多くの人が心のどこかで「真面目に正直に生きることは損だ」と思っている気がする。
そんなことはない、と教育しなければならないのだろうが汚職のニュースが多すぎて反応も出来ない。
学校や会社でも、他人を平気で傷つける人間が高収入だったり、成績優秀だなんて、良くある話だ。
努力や善意、道徳は全て下らないのだろうかと、虚無感に苛まれる。
松来未祐さんという声優の声が以前から好きで、ラジオやアニメをよく見ていた。
明るくて、親近感の湧くチャーミングな女性というイメージだった。
当然、面識はなく会ったことも見たこともない。
ネットで声だけ聞いてるというのは、どれだけその人の真実を知っていることになるのだろうか。
多分、ほとんど知らないに等しい。
しかし、松来さんの訃報を聞いて私は酷く落ち込んでいる。
こんなことは今まで無かった。
松来さんは元気で、おっちょこちょい(というキャラクタなのかもしれないが)で、
死のイメージとは程遠い人だった。
そして、この人は良い人だな、と思わせる魅力があった。
色んな人に幸せを願われるような人だった。
だから、この人が何も言わずに亡くなるはずがない、と思うのだ。
こんな優しそうな人が、私達を置いて亡くなるはずがない、と。
松来さんのブログを見ると、誕生日会を開いた記事が、本人の最新の記事になっている。
いつも通り楽しく、賑やかで、読者に何の心配も与えないような文章がつづられている。
最後の一文はこうだ。
私は、私に生まれて幸せです。
本当にありがとう。
私の解釈では、この時は既に、自分の病状を分かっていたのではないかと思う。
どんなに怖かっただろう。苦しかっただろう。悔しかっただろう。寂しかっただろう。
そんな中で「生まれて幸せ」「ありがとう」という言葉を残すためには、
どんなに強い意思が必要だっただろう。
もし、人の心に勇気や優しさ、善意が存在するなら、こういう姿を言うのだと思う。
そんな人が亡くなったから、私は悲しいのだと思う。
人間がどうして他人を思いやらなくてはならないのか
他人を利用したり、騙したりすることが愚かなのか。
多分、人間の欲望は尽きないけれど、死んだら欲望も、それで得たものも、全て消えてしまうからだ。
でも、人の優しさは、その人のことを全然知らない人に届く。
優しさだけではなく、悲しみや怒りもだ。
でも、人間は何を残すかを選ぶことが出来る。
松来さんは、感謝と優しさを残した。
人間にとって、それに以上に、価値がある行為が、人間として美しい行為が、他に存在するだろうか。
死者に言葉が届くはずがない。
それでも亡くなった松来さんに貰った優しさに対する感謝を言葉にせずにはいられない。
今まで本当にありがとう。
大変だったね。自分が一番つらいのに、皆に勇気をくれるなんて本当に立派だね。
安らかにお眠りください。
ご冥福をお祈り申し上げます。
