ドレスブック6に紹介させて貰っていたミツトモ製作所のウッドバーニング用 ハンダゴテですが、今はAmazonでも取り扱いがなくなってしまったようです。
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もう初老な私ですが、2020年に向けて夢がありました。
1つが東京オリンピックで、英語を話す外国人に道案内をするボランティアになりたい。
もう一つは、その時期に英語が話せるタクシードライバーになりたい。
ボランティアは自分が望む職種に就けるか分からない…だったらタクシードライバーの方が良いかなぁとぼんやりと思っていました。
奇しくも2月、町中を走る大きめでカッコイイ車体のJAPAN TAXIを見て、同居人である旦那の人に「あれに乗ってみたいんだよね」って言ったらT君…数年前、彼の車で交代しながら運転して鹿児島で合流して大分から千葉まで運転を交代しながら帰って来た友人…が今月からタクシー運転手になったよ、って聞かされて、俄然やる気に。
彼には何回か相談しました。
でもすぐにお尻に火が付かず、8月。
オリンピックまであと1年、っていうのをニュースで見て、ウカウカしてられないぞ!と務めてみたいタクシー会社を物色。
地元のある会社が目に留まって、二種も会社で補助してくれる、ってことで応募してみました。
面接に行って、タクシーの運転席に試乗運転、健康診断を受けて下さいと言われて(その後、お豆腐と豆乳とはんぺんで1週間ダイエットして)検診に行ったら、結果は「良好」ということで、次は提携の教習所で二種免許の取得を命じられました。
毎朝、タピオカミルクティーで脳に糖分とカミカミ効果で酸素も供給!
教習7日目の検定試験も昨日合格して、無事卒業。
翌日=今日、試験場には2時間早く着くように車で出発するも、朝までの嵐の余波で国道も高速も大渋滞で、着いたのは参加締め切りの10分前。
予習時間もなくて、今日は腕試し、明日また本番を受けよう、って思いながら二種免許を受験。
知らない問題もあって、落ちる気満々だったけど、なぜか合格!
無事に二種免許を交付して貰い、タクシーの運転手さんになれることになりました。
まさに奇跡
ちなみに教習は「京成ドライビングスクール」で、教習車は、あの憧れていたJAPAN TAXIでした。
もう、教習に出られるだけで「乗りたい」って夢が叶っちゃった
今日も東京で、いじめに耐えられなかった中学生が自殺、っていうニュースがあったけど、
その4倍も歳を取っていても叶えられる夢はあるんだよ、って、目の前の苦悩に打ちのめされそうな若者に言いたい。
まだまだ開ける道はあるんだよ!今は理不尽なことに我慢をしなくてはならなくても、きっと願いは叶う。
現実を見ないで洋裁ぱっかりやってたクソニートが社会人にちゃんとなれるのかは甚だ疑問だけれども、新しい人生を頑張って生きたいなぁと思って居ます。
作る作品は減っていくかも知れないけど、今後とも応援をよろしくお願いしますね!
よぼっぴーこと実父はこの元旦で91歳になりました!
とても長寿です。身内の中で、もっとも長生き。
去年の今頃は腎不全の影響で足がむくんでました。
主治医に「透析が出来る病院」を紹介されるも、そこはもう透析はやってなくて違う病院を紹介されたんだけどそこは満室で、次に私の家のそばの病院を紹介されて入院。
でもそこでは歩けるのにおむつをさせられて絶対安静、「暴れたら拘束する」だの生命の緊急時の「延命処置はしますか?」「延命はあばらが折れるくらいの力で胸を押します」とか怖い話しをいっぱい聞かされて、恐ろしくなって4日目で強制的に退院をさせちゃいました。
でもそんな状態だから体調は良くならず、ある日ケアマネージャーさんから電話が来て「リンパ液が皮膚の外に漏れている。早急な治療が必要」と言われました。
すぐに家に向かうとケアマネさんがいて、「今すぐ入院をさせてください!」と。
主治医はもう面倒を見れない、と言ってたしどうすれば…
で、前に腎臓の不具合で亀有の病院に入院してたことを思い出してそこに連れて行きました。
ほんとうだったら紹介がないと診て貰えない病院だったけど緊急で来たから、と診て貰えることに。
で、即入院。
もうおむつになろうが拘束されようが、任せるしかないって割り切りました。
よぼっぴーは体調不良ですぐに死んでしまうのではないか…そんな不安がいっぱいで、ほぼ毎日、千葉から亀有の病院にお見舞いに。
そこには2ヶ月入院して、体調は戻りまし¥た。
2ヶ月間、殆ど歩いていなかったから、次はリハビリの病院に入院することを勧められました。
大事を取って私の車ではなく、介護者を乗せるタクシーで、車椅子に乗って移動。
次の病院には約1ヶ月入院。
でも入院した翌日のリハビリからスタスタと歩いて驚かされました。
で、5月初めに退院。
その病院でもらった薬が終わった頃に、また元の主治医の病院へ。
1ヶ月後、血液検査の結果が悪いから、透析が出来る病院に今すぐ入院してください、って言われてびっくり。
で、リハビリで入院していた病院に今すぐ行ってくれ、って言われて行くも「ウチは透析はしていない」っていう返事。
で、その病院で受入先を探して貰って、今度は金町の病院へ。
そしてまた入院。
その日は買った中古車の1ヶ月点検の日だったけど、夜までかかってしまって行けず。
その病院には1ヶ月入院するも透析の必要はない、って言われて透析は無しで済みました。
その後は血液の状態も良くて元気。
最初の病院で10キロくらいやせて、めっちゃスマートになった。
入院前まではチョコレートが好きで、お腹が太かったけど今はスマートで、よぼよぼしてるけど軽くなった分歩きやすそうだ。
主治医には10年前から「不整脈があるからいつぽっくり死んじゃうか分からないから、覚悟していて下さい」って言われてたのに91歳になれた。
しかも元気でお散歩にも行ける。
ただ最近、やめたはずのタバコを吸いたくて、そのために出歩いているのがちょっとね…
でもまぁ動機が不純でも、好きなことがあってそれのためだったら健康に害があっても、もういいとするか、な気持ち。
今年は入院騒動がないことを祈るのみ。
ちなみによぼっぴーと別居してる実母ママさんは、元気です!
2018年6月3日に、長年乗り続けていた愛車RAV4がいきなり壊れました
1998年の12月に納車になってたので20年と半年、乗っていました。
免許を取ったのがその年の11月で、初めて買った車がこのRAV4でした。
走行距離は5万5千キロでしたが、「よく保ってる」って壊れる前にママさんには言われてました。
20年間も乗っていると思い出もたくさんあります。
特によく行ったのは那須の友人の家と長野の白州のキャンプ場。
友人たちの子供が小さいときには一緒にいろいろ出かけました。
プロレスのマスコミの仕事をしていたので、近郊の会場には車で行くことも多かったです。
長野の塩尻に行ったときのこと。
中央高速の甲府盆地に入る下り坂で「おぉ、RAV4 160km/hも出る!」って感動した瞬間に覆面パトカーに捕まった事も…。
後にも先にもこんなスピードを出したことはありません が、苦い思い出です。
今年に入ってよぼっぴー(実父90歳)が内臓の不全で葛飾の病院に入院をして、車でお見舞いに行くことが多くて車に乗る機会が増えました。
5月に無事に退院はしたんですが、週に2回様子を見るのと食事のお買い物に行くので、車でのお出かけは増えたまま。
6月2日、(離婚・別居している)ママさんの家に遊びに行って、その時に「タイヤを取り替えないともう危ないんだ」って話したら、取り換え資金を3万円もくれたの。
同日、ママさん宅からの帰りによぼっぴーの家へ。
お手伝いやお買い物の用事が終わって、帰宅途中の「タイヤ館」でタイヤを見ようと思っていたら、なんと既に閉店しちゃってて仕方がないので、ちょっと先の安いGSに寄って帰ることに。
ふと気付くとGSの隣がオートバックスだったので、ガソリンを満タンにした後に寄り道しよう。
車をピットに入れてから、タイヤの見積を出して貰うことに。
前輪だけ2つだけでも料金は5万超えだった。
3万しかないのに。
「今日は無理です」って担当してくれたスタッフに断って、帰宅。
でもスタッフの人には「もうすぐ梅雨だし、早めの交換が良いですよ」って言われた。
帰り道でその日開通した外環道と国道298号と交差した。
「あ!今日からこの新しい道が通れるんだ」
迷わずそこから新しい道を走ってみることに。
このブログのプロフィール欄にも書いてるんだけど、私の好きな国道は357号とこの298号なのです
夜だったから交通量が少なくなってた298号はめっちゃ走りやすくて気分が良かった。
信号も少なくて本当に快適。
市川から松戸までを走って帰りに「道の駅いちかわ」に寄ってキューポッシュアンの記念写真を撮って、またさっきの交差点まで戻ってきた。
開通当日に走れて大満足だった。
帰宅後、ネットで安いタイヤを探したら韓国製だけど4つ変えて5万弱の通販店を探した。
注文をして、近所のGSで交換して貰う日程の予約もした。
この日は土曜だったから、振込は2日後の月曜。
でも2万円足りない。
もうこれはよぼっぴーに資金提供をお願いするのが早い
翌日夕方、再びよぼっぴー宅にご相談に。
すんなり2万円を頂いて帰途に。
環七から奥戸街道に入る手前で、車から異音がした。
カラカラっていう金属音。
タイヤに何かが絡みついたのかな?って思って途中のセブンイレブンに立ち寄ってタイヤを見るも何も無し。
再びエンジンをかけると、更に大きな異音。
これはエンジン(異常)だ…。
かなりヤバイ感じだけど、どうにか家まで保ちますように…異音におののきながら家に向かった。
途中ですごいヤバいことになったらどうしよう…。
今まで一度もトラブルになったことがなかったから、煙が出てきたりするようなことがあったらもうどうしたらいいか分からない。
心臓はバクバクだった。
走り慣れた14号のバイパスの、公園がある場所でエンジンが止まる音がした。
停まる…ヤバい。
ちょうど車線が増える場所でブレーキを踏んだ。
エンジンをかけ直したけど、もうエンジンはかからなかった。
パニック
そんなときに思いついたのは、いつも車検をお願いしている車の整備工場の会長をしている飲み仲間的な男性。
日曜の夜だし、飲んじゃってる可能性が高いんだけど電話をすると「たまたま飲んで無かったからすぐに行く」って
言って貰えて大きな牽引車で迎えに来て貰った。
翌日、車を見て貰った結果を電話で聞いた。
「直せるけど、そう長くは保たない」って。
新しいタイヤを頼んだばかりだけど廃車にすることを決めた。
翌日、車の中の荷物を引き上げに行った。
この画像が、RAV4の最後の勇姿です。
注文していたタイヤはすぐにキャンセル。
急に逝ってしまったRAV4ですが、ものすご良いタイミング、良い場所で壊れてくれたととても感謝しているんです。
ママさんの所とよぼっぴーの所での用事を済ませて、走りたかった298号も最後に走れて、タイヤも取り替える手続きの前で、家の近くまで、しかも2車線ある場所まで走ってくれた。
これが家まで走っちゃってたら、すごく狭い場所に停めてるから駐車場からレッカーするのは大変だった。
ちょうど21年前、免許を取ろうと教習所に資料請求をしてたんだけど、その資料が届いたのはたまたま「よぼっぴーが交通事故に遭って(ひかれて)習志野の病院に搬送された」っていう連絡が来て家を出ようとしたその時で、旦那に「普通の人も交通事故を起こすんだから、ましてやあなたには運転は向いてない」って言われてね、よぼっぴーのお見舞いに行くフリをして教習所に通ったのでした…懐かしい…
いろんな思い出を作ってくれたRAV4。
いっぱい働いてくれてありがとうございました
6月11日発行予定のグラフィック社刊『Dolly*Dolly 37』で、ヒートペン手芸が紹介されました。
作ったのはピコニーモサイズのお洋服2種です。
今までのドレスブックは自分で写真を撮って記事も作成していましたが、今回はプロのカメラマンさんに撮って頂き、原稿のリライトもお任せしちゃいました。
誌面デザインに余裕があるのは、そのお陰です
ツナギは編集さんからのリクエストでしたが、藤色のあじさい付きのワンピは私の提案でした。
たまたま私のお友だちのseriちゃん(girlish*kiss)も同誌の取材を受けていて、彼女も紫色がアクセントに使われているデザインでした。
偶然
取材は作る工程を撮るだけで12時間もかかってしまいました。
めっちゃ大変でしたが、そんな苦労は伝わらないんだろうなぁ〜
あと、「ヒートペン手芸」がどのくらい初見の読者さんに伝わってくれるのか、めっちゃ不安です。
少しでもこの工法に興味を持って貰えたら良いなぁと思っています。
掲載は10〜17頁&139頁。
ちっちゃなドールの特集本です。
ご購入をして頂けたら、うれしいです