7月3日 筑波FJ1600 第2戦エントリー完了
おとといの木曜日、7月3日の筑波 FJ1600 第2戦に エントリーしました![]()
ちょっと悩んでたとこもあったのですが、結局は、悩んでいても仕方ないかと・・・![]()
前回のレース、本来は、事故の後、体の具合から言えば、モナコで事故したペレス状態で、レースへの出場を休んでも仕方無いような状態でしたが、何よりも、FJ1600のデビューレースだったので、頑張って出場しました![]()
結局、事故したときの記憶は戻っていません![]()
その後も、頭はガンガン、左の鎖骨はジンジン、右ひじはキュウキュウ、首はダルダルって感じだったのですが、首以外は最近になって、やっとマシになってきました。
そんな感じなので、戦闘モードに入るわけも無く、日々の生活もダラダラ状態で、あれからまだ練習も行ってない状態です。
そんな状態だったので、このままレース出ても良いものかどうか等、色々考えてたのですが、ただ、そもそも、何のためにレースに出たいと思ったのか![]()
それは、このまま年とって、いずれ死に行くときに、あーぁー、4輪乗りたかったなぁーとか、フォーミュラー乗りたかったなぁーとか言う、後悔だけは、絶対したくなかったからです。
元々、ガキの頃の夢はF1ドライバーっだったわけですが、35年も前に、小学校のクラスの誰一人として、F1ってのを知らないような時代に、そんな夢を持ってたんです![]()
ただ、4輪のレースするには、莫大な金がかかると思ってたので、レースなんて無理だろうなと思ってたところに、縁あって、2輪のレースにどんどんはまって行ったのです。
このまま、仕事ばっかりして、たまにカート乗って、今までの流れの通りの生活してれば、人生楽ですよ、そりゃー。
でも、絶対、後悔するなと思ったから、恥ずかしながら、この年で、もう一度チャレンジしようと思ったのです![]()
だったら、楽しむしかしょうが無いでしょっ
て感じで、やっと、ちょっと開き直れました。
勝つとか負けるとかじゃなく、もちろん、真剣勝負に変わりは無いですが、楽しもうと
、そう思ったのです![]()
6月22日は筑波練習で、そのあとは、7月1日、2日と、もうレース前の練習を残すのみです。
それまで、トレーニングをしっかりしながら、前回のレースみたいに『ペダルすべった』みたいな、おバカなことにならないように、色々下準備もしながら、イメージトレーニングも行いながら、しっかりレースに望もうと思います![]()
今回のレースは、F4の東日本選手権も開催されます。
もちろん、スーパーFJも開催されます。
サーキットに足を運んだことがない方も来られてみては、いかがですか![]()
F4は凄いですよ
2011年 K-TAIに出場します。
今年は、煙屋の車好き、カート好き、レース好きのみなさんと、アカサカレーシングさんにマシンを準備していただいて、K-TAIに出場します![]()
クラスは、7月24日のエンジョイ7時間耐久クラスです。
チーム名は、『 煙屋カート同好会 』 です。
参加するみんなも今回は初参加です![]()
ドライバーは、前回、筑波のFJ1600の開幕戦に応援にきて頂いた皆さんで、去年の筑波のカートレースのジャパンカートカップにも出場した皆さんです。
ちなみに、煙屋と書いてエンヤと読むのですが、新宿区西落合の住宅街の中にある、うなぎ屋さんで、リーズナブルな値段で、かなりおいしいうなぎを出してくれます![]()
マスターは、昔からレース好きで、ハチロクで筑波や富士のレースにも出られてた方で、現在中学2年になる次男さんも、秋が瀬サーキットで、小学生の頃は、レーシングカートでレースにも出ていました。
私も煙屋さんが主催する、秋が瀬サーキットのレンタルカートの走行会に参加させていただいてから、カートにはまりました。
K-TAIは6月19日の日曜日は公開練習日なので、みんなと参加する予定です![]()
順位うんぬんより、まずは皆で楽しく参加できればと思っています![]()
もし、モテギで会う方がいらしたら、気軽に声をかけてください![]()
皆で楽しくがんばりましょう![]()
1989年 ロードレース全日本選手権第3戦 西日本サーキット レーシングチームカタヤマ 吉岡悟
メチャクチャ古い写真です![]()
24歳の時の私です。
1989年全日本ロードレース選手権第3戦西日本サーキットでのジュニア250ccクラス決勝で、2位以下を6秒以上引き離しトップを独走中の写真です。
レーシングチームカタヤマ(RTK)という、当時日本でただ一人の世界選手権チャンピオン経験者の片山敬済さん率いる、プロフェッショナルレーシングチームに所属していました。
この時は、予選2位で、予選1位は今も現役のライダーとして全日本選手権に参戦している東村君。
2人だけが当時の西日本サーキットのドライでのコースレコードをあの短いコースで一気に1秒以上更新しました![]()
決勝は、全員スリックタイヤでの出走でしたが、スタートして半周した頃から雨が降り出してしまいましたが、1週目から1位をキープし続けていた私は、8週目あたりで2番手以降の選手に6秒もの大差をつけ、毎週さらにリードを広げる走りを見せていました。
が
・・・
チーム代表の片山敬済さんからの直々の体全体を使ったオーバーアクションでペースダウンのサインが出され、最初は何の意味だか分からなかったのですが、毎週ペースダウンのサインが出されるので、やむを得ずペースダウン。
かなりの雨量だったため、おそらく片山さんは、レースが赤旗中止となり、私の1位が確定すると思われてていたのでしょう。
ところが、西日本サーキットは、全日本選手権の開催が初めての年で、決勝レースでの雨による赤旗中止の判断に慣れていなかったのか、なんと、マジ、台風のような大雨の中、最後までスリックタイヤのまま決勝が続行され、ペースダウンのサインをずーーーーっと出されたままの私は、結局、後ろの2台に抜かれ、結果3位となってしまいました![]()
片山さんからは、
『 ここで無理して走って意味のない転倒をして悪いイメージを残すよりも、完走の方が大事なんだよ、きみはもうどこのサーキットでも勝てるんだから、無理に勝たなくてもいいんだよ 』 と、後から言われました![]()
1987年の話ですが、当時大学4年の私は、就職活動もせずにレースで飯を食うんだという思いでノービス125㏄クラスで2年目のシーズンを戦っていましたが、SUGO、筑波、鈴鹿の3つのサーキットで、ただ一人表彰台に乗ることができたライダーで、鈴鹿サーキットでは後の世界チャンピオンの北川圭一君に次ぐ年間総合ランキング2位でした。
その結果を評価されて、大学卒業と同時に尊敬する片山敬済さんが主宰されるレーシングチームカタヤマに所属し神戸市から鈴鹿市に移り住むことになります。
ちなみに、1987年のノービス125CCクラスのSUGOサーキットの年間チャンピオンは後のスズキのワークスライダーで世界選手権に参戦した若井伸之君、筑波サーキットの年間チャンピオンは後の世界チャンピオン原田哲也君という、これまたすさまじいライダー達と競い合っていました。
今では唯々懐かしい過去ですが・・・。
若井君はスペインのへレスサーキットにて残念ながら亡くなられてしまいましたが、原田君や北川君は今ではレース界のレジェンドです。
レーシングチームカタヤマに所属した1988年は、125CCから250ccクラスにスイッチした1年目で、ダンロップのスリックタイヤのロープロファイル版の前輪タイヤのチャタリングのせいでマシンに馴染めず、全日本選手権では6位入賞どころか、15位にも入れず、ポイントすら取れませんでした。
ポイントすら取れない私でしたが、SUGOサーキットでの雨のライディングを見た片山さんに 『きみは、ジュニア250CCクラスでチャンピオンを取れる走りをしている』
って言われ、自分でも????だったのですが、見る人が見れば分かるのですかね・・・??
1988年にシリーズ全戦を通して2ポイント程度しか取れなかった私に対して、片山さんは1989年も継続して契約を更新してくださったのですが、シリーズ第1戦の筑波サーキットでは、な・な・なんと屈辱の予選落ちでした。
もうライダーとしては終わったのか・・・復活できないのか・・・と感じていた私ですが、相性が悪かったダンロップタイヤから相性の良いヨコハマタイヤにスイッチしたことで、やっと250CCの乗り方が少しづつ分かってきて自分の走りができるようになった私は、突然変異を遂げ、全日本選手権第2戦の鈴鹿サーキットでは、雨の中の予選で、なんと2番手以降に1秒以上の差をつけて予選第1位(ポールポジション)を獲り、250㏄クラスのライダー達がパドックで 『 レーシングチームカタヤマの吉岡悟っていったい誰だよ??知ってる?? 』
みたいな話になってたのを覚えています。
(1987年の活躍で125ccクラスのほとんどのライダー達は私の名前を知っていましたが・・・)
決勝はスタートでミスしてビリケツまで落ちましたが、その後30台をぶち抜いて10位になったところでヘアピンカーブでアルミの右ハンドルが折れてしまい、残念ながらリタイヤとなってしまいました。
以前の転倒でハンドルの溶接部にクラックが入っていたのでしょう。
最もスピードの落ちるヘアピンカーブ入口でのアクシデントだったのでグラベルにはみ出しただけで転倒もしなかったのですが、もしも1コーナーの240㎞からのフルブレーキングでハンドル折れたら死んでたかもしれないですね・・・・。)
第1戦で予選落ち ⇒ 第2戦では堂々の予選1位という大大大躍進の突然変異を、片山さんは予測できていたことになります。
世界チャンピオンを獲れる人は、さすが見る所が違うんだなと自分自身びっくりしました。
そして、その後の第3戦が写真のように決勝で途中まで1位を独走した西日本サーキットでした。
片山敬済さんには当時とても可愛がっていただき、鈴鹿や、西日本、SUGO等の色々なサーキットのコーナーで、先輩ライダーや招待された当時の世界トップクラスのアメリカ人ライダーの走りを二人で見ながら、色々なテクニックを教えていただきました。
この時、本当に、必死になって走るより、いかに考えながら走るかという、頭を使った走り、そして、そのための入力=インプットがどれほど大事かということを教えて頂きました。
『 知識をためて知恵を出す 』 今でも私の行動の指針となっています。
1989年は、表彰台の常連となりましたが、先ほどの様な決勝でのマシントラブルによるノーポイントや、後半戦では予選での転倒が2回あって決勝に出れなかったりしたことが響き、年間総合ランキングは最終的に8位という結果でした。
ヨコハマタイヤさんのタイヤテストや、ホンダレーシングさん(HRCといういわゆるワークスのレーシングチーム)の走行枠での練習にも入れていただき、全日本でのトップライダーになって、世界選手権に行きたいと思っていた自分にとって、本当に良い経験をさせていただいた1年となりました。
1990年以降、ここからがレースの世界での本当の勝負といった感じだったのですが、残念ながら、色々な理由によりレースの世界から突如引退することとなってしまいました。
それから、20年たって、レンタルカートで再びレースに目覚めるのです![]()
2011年 FJ1600 筑波サーキット 開幕戦
昨日、5月29日は、FJ1600 筑波サーキット 開幕戦でした。
結果は、決勝5番手スタート、3周目に、4位走行中に、1コーナー入り口でスピンして終了![]()
なんと、マジ、ブサイクなレースでした。
まぁ、木曜の大クラッシュから生還して、レースに出ることができただけでも、運が良かったと思うべきでしょうか![]()
台風の影響で、29日は朝から雨。
いままで、雨の練習は30分×5回しか走ったことがなく、素人同然ですが、練習タイムでは、FJ1600で早いと言われているドライバーどほぼ同じタイムで走れていました![]()
なので、予選は覚悟を決めて行くしかありません![]()
予選では、初めて履く、ヨコハマレインのニュータイヤなので、20分間の最終5分でタイムアタックしようと、スローペースで10周くらい走ったところ、なんと赤旗で中断。
たぶん、19台中、10番手タイムくらいでしょうか??
8時55分から中断され、9時になってしまったので、残り時間5分![]()
なんだよもーーーって感じですが、雨の決勝では、まず前を抜くなんてできないので、予選順位がメチャメチャ大事なのです![]()
仕方ないので、冷えてしまったタイヤで、もうプッシュするしかありません。
予選再開されて、3周目
いきなり3番手タイム
よーーしって感じで、さぁ、残り1周だと思い、さらにアタックするも、2へア進入でスピン![]()
まぁ、時間的に、予選もすぐ終わるだろうから、3番手確定かと思いきや、全然終わらない予選
まだ6周くらいできました![]()
さらに、雨足が弱まってくるではないか![]()
ということで、なんと5番手になってしまいました。
なんと、予選中の赤旗中断は、その時間分、予選が延長されるんだって![]()
あ~~あ~~、知らなかった
さすがFJ1600初心者![]()
知ってればもしかして・・・。
ってことで、決勝は5番手スタート![]()
スタートでは、3番手の高木選手がホイールスピン![]()
自分もホイールスピンしながらも、なんとかごまかしながら、1コーナーは4番手でクリア![]()
でも、全く前が見えない
マジ怖~~いって感じ![]()
さらに、前の選手、遅い![]()
でも抜けないーーーと思いながら2周目、予選3番手の、スタートで抜いた、去年、表彰台にも立っている、高木選手が、後でイライラしてるのが分かる。
でも仕方ないでしょ![]()
前が遅いんだから![]()
と思いながら、3周目に入った1コーナー。
な・な・なんと、ブレーキかけた瞬間に、足がブレーキペダルから滑って、ノーブレーキ状態に![]()
1コーナー進入は、雨の場合、4速、7000回転で引っ張り切ってるので、たぶん150キロくらいはスピード出てます![]()
やばーーと思ってもう一度ブレーキペダルに足を戻すも、間に合うわけもなく、そのままスピンしてコースオフと相成りました![]()
チャンチャン。
ってことで、3周目で終了ーーーー。
さすがFJ1600初心者
って感じですね。
マシンに乗るときに、雑巾でレーシングシューズを拭いたのですが、完全ではなかったようで・・・。
筑波サーキットから、自宅への帰り道、チョー不機嫌な自分がいました![]()
まぁ、こうなったことも、色々な理由があっての結果なので、自分で消化するしかありません![]()
ということで始めてのFJ1600公式戦は、決勝リタイヤでした。
その後、高木選手は、3位のマシンを15周目くらいに、1コーナーでやっとパスしてました。
さすがに、2年目の早い選手でも、雨で、前を抜くのは難しかったようです。
と言う事で、次戦、7月3日、楽しみです。
レインでは、トップと変わらないスピードで走れることは分かりました。
ドライはどうなるかですが、もう少し練習すれば、トップに絡めるかなって感じです。
まぁ、それを決勝18周、どこまで、ミスなくできるかが勝負ですね。
去年の今頃、同じ筑波サーキットでのレースには、カートのジャパンカートカップというレースに出てました。
それで、FJ乗りたいな~~って思ってたのが、実際に、1年後には、レースに出れたんですから、幸せとしか言いようがないです![]()
マジ、生きてて良かったと思います![]()
FJ1600初心者、次回頑張ります![]()
今日はやばかった
さすがに今日はやばかった。
死んでたかもしれない。
筑波サーキットのダンロップコーナーを抜けたところで、1台のFJがスピン ⇒ 後のSFJは、ギリギリかわしたらしい ⇒ 2台目の伊藤選手は、右に逃げるも、スピンしたマシンと衝突(右に逃げようとすると伊藤選手のマシンを何となく覚えている) ⇒ 後輪左のタイヤがちぎれる ⇒ 私も、まん前に、まるでクジラのように横たわる、白いマシン(一瞬自分の中で白黒画像になったかも) を避けようと右に逃げるも、その瞬間に伊藤さんのちぎれたタイヤが私のヘルメットに、前から ”ガン”って感じで乗り上げる ⇒ 一瞬のすごい衝撃 ⇒ そのまま脳震盪を起こし、スピンしたマシンに左斜め前方から突っ込む。
3速全開だから、おそらく120キロくらいはスピードが出ているたのではないだろうか?
以上は、伊藤さんのマシンが左後輪しかつぶれていないこと、私のマシンは前方から左側が大破していることより、色々憶測しながら書いたものですが、たぶん、ほぼ当たっていると思います。
どうやって止まったかわ分からないが、私のマシンは止まっている。
(なんとなく、自分が止まったマシンの中にいる景色を覚えている)
自分でマシンから降りたそうだ。(まったく覚えてない)
そして、クラッシュパッドのほうへ歩いて行ったそうだ。(まったく覚えてない)
救急車に乗せられ医務室へ行った模様。(医務室に行ったことは何となく覚えているが、どうやって現場から、医務室まで行ったのか全く覚えていない。
たぶんというか、まず間違いなく、救急車に乗って医務室まで行ったのだろう)
医務室から、今度は、チームマネージャーの加藤さんの車に乗って、近くの病院へ。
(病院へ行く景色は覚えている)
そこで、頭のCTを撮ったとのこと。(後から病院に電話して確認して思い出した)
(CTを撮ったと言われて、やっとCTの機械に横たわった自分を、何となく思い出すレベル)
加藤さんに連れられサーキットへ戻る。
色々準備して、横浜まで帰る伊藤さんの車で、自宅まで送ってもらった。
自分の車での帰宅は危険ということで、運転禁止。
車中、伊藤さんと色々話しをしたが、今はあんまり思い出せない。
伊藤さん、送ってくださってありがとう。
なんか、脳の中の、時系列をつかさどる部分と、その時起きた内容が、うまく整理されない様子。
5月29日に筑波サーキットで、FJ1600の開幕戦があるので、結構真剣モードでみなさんは走っていたと思いますが、1台のんびり走るマシン出現![]()
危ないなーと思いながらも2回くらい抜かしただろうか??
そのマシンが、すぐ周回遅れになって、また前に現れ、ダンロップコーナーでスピンしたのだろう。
自分としては、すでにレースウィークという頭で練習しているにも関わらず、残念なことに、『 筑波2000のコースは始めてです 』 という感じで走る選手。
もう少し、筑波1000のこコースで練習してから、2000のコースに出るようにした方が良いのではと思ってしましまいた![]()
今回の事故で、もし、横からタイヤが頭に当たっていたら、そのまま、首の骨が折れて即死だったであろう。
前から当たったから、ロールバーで首が耐える事ができたんだと思う。
オートバイレースの全日本選手権に出てたころは、木曜から公式練習が始まっていたので、その感覚でいた自分も気をつけるべきですが、やはり、開幕戦前の木曜日は、不慣れな選手には走って欲しくないのが正直なところです。
まぁ、それよりも、人の後ろを走るなということですかね。
スピンして、後続のマシンにぶつけられ、クシャクシャになったマシンの選手。
スピンした車を避けきれず、突っ込んでクシャクシャになった私と伊藤さん。
どっちも不幸です。金銭的にも肉体的にも精神的にも。
もしかたら、スピンした選手に、私が乗り上げて、その選手を殺していたかもしれないし、今回、私の頭を直撃した、タイヤに付いた、途中から折れたプッシュロッドが、私の頭に突き刺さっていたら、即死だったかもしれない。
アイルトンセナが死んでしまった原因は、クラッシュした瞬間に折れたボルトが、ヘルメットを貫通し、頭蓋骨も貫通し、脳に達したからです。
それが無ければ、普通に、歩いてピットに戻っていたかもしれないのです。
普通に歩けなくても、救急車に乗せられたとしても、生きていたはずです。
その、一瞬の運が、人の命を左右するのです。
音速の貴公子と呼ばれた天才ドライバーのアイルトンでさえこう言っています。
『 人は簡単に鏡の向こうの世界に行ってしまう 』
今回のレースのために、私はしっかり遺書をしたためています。
モータースポーツとは、そういうものです。
私くらいの年齢になると、会社のことや、家族のことや、その他色々、絡みが大きすぎて、ポックリ逝ってしまうと、周りに思い切り迷惑がかかります。
逃げ切れなかった自分が悪い、そういう事故をするような場所にいた自分が悪い。
サーキットとは確かにそういうものです。
でも、もう少し、技術的にUPしてから、フォーミュラーカーって乗るものではないでしょうか???
ましてや、開幕戦前の木曜に走るのは??????って感じです。
以上。今日はグダグダな内容です。
別に酒飲んで書いてるわけではありません。
死んでたかもしれない人間が、今後の自分への戒めの意味も含めて書きました。
明日、本当に目覚めるか、神のみぞ知るですから。
PS.
今から、走行を録画したビデオを見てみます。
怖くて見ないでおこうと思いましたが、事実を事実と受け止め、今後に生かしたほうが良いと思いますので。
残念ながら、なぜか、ビデオに録画がされていませんでした。
良かったのか、悪かったのか・・・・・・・・
一生、あの瞬間が、正確に、私の記憶の中にもどることはないでしょう。
思うに、1987年のSUGOのノービス125CCクラスの予選と似ている。
ポールポジションを狙い、気負い過ぎて、登りのSでハイサイドで転倒。
気負ってポールポジションなんて狙うと良くないのですよね。
狙うのではなく、目一杯走りに集中した結果がポールポジションなだけ。
当然、そのタイムを出すために、常日頃から努力するのです。
決勝はモロガ君の優勝で、今は亡き、若井伸之君が5位くらいだったかな?
タイム的には、私も優勝争いをできるタイムでした。
その時のレースは、原田君がいなかったから、ポールを狙って行ったのですがね・・・。
その前戦のSUGOでは、後の世界チャンピオン原田哲也君が1位、2位が私、3位が後のGPライダーで、スペインのヘレスサーキットで亡くなった若井伸之君だったのです。
今回は、FJ1600の初めての公式レースですが、2月の筑波のFJ1600の模擬レースで2位となった以上、狙うは表彰台のテッペンですからね。
その気負いが、今回の事故につながったのかもですね。
代替のマシンさえ準備ができれば、筑波のレースには出るつもりです。
もちろん、明日も生きていればの話ですが。
まぁ、人間万事塞翁が馬
何事も良い方向に考えましょう!!!!!!!!!!!!!!!
レースウィークの練習は、タイム制限を設けるとかしたほうが良いかもですね。
この不景気で、サーキット側は、1台でも多く走って欲しいのだとは思いますが、死亡事故が起きると、サーキット側もそれなりに迷惑をこうむる訳ですからね。
そのあたり考えて欲しいですね。
塚越広大 レーシングスクール
今日は、フォーミュランド・ラー飯能にて行われた、塚越広大レーシングスクールに参加してきました![]()
結論から言って、かなり自分としては勉強になりました![]()
朝9時~10時30分までの座学は、通常のサーキット走行マナーやルールに関しての講義で、10時30分~12時までが、タイヤの使い方に関しての講義でした。
早く走る=タイヤマネジメントということで、内容的には、結構深いもので、質問にも色々答えていただき、私が、カートをやり始めてからの、ブレーキングでの悩みや、走行ラインについての悩みが、ほぼ解消されました![]()
2輪と4輪での、ブレーキング開始~向きを変える~立ち上がりの差というか、コツというか、やっと分かった気がします。
午後からは、フリー走行15分を行い、そのあと、1コーナークリッピングポイントでのフルブレーキ練習、その後、塚越さんに先導してもらいながらのフリー走行15週、その後、模擬レース5周という流れでした。
1回目のフリー走行で、今までのベストの34秒6をあっさり0.1秒ほど更新しました
ベストタイムは34秒533でした。
2回目のフリー走行では、目の前で塚越選手の走りを見ることができ、さすがに感動です![]()
なんといっても、日本を代表するドライバーが目の前で走っているのですから。
ベストタイムは34秒521でした。
塚越選手は34秒2くらいで周回されてました。
そして、雨がパラツク模擬レースでは、塚越選手は、最終列スタートにもかかわらず、私は一気に最終手前のコーナーでスッとパスされてしまいました。
そのあとは、前を走るカデットに引っかかって抜くことのできない、塚越選手の走りをまた、目の前で見ることができました![]()
とても有意義な1日でした。
塚越さん、フォーミュランド・ラー飯能の社長さんをはじめスタッフの皆さん、本日は大変有難うございました![]()
塚越選手、今シーズンのレース、応援してます!頑張ってください!
SAVE JAPAN 東北地方太平洋沖地震 義援金サイト
東北地方太平洋沖地震で被害に遭われた方々に、心よりお見舞い申し上げます。
また、今回の地震で犠牲になられた多くの方々のご冥福をお祈りします。
私自身、1995年1月17日に起きた、阪神大震災の被災者であり、友人や知人が実際に亡くなりました。
避難所での経験はありませんが、水、ガスが出ない生活を何ヶ月も経験しました。
しかし、今回の被災状況は、原子力発電所の事故も含め、日本、いや世界が経験したことの無い、困難な状況に直面しています。
阪神大震災でも、被災者の方全員が、仮設住宅から一般の住宅に移ることができるようになるまで、5年の歳月が必要でした。
そして神戸市内では、いまだに、あちこちで、建物を建てることができない、空き地が目立つところもあります。
今回は、被災者の方々が普通の暮らしに戻り、町自体が復興されるのには、確実にそれ以上の年月が必要ではないでしょうか。
そのような状況の中、モータースポーツに関連する皆さんが応援する、義援金活動がありますので、ここで紹介させていただきます。
私自信、自分ができることって、実際に自分で義援金活動をして、少しでも被災者の方々の色々な負担を少なくして差し上げることくらいしかできないと思います。
みなさんも、よろしければこちらのサイトを見ていただいて、義援金活動にご協力いただければ幸いです。
ZAP SPEED 2011年 春季 オーディション
ZAP SPEED NEWSより抜粋 2011/3/31
2011年春期ドライバーオーディションは東北地方太平洋沖地震の影響により開
催日を4月9日、10日に延期させて頂きました。
世の中で幾つかのイベントが延期もしくは自粛となっていますが、被災地の一
日も早い復興を成し遂げるには日本中をあげての経済支援が不可欠です。その
為には自粛はなんの前進にもなりません。
また、自動車レースは自動車の性能向上、燃費の改善に貢献してきたスポーツ
です。今後の自動車技術発展の一翼を担う自動車競争のドライバー育成の第一
歩なので予定通り開催を致します。
今回のオーディション参加費の一部は被災地の義援金にあてさせて頂きます。
ザップスピードの、春季オーディションが開催されます![]()
http://www.zap-speed.com/audition/index.html
現F-NIPPON、S-GTドライバーの小暮卓史選手、石浦宏明選手、S-耐久ドライバーの池田大祐選手、栗原宗之選手など、このドライバーオーディションをキャリアの第一歩として栄冠を掴みました
私は、前回の、2010年秋季オーディションで、合格させていただきました。
ザップスピードのオーディションが始まって以来の、最年長合格者だと思います![]()
45歳で合格させていただいたのですからね。
感謝、感謝。
そして、現在、筑波サーキットで、月に2回程度の練習を行っています。
オーディションに来ていた方は、10代、20代の若き、次代を担うドライバーたちですが、オーディションには年齢制限はありません![]()
何歳になっても、チャレンジしたいと思った時が、その人にとってのタイミングです。
Everything is the timing.
私の大好きな言葉です![]()
筑波サーキット FJ 模擬レース
今日は、筑波サーキットで行われた、FJの模擬レース、【 2011 NewYear走行会 】の報告です。
筑波サーキットにて行われているFJのレースは、2011年は年間で5戦ありますが、そのレースに初めて出る、もしくは出場経験があるドライバーも、練習レースとして、このレースに出場します。
毎年、ウインズガレージさんが主催で、レースが開催されます。
http://windsdayori.blog79.fc2.com/blog-entry-212.html#more
今年は19台の参加がありました。
ザップスピードからは、自分を含め3台の出場です![]()
ウインズガレージの社長さん曰く、『 このレースで優勝したドライバーは、その年のシリーズチャンピオンにはなれないイワクがある 』とのこと。
まぁ自分には関係ないと思っていましたが、いざレースが始まると・・・。
練習走行では、今までのベストタイムを0.4秒、一気に更新し、1分1秒463で、公式練習結果、タイムは3位という結果でした。
あれれ、結構いけてる!
1位のドライバーは新品タイヤを練習から履いているため、1分0秒664というぶっちぎりのタイムでした。
2位はザップスピードの住山君(高校生)1分01秒339、同じくもう1台のザップスピードの栗原君は10位という結果でした。
その後、予選は、初の新品タイヤを履いてのタイムアタックです。
予選は15分あるので、最初の5分はタイヤの皮むき、後の5分は新品タイヤに慣れる、残りの5分でタイムアタックという計画でスタートしました。
が、
残り3分となっても、一向にタイムが出ません。1分01秒257がベストで、1分0秒台なんて、まったく出ません。
このまま走っても、同じリズムで走ってしまうため、急遽ピットインを決断![]()
メカと3,4言葉を交わし、あと、2分というところで、ピットアウトし、ラストの1周に賭けます。
結果、
1分0秒803という、前回までの自己ベストを1秒縮めることに成功![]()
![]()
なんとか、1発チャンスを狙ってピットインし、最後の1周に賭けた事が、結果良しと出ました![]()
予選結果は、1位が住山君 1分00秒692、2位がウインズの川福選手、1分00秒742、3位が自分で1分00秒803、4位の選手が1分01秒841ですから、4以下を1秒離した、上位3人でした。
筑波サーキットでの走行が、というより、FJ乗り出して、10回程度しか練習していないにしては、もう上出来としかいえない結果です!!
良くて19台中、真ん中の9位くらいになれればと思っていたのに、もしかして、トップ争いができるかも![]()
そして、決勝、初めてのスタート。
結構、心臓はバクバクです。
5秒前。
赤ランプ点灯。
赤ランプが消えてスタートです。
赤ランプが消えた瞬間、なんと予選1位の住山君がスタートミス![]()
予選2位のドライバーと自分は、絶好のスタートで一気に住山君を抜き去る![]()
と思っていたら、1コーナーで突っ込みすぎ、難なく住山君に抜かれ3位![]()
その後、ダンロップコーナーでしくじり、ダート走行し、4位まで順位を落とす![]()
しかし、4位選手とはタイム的には1秒の差があるので、次の最終コーナーで一気に抜き去り、再び3位へ![]()
その後は、3台とも、同じ間隔を保ったまま、13週を終え、残り5周を迎える。
しかし、なんと、そこへ、周回遅れのマシンが第1ヘアピンで現れ、抜くのに戸惑う前2台![]()
ここで追いつくぞ
と自分に、気合を入れ、一気に前2台に近づく![]()
そして、第2ヘアピン立ち上がりまで、周回遅れを抜くのに戸惑う前2台。
ここだとばかりに、2ヘアピン立ち上がりで、前を行く住山君のスリップに入り、一気に最終コーナー突っ込みで抜き去り、2位へ浮上![]()
と思ったら、なんと、又、1コーナーでしくじり、住山君にあっさりと交わされ、3位に脱落![]()
と思いきや、次の1ヘアで、1位の川福選手が、また、周回遅れに捕まり、その隙をついて、住山君が1位へ浮上![]()
逃がしてなるものかと、自分も必死で追いかける![]()
最終コーナー入り口で住山君が抜かれ2位へ。
川福選手が1位を奪取![]()
次の周の最終コーナーでは、うまくストレートでスリップを使い、今度は自分が2位へ浮上![]()
そして、1位の川福選手より、マシンが早いことを生かし、右から左からコーナー入り口で突っつく![]()
そのまま、突っつきながら2周を終えたところで、なんと、2ヘアピンの立ち上がりで、川福選手がマシントラブル
で減速![]()
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難なく、1位に躍り出て、そのまま1周を守りきり、なんと、初レースで1位でチェッカーを受けることに・・・![]()
ウインズの社長さんの言葉が、頭に浮かぶ。
『 このレースで優勝したドライバーは、その年のシリーズチャンピオンにはなれないイワクがある 』
まぁいいかと思いながら、表彰台のテッペンで仮の表彰式を受ける。
やっぱりさすがに、1位は気持ちがいい。
と思っていたところ、
本表彰式で、なんと、自分の最終コーナー立ち上がりでのオーバーランが発覚し、ペナルティということで、2位に![]()
良かったのか悪かったのか![]()
ということで、無事レース終了。
3月、4月はまだまだ練習をしっかりして、5月5日の筑波サーキットでのFJレース第2戦に参戦することが、チームと話をして、仮決定しました。
練習頑張って、安定したラップタイムを出すことが条件です。
さぁ、また頑張るぞ~~![]()
PS.
ちなみに川福選手は、ガソリンが足りず、燃料不足だったそうです。
実力的には、川福選手が1位、住山君は水温が上がってしまっての、遠慮しながらの走行なので、2位、自分が3位って感じでした。
国内A級ライセンス 講習会
国内A級ライセンスの講習会に参加してきました![]()
場所は筑波サーキットです。主催はチームマグナスオートクラブさんです。
皆さんは自分のクルマでサーキット走行を行うのですが、自分のクルマは古くて、ミッションから油が漏れてたりしているので、今回はレース仕様のビッツをお借りしました。
1日がかりですが、公認レースに出るためには必要ですので、座学講習 ⇒ 筆記試験 ⇒ トライアル ⇒ 実技走行試験 をこなしてきました![]()
サスは結構固めのビッツですが、FJと比べると、パワーが無く、重心も高いので、ゆっくり走行しました。
実技走行は、早く走るよりも、しっかりと黄旗等の見落としなく、安全にサーキット走
行を行うことが肝心です。
無事、筆記試験、実技試験とも合格しましたので、(毎回、ほぼ全員が合格だそうです)
晴れて今年のFJの筑波選手権にも出れる資格を得れました![]()
あとは、練習でタイムをしっかり出して、チームからレース出場のOKをいただけば、レースに出られます![]()
2月25日に今年FJのレースに出るドライバーたちの模擬レースが行われます。
2010年の秋のザップスピードのオーディションに合格してから、30分×3回×4日しか筑波で練習していませんが、タイム的には1分1秒台に入りましたので、模擬レースには出場しても良いとチームからOKがでました
頑張って、若いドライバーたちに混じって、チャレンジしてきます![]()




















