『あなたは必ず救われる』 1

 

1 生い立ちから求道遍歴へ

 

 「この世は無常の世界か」

 

刻々に移り、刻々が死につながる人生・・・「散る桜、残る桜も散る桜」散ってゆく桜も、残ったように見える桜も、いずれ遅いか早いかの違いはあっても散ってしまうのだ。仏教ではこの世界を「火宅無常の世界」といい、ちょうど火事でもえている家の中にいるようなもので、いつ家が崩れ落ちて死ぬかもしれないと言うのです。此の事に目をそらすことが出来ず、いろいろと求道しました。そんなにしても、どうしても現実の悩みを解決してくれるものは見つかりませんでした。

 

「断食決行」

 

十日間の断食をしました。3回目の時です。「人間はこの世に飯を食いに来たのでも、金を儲けにきたのでも、ただ生活をするために来たのでもない。人類、社会に貢献し、奉仕するために生まれたのだ」と言う天徠(てんらい)の声をきいたのです。その本来の目的を達成するための手段として生活があるのだと。肉体の満足や肉体に奉仕するために食事や仕事があるのではない。肉体生命が尊いのではなく、正しいこと、本当のことのために肉体生命をささげることに本当の意義があり、本当のことを生きる為の道具である肉体を本当の事のために殺すことは、そのこと自体最高に尊い意義があると悟ったのです。その時、生も死もない、絶対の境地を発見することができたのです。いぜんとして真理を求めておりました。

 

「ついに尊師に巡り合う」

 

その時、谷口雅春先生の講演を聞いたのでした。驚いたことに釈尊のお説きになった仏教の神髄が、また親鸞聖人のお説きになった他力本願の神髄が仏教でない生長の家によって完璧に説き明かされていることを目の当たりにしたのです。この教えこそ死人を対象の教えではなく、生きた人間を救うところの絶対の真理であると知らされた時の喜びは、まさに天にも昇るような心境でした。世の中で何が尊いといっても、生命をささげて悔いのない程の師に巡り逢うこと程尊いことはないと確信します。