4月の熊本地震、先日の鳥取地震で被災された皆様へ
心よりお見舞い申し上げます。
わたしも12年前の新潟県中越地震で被災した一人です。震源地といわれる地域のすぐ近くの市に住んでいます。
震災のことを忘れちゃいけない、その思いだけで震災から一年経った時に残した記録を再掲載しようと思います。
--------------------------------------
忘れない
忘れられない
忘れちゃいけない
2004年10月23日
17時56分。
“新潟県中越地震”
当時を振り返って、私目線で日記風に色々書いていきたいと思います。
同情してほしいとか、そういう気持ちはありません。あくまで一被災者の気持ちの欠片に過ぎないので…。
ただ、私が残したかっただけなので…。
興味のある方は読んでやってください。
2004.10.23(土)
この日は土曜日で、普段よりもお客さんも多いし、若干忙しかった。
仕事は早番なので18時まで。
そのあと友達と逢う約束をしていたのもあって、仕事終わんないかも…って18時近くになると時計を気にして焦り始めてた。
18時前に事務所に行かなきゃならなかったし、早くやんなきゃって思ってた。
とりあえず先に事務の用事を済ませようと、動きだした時……
――17:56。
地鳴りとともに、現実とは思えないくらいの大きな揺れが起きた。
一瞬にして電気も消え、店内の商品もガラガラと音を立てながら棚から落ちてきた。
あたしにはその光景が現実のものと理解できない程頭の中が真っ白になった。立っていることも出来ない揺れだった。あたしは近くの棚にしがみつくように掴まり、その場にしゃがみこんだ。
揺れが収まるまでの時間が異常に長く感じた。(実際長かったのかな?)パニックながらも思ってたのは、「こんなところで死にたくない!」って…(笑)
一旦揺れが収まったものの、あまりの恐怖に足が竦んで動けない。でも逃げなきゃその時、あたしから見える場所に同期の子が居て、手をつないで足場の悪くなった店内を脱出。男性社員さんがお客さんを誘導して、とりあえず全員無事脱出。駐車場に避難した。
私と同期の子はそこで座り込んで、しばらく抱き合って泣いてた。
それからも何度も大きな揺れや小さな揺れが起き、ずっと地面が揺れているような感覚だった。
外も大パニックだった。
うちの店付近は地盤が弱い地域だったせいもあり、電柱が倒れ、電線が地に付いてる状態。それでも車は強引に進もうとしていて、とても危険だった…。
_<)
そこへ地震発生前に出掛けていた店長が戻ってきた。店長曰く、地震発生時はちょうど小さな橋を渡ったところだったんだって。しかもその橋が地震で崩れたらしく…もう少し通るのが遅かったら……ということでした
そして店長と社員さんで、店内へ出動。
待ってるうちらは気が気じゃない。揺れるたびに中に居る二人を心配して叫んでた。
しばらくして売場から懐中電灯、毛布、防寒着、食料(お菓子や飲料ならあるんで)を持った二人が戻ってきた。
お客さんや近所から避難してきた人たちや自分らの分も確保して、ひとまず寒さを凌ぐ。
それからしばらくすると、うちらの貴重品を休憩室まで取りに行くと言いだす店長。
休憩室は店内を通って一番奥だし、(裏の出入り口は塞がってた)危険だよお…って思ったんだけど、
「揺れもさっきより収まってるし、俺は死んでも構わないから」
と言う店長。
みんなで行くかって話にもなったけど、バイトの高校生が居るから誰か残っててとなり、結局あたしとバイトの子たちで待つことに。
そして無事貴重品が戻ってきて、とりあえず携帯で家族との連絡を試みるも、回線パンクしてなかなか繋がらなくて。安否を気遣う友達からのメールも相当入ってました。
やがて家族と連絡が取れて、家族のもとへ続々と帰っていく中、あたしはずっと家族と連絡が取れず…。店長に、「帰るなら家まで送っていくけどどうする?」言われたものの、家族が何処に居るのかも分からないから、だったらココでみんなと居たいって思って帰らなかった。
結局朝まで残ったのは店長、社員さん、先輩(女性)、私くらいかな?
その夜は、県外の友達とは携帯が繋がったので少し話したんだけど、友達の声を聞いただけで思わず号泣してしまいました。
でも結局なんだかんだ言いつつも眠れるわけもなく。
一晩中先輩とお話してました。
コレって夢?もしも夢だったら早く醒めればいいのに…とかね。
しかし停電のせいか、その夜は異常に星が綺麗でした。まるでプラネタリウムの世界…。流れ星もたくさん見たし。その流れ星にどんだけ祈りを捧げたことやら…
その夜は本当に長い長い夜だった。本気で夜明けが来ないんじゃないかと思うくらい…。
2004.10.24(日)
何事もなかったかのように夜は明けた。
明るくなって、はじめてきちんと見た昨夜の地震の爪痕は、まさに
「震度6強×3」
を物語っていた。
先輩と二人で店の周りを見て、その光景を写メ撮ったりしながらも、あたしの中には家族の安否が不安要素として重くのしかかっていた…。
地震発生直後だと言うのに、何とか店を開けようと明け方から奔走する店長たち。夜中のうちに新潟市方面からバイヤーたちも駆けつけてくれて。
先輩と私は、とりあえず帰ることに。時すでに午前8時。社員さんの車で送ってもらった。
先輩の家は中に入っていられるくらい被害もなかったみたいで、よかったねーなんて言いながらも、私はまだ不安でたまらなかった。
途中、家が無残に潰れていたり、うちの近所もスーパーが悲惨な姿になってたり、ボロボロだったから、ほんと怖くなってきて…
家の前まで来て、潰れていないことに安心はしたけど、一人で入る勇気がなくて、社員さんに家の玄関までついて来てもらった。
玄関を開けて、一応家族を呼んでみたものの、とても人が居る気配はなかった。もちろん中はメチャメチャな状態だった。。
どうしよう…
途方に暮れる私。
近くの学校とかに避難してるかもよ?と社員さんに言われ、行こうとした時、たまたま通りかかった近所の人に「この辺の人なら、みんなそこの(近所の会社の)駐車場に居ますよ」と言われた。
そして行ってみると、近所の奥さんに会い、「○○さんはこっちだよー」と、家族のもとへ案内してもらった。
みんな無事で居てくれたことの安堵と、たった一晩で憔悴しきっていささか顔色も悪く見えた家族を見て、言葉に言い表わせないショックからか、しばらく何も話せなかったな。。
そしてそこから車中生活が始まった…。
最初に支給されたのは、一家族におにぎり1コだけ。
とりあえず救援物資が届くまではコレが最後だからと言われた。どっちみち食欲なんかないんだけど。
まだまだ余震も大きいのくるから、家には入らないようにと言われ、とりあえず必要最低限のもの(コンタクトケースやらメガネやら)を捜し出し、(←捜索中に震度5弱があって焦った)再び車へ。
でも何もすることがないし、暇なので近所の友達の顔を見に行ったりした。気分転換にもなるし
そして避難所の電力を借りて携帯の充電もしました(笑)
そんな感じで、昼間はまだ気が紛れたんだけど、夜になって辺りが暗くなってくると、また怯えてしまうあたしが居た。明かりがないから余計そうだったのかもしれないけど。
やることないし早々に寝ようとは言うものの、車中泊だし、余震は来るし、ろくに眠れやしなかった。
そんな車中泊生活が約1週間続いた…。
2004.10.27(水)
疲れと冷えから、風邪を引きかけたかな?と思い、車庫へ移動してストーブ焚いて暖を取っていたとき…震度5強の余震が地元を襲った。この余震で、近所の建物が倒壊。
ニュースでも言ってて、友達からメールがきた。ほんと近所だったから恐怖感が増した…。
この日、某スマ友ちゃんから電話がきて、被災した私のためにあることをしてくれてたと知り、電話しながら号泣…心配してくれるだけでもありがたいのに、ほんと私はいい友達に恵まれてるんだなーって、幸せだと思った。
2004.10.28(木)
地震翌日から営業していたうちの店。
先輩たちも続々と復帰していると聞き、とりあえず残りの荷物を取りにいきがてら様子を見に行くことにした。
あの日から休むこともなく働き詰めの店長は、声も枯れていたけど相変わらずパワフルだったし、あの時一緒に居た先輩や社員さんも復帰して働いていて、それを見て、あたしも復帰しようと思った。
店に行った後、震源地に住む社員くんと電話で久々に話した。彼の地域は、隔離状態に陥っていたのに、本人は思ってた以上に元気で、いつも通り明るくて、逆に励まされてしまった
2004.10.29(金)
仕事復帰。
とりあえず様子見で、午前だけ出勤。
再開してる店なんてほとんどないせいか、かなり大繁盛で大忙しだった。
レジやって接客してお客さんに喜ばれたり、他の社員の人たちと会ったりしたことでだいぶ気持ちが違った。
それに帰り際に店長から
「ありがとね。気を付けて帰ってね」
と言われて、少しでも仕事しにきてよかったなって思った。
ただ…
仕事してる時はまだ気が紛れるんだけど、仕事を終えて店内で買い物したりしてると、異常に足がガクガクして、震えが止まらなくなってた。
この症状は店内に居るときだけなんだけど、復帰後もしばらく治らなかった…
2004.10.29(金)
この日から車中泊をやめ、隣のアパートの車庫を間借り?して生活することになった。
地震以来、初めて足を伸ばして眠れるようになり、車中よりはよく眠れた。
でも、2時間おきくらいに目が覚めたり、余震の度に目が覚めたり、朝も4時くらいには起きてしまうなど、やっぱり安定した睡眠はできなかった。
2004.11.3(水)
避難生活に慣れつつある自分が恐かった。
車庫がワンルームのマイホーム、食事は自衛隊の炊き出しをもらいに行き、お風呂も自衛隊の仮設風呂。
もちろん不自由な生活なんだけど、合宿みたいだねー。なんて呑気なことまで言ったりしてた。
そしてようやく家の中に入ってもいいと言われたので、荒れ果てた家を片付け始めた。改めて見ると衝撃も多いんだけどね…。
一体いつ住める状態に落ち着くんだろう?と、少し途方に暮れ気味にもなった。。
2004.11.4(木)
午前9時前。
開店準備をしようと休憩室を出掛かった時…震度5弱の余震に襲われた。
ガタガタと、大きく長く揺れ続ける。外へ出るには倉庫を通らなきゃならなくて、でも上から物が落ちてきそうで恐かった。
しかもこの日の朝は男手がなかったから、本当に不安で怖くて仕方なかった。
結局、この余震のせいで久々の休みだった店長も働くハメになった。
私にとって、店に居るときの地震は恐怖感倍増…トラウマなのかもしれない。
2004.11.7(日)
自称「鉄人」(笑)の店長、ついにダウン。
地震発生直後から働き詰めだったからね…そりゃダウンもするさ。
_<)
結局この日は、地震以来ずっとお手伝いに来ていたバイヤーさんが店長代理みたいな感じで、何かと臨機応変に対応してくれて、店も無事回った。
2004.11.8(月)
お昼前、あたしがレジに入っていた時。また大きな余震に遭ってしまった。
すぐに外へ避難したんだけど、体の震えが止まらずに、ずっと先輩にしがみついて離れられなかった。
でも普通にお客さんとか入ってくるもんだから、レジ入んなきゃ!って、震えながらも平常心を装ってたら…再び余震。
すっかり精神的ダウンしてしまったあたしは、ちょうど休憩時間になったのもあり、先輩に付き添われ、休ませてもらうことに。
精神的に不安定になってることを自覚し始めたのもこのあたりだった…。
2004.11.9(火)
地震後、初の遅番。
あの日以来、夜が怖くなった私にとって、遅番は試練のようなもの。
それに、前日の余震でかなり参っていたから…。
この日の帰り、震源地に住む社員くんの家の方の状態を見せてもらったんだけど、思った以上にひどくて、衝撃的だった。こんなとこに居ても元気に励ましてくれてる社員くんが頼もしくさえ思えた。
2004.11.11(木)
数日前から調子が悪くて、ちょっと悪化しつつあったものの、とりあえず出勤。
…が、お昼くらいにリタイア。心身ともに弱っていることを感じていた。
2004.11.14(日)
約3週間の避難生活に終止符を打ち、ようやく自宅生活を再スタートした。
まだ修復されてない部分も多くて、完全に元の生活にもどるにはまだ時間がかかりそうだな…とは思いながらも、やっぱり家がいちばん安心して過ごせるなと感じた。
いかがだったでしょうか?
とりあえず、地震から日常に戻るまでを思い起こしながら書いてみました。
改めて振り返ってみると、あたしは本当に周りの人たちに救われてきたんだなって思いました。
いい仲間、友達に恵まれて幸せです。あたしも、周りに対してそんな存在でありたいと思います。
一年経った今、街はだいぶ日常を取り戻してはいますが、完全復旧されていないところも多々あります。
ニュースでも大々的に取り上げられた妙見の土砂崩れ現場は、原型を留めていない状態のままです。
あたしたちは被災地でそんな現実を目の当たりにしているし、実際に被災しているので、どれだけの年月が経っても
「2004年10月23日、午後5時56分」
という日時を忘れることはないでしょう。
でも、日本で暮らす限り、またいつかどこかで大震災が起こるのは確かです。
だんだん報道されなくなってくると、世間の関心も薄れてきます。それもまた現実です。
だけど、これを読んでくれた人が少しでも何かを感じてくれて、他人事としてではなく意識をもってくれたらいいなと思います。(個人的なことも沢山書いてしまいましたが。)
では、最後まで読んでくれて本当にありがとうございました☆
2005.10.23 じゅんこ
