きっとね、一度は話がいたものの、静岡のお茶とか栃木の腐葉土とか汚染ワラ食べた汚染牛が全国に出回って子供が食べちゃったりとか福島第一からキロ離れた東京の土壌汚染が話題になったりで関西圏の人たちがいや、ちょっと待て。汚染の実態は思うより広範囲かもと不安になったんでしょうね。それはそれでわかる気がしますよ。別にどこにも悪意はないですねいじわるしたわけもないですし一部の人たちが不安になりそういう府民の不安を取り除こうとしたその結果が中止だっただけ。被災地を応援したいという優しい心と住民を安心させたいという思いやりの心がなんだか噛み合わなかっただけの話でどちらかを選べばどちらかが悪い。という性質のものじゃない。なのに、正しいとか正しくないとか、自分が思うところの正義を振りかざして京都府民が極悪人で冷淡な県民性とでもいわんばかりに短絡的か攻撃的なバッシングの嵐根っこに先祖の怨念でもあるんだろうかとさえ思う確かに、データだけでいえば福島第一から前高田までの距離はキロくらいある。松から放射能は検出されなかった、とも言っている。しかも燃やすのはたった本現実としてみれば、全く問題ないでしょう。しかし、人間はデータだけで生きてるわけじゃない。距離や線量は判断する上での目安でしかない。それら数字を根拠に数学的理解をしている脳の持ち主達が自分とは違う目安をもって怖がったり疑ったりする個人個人の性質を全部まとめて風評と言いさらには風評悪と決め付けるのはいささか独善的じゃないかと、私は思うのですがそれに今回の送り火に被災松計画は政策とか、なにかの規律が必要な性質のものじゃないあくまで、人の心があっての送り火ですよね違いますかーこのニュースに件を超える日記が書かれています。もちろん賛否両論ありましょう。だけど、私が一番先に思ったのはなにも被災松を使うという形にしなくては供養の心がもてないワケじゃないのではという事。前高田の方はちょっとガッカリしたかもしれません。でも供養を否定されたわけじゃないのはわかってほしい形がかわっただけです。京都の方に限らず、送り火をみた人が心の中で被災者の御霊の安らぎを心から願うならそれが本当の送り火という盆行事のあるべき姿でしょうだけど、他者からみて根拠が不十分であろうと間違いなく誰かが感じている不安や反対を押し切って送り火に被災松を燃やして、コレでよかった。と満足したところで心がひとになれるワケじゃないし、それこそ、生きてる人間のエゴに火をけて亡くなった人に押し付けるようなもので失礼極まりないです。みんな同じ人間ですよ優先順位は個人により違うし、時と場所により変わることもあるでしょう、みんな人間ですから。だけど、お盆を前に、被災者も被災者じゃない人も多くの日本人があらためて涙するのは間違いないでしょうそれだけでは足りませんか京都が最低だとか風評だとか、騒いでる人たちは、盆行事に一番大事な供養する心を忘れてます。自分の主張こそ思いやりがある、被災者の心がわかってると、酔いしれてるだけに見えます。京都府民を愚弄する自分の心が本当に、亡くなった方の御霊に寄り添っているかどうか今一度自分の心を見めなおすことをお勧めします。供養とはなにかを考えてみてくださいたとえば、御墓参りにもいきたいのにいけないなら部屋のどこかに花でも生けて、水やお茶をおいて先祖や誰かを思いながら手をあわせる、亡くなった大事な人に手紙を書いて添えてみる供養する心や感謝の心が本当にあるならばたったそれだけも思いは伝わるんじゃないですか先にあるべきものは形ではなく心だということを忘れないで下さい被災地の松、送り火使用断念専門家は批判読売新聞月日※否定厨、中傷議論好き、ウヨ、サヨ、その他の揚げ足とりは、疲れるのでお断りデス
いや夏真っ盛りやね日に三宮にあるビル9階の眺めが良い焼肉店で焼肉を堪能した後、みなとこうべ花火大会に行き花火を満喫。日は三田にあるフルーツフラワーパークに行きレゲエのイベントに参加してきましたジュニアが会場をえげないくらい沸かしまくりですごい楽しかったしかも凄いことにそれをほぼ最前列で観ることができてめっちゃラッキーやったわの他にも、、、、、、、、でが出ててかなり盛り上がった次は日のFREEDOMや
いさっき、お母さんと買い物に行ったら、ちょうどキホcと偶然会ったキホcに抱っこされてレンが寝てたんだけど、本当に可愛いのやっぱりお母さんに抱っこされてるの分かるんだろうなぁミツバチの服にも萌えたうちの姪っ子は大きかったから赤ちゃんっぽくなくて不思議な感じだったから、レン見て感動した初レンに興奮してうちかなり大きい声でしたゴメンネ幸せそうでうらやましい幸せな二人と可愛い赤ちゃんを見てプレッシャーですうちにもこれから良い出会いあれば良いけど多分ないね今度みんなで遊びに行った時に起きてるレン見れたら良いなぁ