どんな宗教を信じても、いやしくもその人に功徳が生じたとするならば、
その宗教の教義、行法または本尊礼拝を通して、自己に宿るところの 生命力 が、
それらの宗教のどこかに刺激されて、前よりも一層ゆたかに発現したからである。
結局、その人の 生命力 が発現されるということが根本であって、万教の根本原理は其処にあるのである。
その 生命力 が神であり、 神性 であり、 仏性 である。 其処に万教帰一の真理があるのである。
ただ生命力を発現さす契機となるコツというような
方便(又は方法、儀式、対機説法など)に特色があるだけで其処に色々の宗派の別を生ずるのである。
そして或る人は、ある宗派の用うるコツによって、その人の 生命力 が一層発顕し、
また他の或る人は、また別の宗派の用うるコツによって、その人の 生命力 が一層発顕してお陰を得る。
だから、Aの人は甲の宗教でお蔭を得、Bの人は乙の宗教でお陰を得る。
それだからとて、万教異なる様相を呈して互いに他宗教を排撃するのは、
宗教の根本は、
「その人各々の内部生命を発顕さす」 一事にあるのだという共通真理に気づかないからである。
それに気づかせるのが生長の家であり、万教帰一を説く所以である。