生命の教育の実践発表2

 私は個高校を卒業して、一度は商事会社に入りましたが、同じ品物でも買い手によって値段が違う事に絶えられず、改めて進学しました。大学を出てからはくるまのや精密機械の設計や省力化の工夫をしておりましたが、それでも心からの喜びが持てず、ついに教師の道を求めました、35歳の時でした。

 教壇に 初めて立ちし 感動は 打てば響く 素直な子らに

真っ黒になって子供達と遅くまで遊んだり勉強を教えておりました。時には厳しくビンタもはりました。勿論、体罰禁止の事は知っておりましたが、愛があればきっと分かってくれると一人思い上がっておりました。

 それが昭和56年、我が子の病気が縁で生長の家に触れることが出来ました。そして「生命の教育」に出会ったのです。 

 今でも思い出します。「生命の実相」の25巻の冒頭に「教育の根本は児童に宿る無限の可能性を信じ、発見し、それを賞揚し、自信を持たせ、勉学に興味を持たせる事である。

 子供の伸びる力は「生命」の伸びる力である。生命は解放されて初めてすくすくと伸びるのである。

 児童に宿る本来健全な優良なのビリ力を発言させるためには先ず、縛りを解放する事である。

 心に児童の不良や欠点を見てはならない。児童の劣等や悪意を見てはならない。

 見る事は表す事であり、発現させる事であるのである。

 また、言葉で児童の不良や欠点を言い表してはならない。

 言葉は想像者であるから、言葉によって不良や欠点を言い表して、それに注意を集中させて児童を優良 児たらしめようと言うような過去の教育は悉く失敗に終わっているのである」と書かれておりました。

 当時の渡井は「今日も宿題を忘れてのか、立て、脚を開け、歯を食いしばれ」と言って、張り手をしておりました。学年最後の文集に「2年生になって、矢田先生になった。怖いなー、ゆりちゃんが矢田先生はこわいんよ。張り手されると言っていたからです。」

 それだけに、この冒頭の言葉には頭をがーんと殴られる思いでした。生命の教育とは全く逆な教育を熱血教師と言う自負のもとに堂々とおこなっていtのでした。それからは生命の教育の本をむさぼるように読みました。その中で次の二つの聖句が教育の根本と気付きました。

 創世記の第一章の「神、人間を神の姿に創りたまいて、はなはだ善しと観たまえり」との聖句です。神は人間を神の姿に創られたと言う真理。。そして、その完全円満は観る事によって現れると言う真理。即ち観なければ現れないと言う事です。

 創世記第二章の「はじめのコトバあり、コトバは神と共にあり、コトバは神なりき。万のもの此によりて成り、此によらで成りたるはない。」の聖句です。コトバが神であると言う真理。コトバによって、万のものは造られるいう真理。(三界は唯心の所現。唯心所現)

 即ち、児童には神が造られた完全円満性が既に内在している事を信じる事が第一であり、次に、完全円満性を表すには児童は既に完全円満であるという観ることが縁用で有ると言うのが第二であり、そしてコトバは創造者であるから、善き言葉を使って、しっかりと褒める事が第三であります。

 今までは、児童は無知であるからこそ、私は一生懸命にあれもこれも教えようと肩肘張って、外から教え込んだり、詰め込んだりしていたのでした。だからテストで悪い点を取れば、わたしがあれだけ教えてのに、集中力のない子だときめつけ、相手に諸悪の原因があると考えておりました。だからこそ張り手は愛であると考えていました。それが一転して、児童には既に無限の可能性をもっているのだだから、それを引き出して上げるのが教師の仕事と分かった時、どんなに嬉しかったことでしょう。

 それからの私は、創世記の聖句と子供の基本的な5つの願い(認められたい、褒められたい、愛されたい、役に立ちたい、自由でありたい)を画級経営の基本に据えて自薦を始めました。

具体的には

・授業の初めに3分間の静座をする。自分の素晴らしい姿を思い浮かべる、父母への感謝を。
・悪い事は一切言わない。朝の会や帰りの会では、嬉しかった事。友達の善い所のみを発表する。
・学期末には、全員で全員の善い所を書いてもらい、通知表を一緒に渡す
・中間休み、昼休みは児童と必ず遊ぶ。
・誕生日には、みんなで色紙に善いところを書いて渡す。
・給食時間は、各班に入って楽しく会話をしたり、班員の善い所をしっかり褒める。
・真理の話しをする。道徳の時間、朝の会、帰りの会をつかって。
・学級通信を2日に一回は書く。紙面の半分は真理の話しを。半分は児童の日記から。

 このような実践をする中で児童は大きく変わってきました。

・笑いの時間、初めは恥ずかしかったけど、今では笑えるようになった。僕が悪い事をすると、きちんと叱ってくれた先生。善いことをすればたっぷりとほめてくれる。僕は先生が大好きです。土笛造りの時、僕は初めから出来ないと思っていたが、先生の励ましで鳴らす事ができました。僕はそんな先生をとても尊敬しています。マット運動でも、先生のお陰で空中回転が出来るようになりました。プールでも先生の励ましで50メートル泳ぐ事ができました。矢田先生、僕たちが卒業するまで田井小学校に残って、僕たちを見守って下さい。    4年   和田

・矢田先生は、私の気持ちをよくわかってくれます。矢田先生は何か悲しいことがあったら、言いなさいよと言ってくれました。私はとても嬉しかったです。今までの先生には言えなかったけど、矢田先生にだけは言えました。矢田先生のことは絶体に忘れません。本当に忘れません。だから矢田先生も私達のことを忘れないで下さい。    4年    森本

・子供達が、矢田先生h金八先生みたいと申します。先生と出会えて、子供達が頭の教育だけでなく、心の教育を受ける事が出来とても有り難く感謝しております。私自身、只忙しく毎日を送っていますが。学級通信のダイヤ号を読ませて頂き、心の洗われる思いを何度も致しました。今後はもう少しゆったりと心に感謝をもって子供と共に一歩づつでもいいから自分自身を育てていけたらと思っています。来月、私の友人の娘さんが結婚します。「我が子よありがと」この素晴らしい詩をお祝いのメッセージとして送ろうと思っています。矢田先生、公私ともに大変お忙しいと思います。くれぐれもお体をご自愛下さい。
               保護者より

 最後に自作の歌で終わりにさせていただきます。

 ・こらえても こらえてもなお 溢れ来る 涙の中を 教え子巣立つ

 ・この子らに 永久の幸せ あれかしと 無邪気な笑みに 向かえば思う