家康が生まれた「岡崎城」です。

出世城と言うことで、五万石ながら以後に城主にして貰った大名は名誉にしたそうです。
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ここが桶狭間の古戦場跡です。

今は小さな公園になっています。

谷間のような所かと思っていたけど、辺り一帯は意外と開けたところでした。
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「熱田神宮」に参りました。
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本殿です。

丁度ベトナムの高官が参拝されており、警備が厳重でした。
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「名古屋城」です。
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ほとんどの建物が昭和20年5月の空襲で消失し、戦後天守閣などはコンクリートで復元されたけど、今回本丸御殿が10年計画で木造復元されており、6年後が完成の予定です。

その時は又ぜひ行ってみたいと思います。
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清州城に来ました。

この像は信長25歳の時、いざ今川義元を迎え撃たんと桶狭間方向を見据えている出陣前のものです。
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信長当時は無かった清州城の天守閣です。

本能寺の変後城主になった二男の織田信雄が建てたものですが、徳川家康が名古屋城を建てった時取り壊されたそうです。

これは平成元年に再建されました。
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以上名古屋の旅は終りです。

18日の夜は白崎海洋公園の駐車場で寝ました。

一帯が白色の岩で囲まれており、異種独特の雰囲気のキャンプ地でした。
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また四国方面に沈む此処からの夕陽は格別でした。
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ここは「稲村の火」で有名な濱口悟陵の資料館です。
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紀三井寺(ちなみに境内から三つの泉が湧く紀州の寺)の急な石段です。
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本殿です。
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近くにあるのに初めて来ました。

和歌山城です。

空襲に遭い昭和33年に再建された天守閣です。
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和歌の浦の片男波海岸です。
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ここが雑賀崎です。以前から来たかった処をじっくりと回りました。
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五泊六日で紀伊半島西半分を回りました。

五月二十日、関空から飛行機が飛び立つのを見て一旦帰宅、次は東半分を回ります。

ではまた
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5月15日午後1時10分自宅を出発、国道168で一路南下し小雨の降る中道の駅「十津川」に着きました。

二日目の朝は雨も上がり「本宮」「新宮」を通り那智の駅前に着きました。

下の写真は「補陀洛山寺」です。

868年から1722年に架けて20名のこの寺のお坊さんが
SHOJU WATANABEのブログ この様な小舟に一人乗り太平洋に漕ぎ出していったのです。

もちろん帆も無いので波まかせ、食料無しの入水に等しい行為です。

勿論生きて帰った人は無い荒行です。
SHOJU WATANABEのブログ そのお寺がここでした。
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勝浦漁港のカツオの水揚げ、市の様子です。
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浜の近くの「はまゆ」良いお湯でした。
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三日目串本の「橋杭岩」でまたも雨。

日ごろの行い、いや旅の心がけが悪いのか?
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四日目白浜の「三段壁」です。
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これは「千畳敷」です。
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白浜の「円月岩」です。
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白浜の「白良浜」でした。
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この近くにある和歌山が生んだ天才博物学者の「南方熊楠記念館」です。
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十津川、本宮、新宮、那智と昨秋の豪雨の復旧作業が進む中、熊野三山の怒りを鎮めるべく放浪の行脚をもう暫く続けます。