20歳の妊娠。
あれからもうすぐ10年が経ちます。
あっという間に時は流れ
私の20代はあと少しで終わります。
だからといって
何かが変わるわけではないけれど
20代を懸命に生きた証として
自分の言葉を記しておきたくて
ブログを書いてます。
20歳 妊娠
21歳 出産
22歳 子育てに奮闘
当時はまだ周りで
子育てしている友達も少なくて
右も左もどころか、
前も後ろも分からない子育てに
毎日手探りでした。
でも今思うと
娘と私の人生の中で
1番長く一緒に過ごしたのは
後にも先にもこの時だけだったなぁ。
それにしては
2人の写真が少なすぎてつらすぎる(笑)
当時
携帯はガラケー
SNSはmixi
情報源はまだまだ
テレビやパソコンが主流で
買い物をネットでする習慣も
まだまだ浸透してませんでしたし
今思うと”時代”ってこんな風に
知らず知らずのうちに
自然に移り変わるのだなーと感じます。
23歳 離婚・シングルマザーに
両親の元で育った私にとって
母親しかいない環境が
どう影響するのか、と心配はあったし
周囲が何気なく言った
「かわいそう」という言葉にも
気を留め悩んだりもしました。
2人暮らしが始まったタイミングで
娘のイヤイヤ期が始まりました。
そもそもイヤイヤ期がどんなものか
どれほど大変か全く想像もつかなくて。
我が家の場合は毎日、
寝ているとき以外
癇癪を起こしてグズッているか
泣き声が部屋に響き渡り続けるか
だいたいそのどちらか。
言葉で説明できることと
できないことがあって
挙げだしたらキリがないし
大変すぎて
正直あまり覚えてない(笑)
「ママ」と呼ぶ声は
1分、いや30秒に1回くらい
連打で
ママ、ママ、ママ、
ママ、ママ、
マアアアアア!!!!
の時もあるし(笑)
考え事をしてても
家のことや
別の事をしてても
「ママ」の一言で
スイッチがすぐ切り替わる
唯一
家の中で一人になれる空間は
鍵をかけたトイレの中だけ。
そのトイレですら
ドア1枚隔てた向こうで
ガチャガチャと
こじ開けようとして
「ママ」と呼ばれてた。
父親と母親の二役をこなす日常の中で
次第に優しく接する余裕もなくなり
イライラが募った結果
耳をふさいで
「もうママやめたい、、、」って
トイレでひっそり
泣いた日もありました。
自分の感情任せに
怒鳴るようになったこともありました。
あの時は
隣の人が通報してもおかしくないなって。
でもその時はもう
通報してもらった方がいいかも、
とか
それで1日でも1時間でも
「ママ」から解放されるなら、、、
そんなことも考えたりしました。
この時期は1回や2回ではなく
かなりの回数で
「ママやめたい」って思ってました
そんな風に思ってしまう
自分にまた
自己嫌悪したりもして
悪循環の連続でした。
ママを頑張りたいのに
頑張れないことが
母親失格のようで
毎日
自分を責めて
認められなくなってました。
24歳 寝顔を見るたびに反省する毎日
もちろんあの頃だって
ちゃんとたくさん
楽しい思い出もたくさんあって
娘のことは
誰よりも大切で
世界で一番
愛していたことには
変わりないのだけれど
弱い自分を
どうしても許せなくて
どうしても認められなくて
必死になりすぎたなぁ。。。
25歳 音信不通の
パパと連絡が取れた日
娘が4歳を過ぎたころ
ちょうどイヤイヤ期も
落ち着いて(長かった・・・)
やっと子育てへの気持ちにも
少しだけ余裕ができて(長かった・・・)
そのタイミングで偶然にも
2年間音信普通だった
娘のパパと連絡が取れて
3人で食事に行った日
ふと、こう話した。
もし私に何かあった時は
娘のこと お願いね。
そう言ったら
黙って頷いた。
その瞬間この2年間抱えてた
2人分の責任感が
やっと1人分になった気がした。
浮気や暴力ではなく
限りなく円満離婚を選んだハズが
まさかの音信不通に
なったと同時に
イヤイヤ期が始まって
仕事忙しくて寝る暇ないし
精神的にも肉体的にも
余裕とか全く無くて
毎日限界ギリギリやったけど
やっと、やっと。。。って思って
この時かなり心が軽くなったことを
今でも鮮明に覚えています。
26歳~27歳 転職・就職・退職
本当はこのタイミングで
独立したい!!
という思いはあったものの
自分にはまだまだ程遠いと思っていました。
仕事の分野も視野も
もっと広げたいと思い、
広告・看板会社に入社。
はじめての営業職に戸惑いながらも
今までの接客やサービスとは
全く違うことに楽しさも感じていました。
でも就職して3か月経った頃
有難いことに週末の出張撮影が
口コミで少しずつ増えてきました。
当時はニューボーンは
もちろんやってないし
家族写真や二次会などがメインでしたが
月曜~金曜フルタイムに
娘の保育園の送迎と習い事、
土日撮影に行ったら
編集作業は
娘を寝かしつけた後。
体力的な限界はあるものの
撮影の依頼がくると嬉しくて
気持ちでカバーしてました。
撮った写真を見て
喜んでくれる方がいると思うと
それもまた嬉しくて。
とはいえ体は一つ。
どちらも中途半端な状況が続き
やっぱりちゃんとカメラやりたい!!!
写真でもっと周りにいる人や
自分と関わる人を幸せにしたい!
そう強く思うようになり
「独立」の二文字が
頭に浮かんだつぎの瞬間には
会社員をしながら準備段階に入りました。(笑)
27歳の誕生日に
39photoからSwitchee'sに
屋号を変更しました。
独立までの準備として
フルタイムの仕事→娘の寝かしつけの後
先生に出張で来てもらって
週2回、
21時から23時まで着付けのお稽古をしました。
先生の熱心なご指導のおかげて
思っていたよりスムーズに
3級、2級、そして
1級の資格を取得することができました。
(1級は2度目の試験で合格)
それも自信の一つにつながり、
自分の中に
追い風を吹かせたこともあり
そうして着実に1歩ずつ
独立にシフトを向けて。
会う人会う人に
「今年、独立します!」と公言することで
気持ちをそっちに持っていくようにした。
誰かに言うと、
言ったからにはやらな!って思えるから。
そして
いろんな人の意見を見たり聞いたり知った。
応援してくれる人も勿論いてくれたけど
忠告も助言もいろいろ頂いた。
みんな心配して
助言してくださってることも
理解していたけど
でも
結局最後に決めるのは自分で。
誰かが
私と娘との生活を
助けてくれるわけではないし
誰かが
私の夢を叶えてくれるわけではない。
スパーンと割り切って
意見の一つとして
聞くけど
聞くだけ聞いて
結果、
きかなかった(笑)
就職して丸1年で退職。
誰かに言われて
諦められるくらいなら
最初からやらない。
誰に何を言われても
諦めれないからやる。
周囲を納得させるため
ではなく
自分が納得いくまで
とことん
やりたいことをやる。
できない理由を探さない
まずやってみる。
ダメならその時
また考えればいい。
不安と向き合うたびに
それだけを考えてました。
2016年11月1日
「Switchee's」
本格始動
27~28歳
ニューボーンフォトに出会う
神戸で学んだあと、
もっと学びたい!という思いで
その後東京のBozさんの
プロフェッショナルセミナーで
「産後ケアとしてのニューボーンフォト」
のお話を聞いたとき
自然と涙がこぼれてきました。
産後、ではないものの
娘の子育てに悩みもがいて
ふさぎ込んでいた
あの頃の自分に
かけてあげられる言葉が
Bozさんのお話の中に
たくさんあったからだと思います。
私自身どこかに置いてきた感情を
ニューボーンを知って始めていくうちに
たくさんのママたちの子育てを見て
そのひたむきで
まっすぐな愛情に触れるたび
優しい気持ちになっていました。
そういえば
いつかの自分だって
必死すぎて覚えてないだけで
ちゃんとやれてたんじゃないかな
ママになろうって頑張って
上手にママができなくて
悩んでくじけていたけれど、
そのときそのとき
できることを
精一杯頑張ってたんじゃないかな
そんな風に思えるようになって
少しずつ当時を振り返って
あの時
認められなかった自分のこと
あの時
許せなかった自分のこと
全部ではないけど少しずつ
受け入れられるように
なっていったような気がします。
29歳 2周年記念
はじめての個展
これは私にとって20代で一番の衝撃でした。
話すとまた長くなるので
かなーーーーり端折りますが
2日間で250名の方にきていただき
県外の方々からのお祝いも含めると
300名近くに・・・。
この日の思い出は一生の宝物です。
大切な人と
あの空間を一緒に過ごせたことが
何よりも幸せでした。
ほんっっとうに
ありがとうございました!!!!
そしてこの日を境に
自分の中でまた
新しい目標や夢ができて
それに向かって走り出すための
とても強い追い風になりました。
これはもう間違いなく
自分と関わる全ての方、
みんなのおかげです。
文字数制限のため次へ→












































