おに、ってなんだろう。

疫病、災害、昔の人が原因がわからなかった様々な害悪。


それは外側から来るから祓う。


でも、内側にもオニはきっと住んでいると思う。


最近、特に光を発して世の中を変えようと思っている人ほど、
あるいは自らが光だと思っている人ほど、闇が深いような気がしてならない。


光が強ければ強いほど、闇は濃くなるように。


両方知っていた方が自由になると思う。

赤ちゃんの臍帯血を新橋のラボに届けた。



絶対に途中で何かの間違いのあってはならない大切な臍帯血。人の長い一生の間で生まれるときにしか取れないもの。これが将来、どんなに助けになるか分からない。

元気でピンピンして、使わないことがとてもいいことなのだけれど。



ラボに届けるととてもホッとする。

これからここで幹細胞の分離に入る。



でも、昔の人も何か感じていたんだと思う。

へその緒が母と子をつなぎ、命を育んだ神秘。



だから、桐の箱に入ったミイラのような大切なへその緒をお守りのように持っている人も多いと思う。


昔は「いい臍帯だとちょっと切って洗って母親に食べさせたりしたのよ」

というびっくりするような話。


「僕は体内にもう180ぐらい埋まっているよ」????

何と、喘息の治療にも使われているというびっくりもあった。



その臍帯や、高級化粧品に使われているプラセンターのもとになる胎盤はどこから手にいれるのだろう?あれは人のものなのだろうか。 謎。




神社にある鈴を鳴らすためにある、赤と白のより合わせた綱は臍帯を模した物だと聞いたことがある。

そこから親である神様につながるんだ。という話だ。


鳥居をくぐり、参道=産道を通り、何と呼ぶのかは知らないが鈴に至る綱=臍帯で神様の宿るところ=子宮とつながるというお話。


神様とつながった人間は帰り道はもう一度、子宮から出て産道を通り世の中に生まれ直す。



・・・妊娠出産に至ることはなんだかとても神々しい。


今は4人の子持ちだけれど、苦しい、悲しい流産を何回か経験した私は臍帯血を預かったときには嬉しくてウルウルしてしまう。



望まれない妊娠はなくなってほしい。

こどもと一緒に車に乗ると、他にやることがないのでよく話す。


反抗期か何か知らないけれど、何かこどもに話したい事がありそうな予感がするとその子だけを乗せてよくドライブにいった。
ひとりでブスッとしているようなときにも。


末の子は引っ込み思案なので、毎週休みになると、片道1時間ほど毎回同じコースを二人で走ったものだ。


せめて、私に出来るひと工夫だ。忙しくても黙って下手くそな編み物をしてみたり、チャンスを作っておく。



兄弟の前では話したくないことも話してくる。私はただ、聞くだけだがそんな時にもう亡くなってしまった家族のことを話すことがある。
そうすると、今目の前にいる家族だけではなく、いろいろな人が今の自分を間接的に育てていることを感じるようだ。


おじいちゃんはこんなことをしたよ。
こんな失敗をした親戚もいるし、小さいときはこんなだったらしい、などと伝えると自分の立ち位置がささやかな家族の歴史に守られていることを感じてくれるみたい。


核家族と呼ばれて久しい世の中だけど、お盆や年末にあれだけ渋滞するなんて、まんざら捨てたものではないと思う。


もっと知っているご先祖様のことを伝えるといいと思う。


子どもたちは結構面白がって聞いてくれます。