ダイヤ号

・暦の上では立春の過ぎ、思いで深い4年生も後少しと成りました。

 早いものだと改めて月日の早さに驚かされています。思えば桜の季節に受け持てもらって頂き、今までの先生方と大分毛色(失礼)の違ったやり方に一体どう成る事かと親の譜が不安感が多かったのです。

 連絡帳の廃止、宿題は無し、よく遊ぶべしと言われる先生に勉強を最優先とした母親達にとっては正にショックでした。放っておいても出来る子は良いけれども内の子はそれではおちこぼれになってしまうにちがいないとうろたえました。

 半分は反抗し、半分はあきらめの心境で先生の方針を見守ってきたというのが本音です。先生はせっせとダイヤ号を発行し、人の良い所を見ていきましょう。他人を思いやるやさしい心を持ちましょう。と子供達には説き、親たちには、とにかく子供を褒めましょうとしつこい位に書き、教室で子供達にそれを実践して下さいました。

 そうです。夏休み明けぐらいからでしょうか。持ち帰るダイヤ号に載っている子供達の日記、詩などにどことなく変わって来たと感じられる文章が見られだしたのは。

 そして、行事の多い2学期に助け合う心、人の良い点を見る心、奉仕をする喜びがしっかり根付いたと親の目にも見える様に成ったのです。

 そうした事と共に学習面でも自主的にドリルその他をこなす様に成りました。是では、いかに母親達も先生の教育方針を批判する事も出来ません。

 先生の打ち出された「子供は褒めて育てましょう」「他人の良いところを見いだしましょう」「奉仕する喜び」「他人のを思いやる優しい心を持ちましょう」等々、半信半疑だった親たちを尻目に子供達はせんせいを信じ、見つめ、倣い、どんどんと吸収し、消化して自分たちの習性にしつつあります。

 「子供を良い子にしょう」「やる気の有る子にしょう」との親心で言ってきた口出し、手出しが結局は親の願いとは反対の方に追いやる仕業でしかなかったと反省仕切りです。

 褒める事の下手な親の子供でさえ先生の影響でこれほどの変化を見せてくれたのですから、それを実践なさっているよそ様のお子達は言わずもがなでしょう。
                               植木美智子