社会福祉士相談室コメットのブログ

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その後、老人病院のMSW(医療ソーシャルワーカー)として就労しました。その病院は大阪だけではなく、兵庫県や和歌山県から患者さんを引き取って入院させるといった病院で、ベッド数が1800床に対して、MSWが3人といったところでした。急性期の病院から出され、自宅へと帰ることができずにリハビリテーションと生活の場を求めて転院されてきた患者さんが多くおられました。当時(介護保険始動前)はプライベートカーテンもなく、たいていの患者さんが看護助手の手間を省く目的でおむつをつけていました。その上、おむつ交換も一日4回しかなく、多くの方がつなぎの鍵付きの病衣を着せられていました。このような病院のMSWの仕事の主なものが退院計画で、患者さんに、特別養護老人ホームへ入所するように話を持っていくという役割を担っていました。その頃は、特別養護老人ホームに対する認知度も低く、お年寄りたちは養老院という呼び方をされ、あんなところには行きたくないと言われる方もおられました。


老人病院は、服は病衣、食事も三食保証、住はベッドと生活の場として機能していることがあげられます。また、体に障がいが残ってしまい、身体機能が低下してしまったお年寄りが安全に過ごせる場所として老人病院が位置づけられていました。さらに、自宅では段差などの問題や居宅サービスが今ほど普及していなかったことなどから、自宅ではなく、介護も受けられる場所として老人病院の存在が認識されていました。まさに社会的入院の温床であり、治療の場である病院に治療の必要ないお年寄りが多く入院していました。

そして、驚くことですが、入院されているお年寄りの中に、病院住所という方がおられ、病院を管轄する自治体の福祉事務所に生活保護の申請する役割もMSWの仕事でした。