10年以上前の話し、市の美術博物館を今後どうするか? という会議があった。
収蔵庫が手狭になったことに端を発していたが、この際今後の美術博物館の在り方自体を考え、計画を立てようと検討委員会が招集され拙者もメンバーになった。用地として設定されていたのは現在プロバスケットボールリーグの試合が開催できるアリーナを作ろうと言っているあの場所だ。検討委員会の議長は早稲田大学建築科の中川武さん。メンバーには元美術評論家の某美術館館長などが居た。
議題としてまず提出されたのは、「これを機会に美術館と博物館を分離すべきでは?。」だった。当時美術部門の主任学芸員だった大野俊治さんと拙者はそれに反対した。異質なものを分離して美術だけを鑑賞したいという意見は一見正当に思えるけれど、それは美術を固定化された価値観…言わば過去のものとして捉えている。考古資料や産業遺産などと美術作品が同居していることを、むしろ積極的に捉えその境界から新たな表現が生まれてくることを促進する場づくりとして、新たな美術博物館には大きなファクトリーを併設すべきだと主張した。
当時拙者は豊橋工業高校の石田正治さんたちの「人造石工法を含めた牟呂用水路の産業遺産研究」や自然史博物館で行われた「高師小僧を原料としたタタラ製鉄実験」に感動していたし、現代美術も旧態的な美術館では抱えきれない展示不可能なものへと変貌していた。奇しくも議長の中川武さんはカンボジアの アンコール遺跡修復チームの団長でもあり、そこでは 人造石工法が活用されていることを知らされた。さらには拙者が在京時代にお世話になった鈴木了二建築計画事務所に居た桜田滋さんが 遺跡修復チームの現地所長として活躍されていることを知り嬉しくなった。議論は良い方向に纏まりつつあった。新美術博物館建設に向けて国際コンペを開催しよう、審査員は誰にすべきかという所まで進んでいた。妹島和世さんの講演が市役所講堂で開催されたのもその頃だと思う。
ところがその動きは前市長の「子ども関連施設を建設する。」の一言でバッサリと中断されてしまった。前市長は革新系の人物でそのまた前任者の汚職横暴があまりにも酷かったからかリベラル層の人たちからは評判が良かったようだけれど、正直言って拙者は大嫌いだ。要するに自分の任期中に記念となる箱物を作りたかっただけじゃないか。時系列の前後は忘れてしまったけれど愛知万博での瓦アートをアクアリーナ豊橋に移築した際に対面したがヘラヘラ薄笑いを浮かべた極めて無礼な人物だった。
新美術博物館検討の委員会が解散したとき、市役所の担当責任者は非礼を詫び「将来この議事録を必ず活かす。」と約束した。その約束がどうなったかは知らない。 バスケットボールのアリーナが建設されるとすれば反故にされたということだろうが、もはやどうでもいい。興味はない。
何かを糾弾しようとこんな文章を書いてるわけじゃない。バスケットボールのアリーナもまたいいじゃないかと思う。ただそれと同等の情熱を持って我々も議論していた。長期間議論していたことがくだらない個人の自尊心で簡単に御破算にされてしまう。それがこの国だ。
今日、豊洲市場の強引な移設開場を観ていてふと思い出し、どうしても書いておきたかった。
