般若心経  その6  補足

・般若心経は、一言で言えば「五蘊皆空と照見して一切の苦厄を度す」に尽きる。

 物質が有る、心が有ると思っていると、それに引っかかって、一切の苦厄から逃れる事が出来ない。物

 質は無い、肉体も無いと言う大真理を直観の智慧で照らし見た時に、初めて一切の苦しみ悩みと言うも

 のが、根拠のない妄想の上に築かれたものにすぎないと分かって、それから解放され、救われると言う

 事になるのです。

・物質が有るかの如く思うから喧嘩をしたり奪おうとしたりする。だから「色不異空」色(物質)は空に

 異ならず。更に「色即是空」物質は即ちそのままでこれ空なりと。有るように見えていても其の儘で無

 いと。物質や肉体は有るかの如く見えていても無いのだ。物質も肉体もないそのままに此処に自分がい

 る。ここにいる自分は物質では無いのだ。。ここに生きているのは物質に非ず肉体に非ず、佛である。

 そして一切の縛りから解かれた状態が現れる。佛とはホドケルと言うわけです。

・般若心経は物質にも心にも感覚にも存在にも頭に無をつけて全てを否定盡したのです。こうして何も無

 い事になったら自由自在であります。何かあると思うから心がその有ると思うものに引っかかって自由

 自在を失うのです。

・「苦集滅道」仏教で四締と言われている四つの最も優れた悟りの真理。

 「苦」この世界は現象世界は苦しみの世界であると。

 「集」この苦しみはいかにして生ずるのか?12因縁とかがいろいろと集まって生ずると。

 「滅」この苦しみを滅する。

 「道」苦しみの原因を悉く滅して悟りに至る。

 「苦集滅道」の頭に無が、それは「苦集滅道」なんてことは実相に於いては無いのであると喝破してい

 る。この世界は苦しみのように見えているけれど、それはスクリーンに写っている影であるから、そん

 なものは実在しないのであると喝破している。

・般若心経では、無眼耳鼻舌身意、五蘊皆空と照見して、色受想行識も無し、眼も耳も鼻も舌も体も、意

 識も無い、肉体も無い、物質も無い、何も無いから老いる事も無ければ死することも無い、病気の直る

 事も無ければ病気にかかることも無い、無い無い無いになってしもうたらもう自由自在なのである。こ

 れが般若心経の素晴らしい智慧である。それで三界の諸仏はこの般若波羅蜜多に依るがゆえに、あのく

 たらさんみゃく三菩提と言う素晴らしい悟りを得られたのである。