これからの進路決めました。
悩んでいろいろに相談した結果です。




これから残り3年間大学で必死に救急救命士の座学・実習を頑張り
救急救命士の国家資格を取る!


それで海保・消防どちらに進んでも「俺は救急救命士の資格を持ってる」って胸を張って言えるようなそんな人になる。そして後悔はないようにしたい。


だから、まずは救急救命士の勉強だ!





・・・でも、どっから勉強してけばいいんだ泣



皆さんに相談があります。
読者の方、通りすがりんの方どんなかたでもいいので相談に乗ってもらえると
幸いです。



いま、大学で救急救命士の勉強をしているんですが私は昔から
海上保安庁で働くことが夢です。

いまのところ過去2回の受験は失敗しています。今年も5月に海上保安学校の試験があるんです。



今迷っているのはこのまま救急救命士の勉強を大学4年間して救急救命士の国家資格を
取得してから海保を受けるか、在学中に海保を受けるかということです。




文章はとても乱文なんですがこの相談に乗ってください
あれから1年…

これから書く内容は3.11を振り返って書いてみたものです。見にくいかも知れませんが許してください

1年前の今日3月11日、日本中が悲しみに包まれた。私もあのときに震度6の揺れを経験した。あの数分の間に起きた出来事は今でも忘れることはできないし、忘れたくはない…。
今にも割れそうなくらいきしむガラス、駐車場が液状化で泥だらけ、一時避難で親戚の家に向かう途中にみた崩れた塀や瓦。そして家に帰る途中には停電で信号機もつかず、いつ事故が起きてもおかしくない状況。家についても中は騒然とした様子だった。家に着くなり、私は携帯の中の同級生、部活の顧問、後輩に安否確認のメール、電話をした。次々と届く「大丈夫です」、「けがもしてない。」そんな連絡がきたときは無事でよかったとそう思った。

住んでいる地域は電気がついていたため、テレビからは次々といろんな情報が流れていた。津波、けが人、交通情報など。そして、緊急地震速報がなり続けたから1、2日間はあまり寝た感じがしなかった。いまでも、あの音は恐怖でしかない。それでも、地震発生から2日、3日と過ぎるにつれて死者・行方不明者が増えていくのを見たときは嘘であってくれ、夢であってくれ…って思った。その後起きた原発事故を見たときはさらに絶望した。

テレビから情報は得ることができたが、ニュースのなかで津波で流された車にご遺体があったときにはこれが現実なんだ、自然災害には人は太刀打ちできないってあらためて気づかされた。正直、辛かった…

いま、こうやって暮らしている中にも別のところで見つかっていない人がいる。親、子供、兄弟の姿を探している人たちがいると思うとなんか悔しくて胸が締め付けられた。でも、そのなかで津波で流された人が無事生還しインタビューに答えている姿を見るとここで立ち止まる暇は決してないんだって元気をもらえた。


【最後に】
いまも、原発で作業する作業員の方々など日本中いろんな人が復興・再生に向けて頑張っている。だが、東北3県のみならず『茨城、千葉』だって甚大な被害を受けた被災地だっていうことをあまり読者がいないこのブログだが何かのきっかけになって欲しくこの場で再度言わせてください。我が家を含めまだ瓦だってほとんど直っていないのが現状だ。家の壁だって崩れていても直っていない。それも報道されない被災地茨城の現状です。

この内容は日時指定をして地震が起きたその時間に更新するようにしました。

それは、あの日を忘れないためにそうしました。

東日本大震災で亡くなった方、いまだ見つかっていない方が1日でも早く見つかり、ご遺族の心の傷がいえることを祈ります。

日本がもうあんなに悲しい涙を流さないことを祈って...

合掌