物心は本来一つ

 

 全て吾々が見聞し手で触れる事の出来る一切のものは、吾々の心の活動のために存在するのである。心がそれを感受し、それに対して快不快を感ずる。

 

 心がまたそれらのものを動かして、それを以前とは別の形に配列する。それが創造であり、創作であり、着想であり、発明で有り、新機軸であり、それによって吾々は喜びを感ずる。

 

 全てのものは心のためにあるのであって、物そのもののためにあるのではないのである。そして物が吾々に或る時は喜びの感じを与え、或る時は不快の感じを与えるのは何故であろうか。

 

 それは心と物とが全然別物ではなく、本来一つのものが、波動の相違で、一方は心としてあらわれ、他方は物としてあらわれているのだけれども、本来は一つのものであって、同じ基盤の上に存在するものであるから相互関係を有するのである。

 

 これを仏教では物心一如というのである。