと早く病院に連れていけば・・・・とか、救急指定の病院に運んでもらえばとか・・・後悔しています。私の判断ミスなのかも・・・と。
平成24年8月27日Y市立病院に入院。8月31日隣県のT大学病院に転移。救急車でそこまでいった。一刻をあらそう状態とのこと。8月29日の夜、家族で泣いた。もうだめかもしれないと。次の日、私は、勤めていた会社に事情を話、当分会社を休む事にしました。ずっとそばにいてやりたかったから・・・。
8月31日朝、7時Y市立病院を出発しました。約2時間かけてT大学病院に着きました。早速、血液検査・髄液検査と検査がありました。夕方、先生から話があり「今のところ何種類か可能性がある」と。まだ、ちゃんとしたことはわからないとの事。これからいろいろ検査をしていことの事だった。