まだまだ初夏って感じで暑さがあってもすがすがしい感じ~
さてさて、今日はなんと『原田左之助日』(笑)
いや、本当のところ、実在した左之さんの(旧暦で)命日なんです。※

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新撰組を抜けた原田と永倉は、慶応4年夏に結成した靖共隊(靖兵隊・精兵隊・精共隊とも言われる)も離脱して、江戸に引き返した。原田は京都へ戻ろうとしたが、江戸から西は新政府軍に制圧されていて戻ることができなかったという。
原田は何を思ったのか、上野の彰義隊(しょうぎたい)に入り加勢したのだ。ところがこの彰義隊は同年5月15日のわずか1日で壊滅してしまった。
敵兵2人を斬り伏せたが、敵の銃弾に当たり倒れた。瀕死の重傷を負いながらも原田は本所の神保山城守(じんぼやましろのかみ)の屋敷へ落ちるが、2日後の17日落命したとされている。享年29歳。
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左之さんが京都へ戻ろうとしたのは妻子の愛着では?と永倉親八が推測しているらしい。
妻のまささんのもとには、岸島芳太郎という隊士が「正誉円入居士」という戒名の書かれた紙を1枚手渡されただけたったという。
左之さんの死は諸説あり、彰義隊の後は中国に渡って生き延びたとか・・・・etc.
左之さんは、まささんと別れ際に200両のお金渡し、「息子の茂を立派な武士にしてくれ」と言い残し、これが最期の言葉になったと言われています。
まささんは1人息子の茂とともにある人と再婚し、昭和5年89歳まで生きたそうです。息子の茂は成長し、実業家になったと言われてます。あれ?武士にはならなかった?っていうか、明治に入れば、武士になんてなれないですもんね?(笑)
まささん、きっと左之さんの死を知った時、辛かっただろうなぁ・・・・・
でも、死別しても彼女は息子さんのことを思い、再婚という道を選んだんだろうね?なんだかとてもしたたかな女性だったんじゃないかと思わされる。
それから左之さんは彰義隊の加入時期が遅かったから、名簿には載ってなかったんだって。
左之さんって大柄でけっこう新撰組内ではイケメンだったと言われてるらしい・・・(*v.v)。
会えるなら、ご本人にお会いしてみたいわ
でもねぇ・・・・・かなり生意気でけんかっ早い人だったみたい・・・(^▽^;)
そんな人だけど、愛妻家とまで言われるほど。
そういえば!まささんは左之さんと結婚する時、まだ18歳だったんだって!左之さんは26歳。
これってぇ、なんかぁ、『薄桜鬼』の左之さんと千鶴ちゃんみた~いって思った(笑)
まささんは京都の町娘だったって言うし・・・・・・(*^.^*)
どんな出会いをして、2人の間はどんなものだったんだろうなぁ・・・
はぁ~(*´Д`)=з うらやまし~
薄桜鬼の左之さんは最初、恋愛下手で奥手なのかという印象があったけど、けっこう普通な純粋な大人な恋愛だったと思うなぁ・・・
本当のリア左之さんもこんな感じだったのかなぁ?
だったら、なおさら萌えるぅ~~~(〃∇〃)
※実際の命日は1868年7月6日であり、本日は新撰組局長・近藤勇が斬首された日。つまり、左之さんと近藤さんは同じ年に亡くなられていたようです。さらに沖田総司も同年7月19日(慶応4年5月30日)に病死。左之さんも総司も近藤さんの後を追うように亡くなられてたんですねぇ・・・
・・・・・・・・・・合掌(。-人-。)
by. 紗雅
素直すぎて、お世辞がうまく言えない薄桜鬼の左之さん、ひょっとして少し天然?(σ・∀・)σ

」って(;^_^A 