般若心経  その1

 観自在菩薩 行深般若波羅蜜多 照見五蘊皆空 度一切苦厄

 仏教には顕経と言って経典の表面に顕れた意義を説く教えと、密教と言ってお経の内部に潜む秘密の意
義を説く教えがあります。

観自在菩薩…

 観世音菩薩の事。世音とは人々の心の響きの事。即ち、人々の心の響きを肉眼でなく心の眼で観て、そ の心のままに三十三身にもなって衆生を救済される菩薩の事。

 衆生の中には自分も含まれていて、自分の前に顕れる人々の姿を自分の心の姿と観ずると自分が救われ るのであります。即ち、自分も観自在菩薩であり私の前に顕えるすべての人も観自在菩薩であります。

行深般若波羅蜜多時…

 行深とは深く行じる事。般若とは仏の智慧。直観による智慧。知識ではなく、そのものズバリを把握す る英知。波羅蜜とは至彼岸。彼岸に至には、即ち実相世界に至るには。多とは多くの道があると言う  事、即ち六つの道、六波羅蜜の事。至彼岸とは、彼岸に達する、実相の浄土なる状態に我々が達する事 を言う。時とは六波羅蜜を行じていると。

 六波羅蜜とは、
 布施・・・世の為に献金するとか貧しい人々に供養する事。
 持戒・・・戒律を保つ事。道徳上の禁制の事。
 忍辱・・・人々の辱めにたいして腹を立てないで忍ぶ事。
 精進・・・毎日、精根を込めて進んでいく事。毎日一歩でも向上、進歩してゆくように実践する事。
 禅定・・・座禅を組んで心静かに浄土の世界、実相の世界を観ずる事。
 般若・・・般若とは智慧の事。知識ではなく叡智。中から出てくる直観智慧。

照見五蘊皆空…

 蘊とは重なるの意。波動と言う意味もある。
 五蘊とは色、受、想、行,識が重なっている。心で見たり聞いたり思ったりしている事物はこの五蘊に 入るのです。
 色とは波によってある形象が現れているものを言う。
 皆空とは皆無いと言っている。五蘊が有ると見えているけれど皆、本来無いのであります。

渡一切苦厄…

 一切の苦しみや災害から助ける(救われる)事が出来ると言う事。

 本来有るもの、真実や真理や浄土や実相は移り変わらず消えないもの。それに反して移り変わるものは 消える。五蘊などは絶えず移り変わっていつかは消えて行く。

 五蘊と言うものは有るように見えてはいるが、みな皆空であると照見(分かった)した時、一切の苦し みから解放され済度(救われる)。

 即ち無いものを有ると思っているから、無くなったら困ると思うから、苦しみが出て来るのです。無い ものを有ると掴んでいるから苦しみが出てくる。無いものを放してしまえば、苦しみなんか元々ないの だから、救われるのです。

 五蘊とは、今怒ればそこに地獄が現れるが、笑えばすぐに天国が現れる、このように移り変わるものに は実態が無い、顕れているだけ。現れているだけのものを本当に有るものと思って掴むから、苦しみが 生まれる。

 菩薩が、真理とは何か、浄土に行くには、絶対の幸せになるには、実相世界に到達するにはどうすれば いいかと、静坐、座禅して瞑想に這入っていた時、五蘊(見えるもの、想うもの等)は有るように現れ ているだけで実態はないのだ、みな皆空なのだと叡智の知恵で分かった時、一切の苦しみから解放さ  れ救われた。