人生を幸福にする愛と智慧
人を赦すとか、人を尊敬するとかいうことは、
外面の出来事について引っかかっている限りは、根本的には出来難いことなのである。
その人の 「内部の人」 を観ることによってのみ可能であるのである。
そして「 内部の人」 のみが 「本当の自分」 であり「本当の彼」なのである。
此の「 内部の人」 を自覚する時、
キリストのように「我はアブラハムの生まれる先よりあるものなり」という自覚が得られ、
聖パウロのように「最早、我生くるに非ずキリスト吾に在りて生くるなり」の自覚が得られる。
是が「生命の革命」なのである。
釈尊は法華経の「如来寿量品」に於いて「自分はは八十幾歳の肉体の示すが如き若造ではないのである。
永劫以前から悟りを開いている如来である」と仰せられているのである。
それは自分の肉体を見ず、「内部の人」を観得たときのお言葉であって、
釈尊のみならず何人も命の革命を得るときその自覚を得ることが出来るのである。
(谷口雅春著「いのちの革命」参照)