今日のロンドン、雲もあるけれど、晴れです~。 こんな日はどこかに出かけなきゃとまだ子供たちは寝ている午前中に出かけてきたのがこの聖パンクラス教会(古いほう)です。
ここは数週間構想を練っていたのですが、先週の日本週間マガジンで紹介されちゃいました! で、あわてて今日行ってきました~^^;
ロンドンから大陸に行く「ユーロスター」の発着駅でもあるセントパンクラス駅,そこをでて少し歩きます。 右手は電車の鉄道が延びています。上の写真では突き当たり、、そこにこの教会はあります。
セント・パンクラスオールド教会。ローマの殉教した聖パンクラスを祀っています。
この教会はもともとはかなり古かったそうで、ロンドンでも一番古い祈りの場所のひとつだったそうですよ。
そのうち14世紀ごろからこの近くに居た人たちがここを去っていきました。
原因としては近くの(今は地下に流れている)フリート川が良く氾濫したこと、墓地が高い位置にあったため住民の飲む水が汚染された、などでみなほかの地域に引っ越していったそうです。
そうして廃れていったこの教会もやがて復旧されます。1847年には今まで120人ぐらいしか入れなかったのも500人ぐらいを収容できる大きさになったそうです。
その後色々ありますが、1877年にここは公園としてオープンされました。
この墓地の中にはグレード1に指定されているの鬼才建築家といわれたジョンソーン夫妻のお墓があります。
この形、何かを想像できませんか? 後に赤い電話ボックスをデザインしたギルバートスコットがそのヒントを得た形だそうです。
右のお墓はメアリーW・ゴドウイン。後のメアリーシェリー、あの「フランケンシュタイン」を書いた人です。ただし、遺骸はここにはなくこれはメモリアルだとか。。
この教会と墓地の奥にはこのような塀がありその向こうはセントパンクラス駅からの出ている線路です。
1860年代にミッドランド鉄道が敷かれるにあたりここも発掘調査がされました。
その責任者がかの「テス」を書いたトーマス・ハーディです。
死体はべつの場所に運ばれ墓石も片付けられました。
たぶんそのときにこのアッシュの木の本に置かれた墓石。。そしてここは「ハーディの木」と呼ばれています。
当時は木の根元に置かれた墓石も、150年ぐらいあとの今、こうなっていました。
木の幹が成長し墓石を覆っています。
(右下をクリックしてください)
それと又ここはビートルズの歌の撮影現場でもあったそうですよ。
この教会の入り口をバックに、又墓地の中にあるベンチに座って。
Mad Day Out とあります。 ベンチには1968年7月28日にここに座ったと書いたプレートがつけられていました。
ほかにもあの作曲家バッハの息子の一人、ヨハン・クリスチャン・バッハやベンジャミン・フランクリンの子ウイリアムフランクリンのお墓もあるそうなのですが特定できませんでした。^^;
どこかなんでしょうけれどね、、、
又ヴィクトリア時代は墓を掘り起こし死体を大学とかの売るボディースナッチャーも居たそうです。
今は静かな公園、、ちょうどおりしもクロッカスの花が出てきて綺麗でした。。
p/s;教会内部はお祈りをしているかたが居ましたので写すのは控えました。